侍女頭の慌しい一日
はじめまして、御機嫌よう。
私、ティリーナ・ディア・シューベッラと申します。
子爵家の長女として産まれ、十二歳の頃より王宮へ出仕。
十五歳の春には王宮で出会い、今なお愛してやまない夫と結婚。
出産・育児と、女としての仕事に追われる度に、
お勤めをやめようかと悩んだ時期もございましたけれども、
当時王妃であらせられた皇太后様より直々にお引き留め頂くという誉に思いとどまり、
百五十歳となった今では侍女頭でございます。
今日ほど王宮が緊迫している日がございましたでしょうか。
それもそのはず、王国の結界が衰え始める頃に行われる召喚の儀式が行われるのです。
前回行われたのが千年以上も前とのこと。
この偉大なる日に立ち会えることに、胸の震えをとめることができましょうか。
しきたりによりますと、魔樹が町を害し始めたら儀式の準備を行わねばならず、
魔獣が王都にあらわれるようになったら儀式を執り行うようにとなっているそうでございます。
魔樹が地方を害し始めたのは今から300年程前と聞いております。
その頃より、女神アユマに使者召喚の祈りを捧げると同時に、
召喚に必要となる膨大な魔力の備蓄が始まったそうです。
そうして先月、ついに魔獣が王都で暴れているという報告がありました。
多くの騎士が都民の救出と魔獣討伐に向かいました。
何とか魔獣を追い払うことに成功したものの死者多数――。
その知らせは国中を震撼させたのでした。
まず動いたのは神殿でございました。
『女神アユマからの使者召喚の許可を得たり』
神殿の声明に国中が沸きあがりました。
次いで我らが国王様が使者召喚の儀を行うと宣告してくださったのです。
儀式は結界が張り巡らされた王宮の中心部、紫紺の間で執り行われることとなりました。
まだ若干二十二歳でありながら、どんな魔術師よりも優れていると名高い第3王子エリクシオン様が
魔陣を何度も確認し、術師達に指示を出されている立派なお姿を拝見でき、
彼のおしめを替えていた私としては感無量の思いでございます。
私は王妃様や皇太后様と、儀式の邪魔にならないように、
紫紺の間の端で固唾を飲んで魔陣を見守っておりました。
全王族が揃い踏みしたのは何年ぶりでございましょうか。
放蕩癖のある第5王子のアレク様ですら、正装して魔陣に魔力を注いでいらっしゃる。
古より伝われし書物を何度も確認していた国王様が、すっと手をあげると
高い魔力を持つ王族方がぐるりと魔陣を囲み、ついに呪文が唱えられ始めました。
うっすらと陣が光を帯び、それから一刻、二刻、と時間だけが過ぎていきます。
体力のない第2王女のメフィナ様の顔には薄らと汗が滲み、お辛そうなご様子です。
私はただ何も出来ない自分を歯がゆく思いながら、張り詰めた空気の中で息を殺しておりました。
そうしてついにメフィナ様が倒れそうになった瞬間、大きな光が紫紺の間に広がりました。
失敗したか……、誰もがそう思ったのではないでしょうか。
しかし光がすっと引いていった後、刺す様な痛みを受けた目を必死に擦って陣の中を見れば
真っ黒な髪、真っ白な肌、猫のような耳と尻尾を持った小さな少女が横たわっているではありませんか。
慌てて駆け寄ろうとする者達を手で制し、王太子リオロード様が魔陣の一部を足で擦り陣そのものを
消滅させてから、ゆっくりと少女に近づき抱き上げました。
「フロード!」
リオロード様より発せられた言葉に場は騒然となりました。
フロードというのは王宮勤めの侍医でございます。
呼ばれた彼は老人とは思えない俊敏さで慌てて駆け寄り少女に触れるや、
上着を脱いで少女をくるみました。
「ティリーナ!」
国王様に呼ばれて私も慌てて駆け寄りました。
「はい、ここにおります。」
「様子がおかしいようだ。お前も傍へ。」
国王様がそのようにおっしゃったのは、陛下の御子方が病気にかかった際、
私が常に傍で看病していたからでしょうか。
私はしっかりと頷きフロード様の傍に駆け寄りました。
そっと少女に触れると、その頬は雪のように冷たくなっておりました。
苺のように赤く濡れた唇からは浅い呼吸が繰り返され、使者様はとてもお辛そうなご様子。
「脈も弱い。低体温症ですかな……。我々と同じ治療でも良いのか分かりませぬが、やってみましょう。」
フロード様は手に魔力を集めそっと使者様の胸に手をかざしました。
身体の内部に熱を送っているのでしょうか。
魔力の乏しい私にはさっぱりとわかりませんが、しばらくすると使者様の呼吸が
ゆっくりと落ち着き始めたので、王太子殿下もほっと胸をなでおろしていらっしゃるようでした。
使者様の頬に僅かに色味がさしたようにみえます。
「急激に動かすのはよろしくないですからな、ゆっくりとお部屋にお運びして
しばらく安静になされれば、このご様子ですと大丈夫でしょう。」
紫紺の間のあちこちからようやく安堵の息がこぼれた瞬間でした。
「にゃぁ。」
それから半日ほど経った頃でしょうか、使者様のお部屋の控えの間で待機していた私達侍女の耳に
可愛らしいお声が聞こえました。
すぐに使者様のお傍へ駆け寄った私達を見て、使者様は大きな黒々とした目をぱちくりとさせ
不思議そうなお顔をされていらっしゃいました。
王族の方々へすぐに使いを出し、使者様にはゆっくりと起き上がって頂きました。
「お身体はいかがでございますか。」
話しかけてみましたが、言葉が通じないのでしょう。
お耳をぺたりと伏せられて、その眼は不安げに揺れておりました。
ご安心頂こうと何度か優しく撫でてみましたところ、嬉しそうに尻尾を振って下さいました。
使者様のお身体が大丈夫そうなご様子であれば、謁見の間に来ていただくようにとの
伝言を受けて、使者様のお手をひいてお連れします。
その間、使者様は私達の角を不思議そうにご覧になられておりました。
そう言えば使者様にはどこにも角がないご様子。
それなのに使者様から溢れんばかりの魔力を感じるのはどういうことなのでしょうか。
角の大きさと魔力は比例すると言われておりますのに、流石使者様でございます。
謁見の間には王侯貴族がずらりと勢ぞろいしておりました。
次々と使者様に頭を垂れていく様子に、少しおびえているご様子でございました。
そうしてついに、我らが国王様と対面を果たされました際には、大きな涙がぽろりと
その雪のように美しい白い肌を伝い落ち、愛らしい声で泣き出されてしまいました。
あなたのお顔が怖いから、と王妃様の小さな叱責に国王様は慌てて壇上より駆けおりまして
使者様を抱き上げられましたら、使者様はぴたりと泣きやまれまして
もう何度も拝見した不思議そうなお顔で陛下を見上げておりました。
国王様は使者様を高々と掲げて召喚の成功と、王国の安泰を宣言されました。
それからたった数年で魔樹や魔獣を見なくなる日がこようとは、誰が想像したでしょう。
張り詰めていた王宮に明るさと穏やかさが宿り、誰もが顔をほころばせる日々に感謝してもしきれません。
もういい加減よい歳になり、そろそろ引退をと考えておりましたが、
もうしばらくこの愛らしい少女のお傍にいたいと、そう私が思ったのは
仕方がないことだと思うのでございます。
また機会がございましたら語りましょう。
王宮に住まう、愛らしいリリア様の物語を――。




