-5- 東京
「店長、ここ閉めてどうするんですか?」
この質問は別段含みを持たせたものじゃあない。普通に出てきた疑問だった。でも、店長にとってはかなり核心を突かれた一言だったらしい。どこか焦ったような表情が見て取れた。
「いや、まぁ……」
やっぱり何かあるようだ。目が笑ってないワイドショーの芸能リポーターよろしく、興味本位でさらに突っ込んでその奥に潜んでいる裏話が聞きたくもなる。だが、たかがバイトの俺がそれを聞いた所で何にもならないのは、店長が言葉を濁した時点で察しはつく。
「あ、いや、話しにくいならイイっす。ハイ」
「……実はな。東京で新しくスタジオを開くことになったんだ」
「えっ! マジっすか」
東京。この田舎町から車で軽く数時間はかかる、憧れの大都会だ。俺の高校時代の連れも、『上京』という言葉の響きだけに誘われて、わざわざ東京の大学を選んだ奴も少なくはない。
そん時は鼻で笑っていた俺だった。お前ら単に『東京人』になりたいだけじゃねーのか? そこにポリシーはあるのかよってさ。でも、今にして思えばそれはミュージシャンにだって言えることだった。東京に行けば活動できる場所も、売り込みのチャンスもこんな田舎町とは比較にならないはずだ。
いつからか俺も東京という言葉の魔力に、ついつい惹きこまれそうになっていたことは否めなかった。そんな折に店長から飛び出した東京進出のニュース。俺は「何だよアンタだけ」という嫉妬心と同時に、素直に「羨ましい」という感情が交錯していた。
すると店長は意を決したように俺に向かって話し始めた。
「デル君、もし君さえ良ければ……。私の……東京の新しい店を手伝ってくれないか」
「えぇっ!」
俺は思わず身をのけ反らせて、かなり大胆なリアクションで驚いた。だが、やはり俺って男は嘘をつけない性格だ。次の瞬間にはニタニタと目の奥で笑みを浮かべながら「いやっ、そんな、俺なんて、そんなっ」と、とりあえず謙遜してみせた。
「いや、そうだな。まったく、どこまで私は勝手な奴なんだっ!」
はぁ? ノーッ! そんなことは無いんだっ! アンタ最高にイカした事を俺に告ってくれたんだ! 俺はアンタに一生付いていく覚悟……は、ぶっちゃけ正直してなかったけど、これからしてみせるつもりさっ! と、脳裏を駆け巡ることわずかコンマ何秒。
「すまない、今の話は無かったことにしてくれ」
店長がカウンター横のレジを開けて茶封筒を手にした。さらにそのレジに入っていた数枚のお札を無造作に取り出すと、そのうちの何枚かを茶封筒にねじ込んだ。
「今月分の給料と、少ないがこれはこれまでの君への感謝の気持ちだ。受け取ってくれ」
「え、いや。そんな、いいっすよ」
いいんだよっ! そんな二、三日で繁華街の居酒屋に飲み込まれるはした金よりも、将来の安定を俺に与えてくれっつーの! ん? まてよ。ロッカーが安定を求めるなんて何かおかしくねーか。例えば公務員やってるクセに『国のバカヤロー』なんて歌ってる奴が本当にロッカーって言えるのか? と、脳裏を駆け巡ることわずかコンマ何秒。
「何も言わず取っておいてくれ。それに、まだ若いと言ってもこの不景気じゃ仕事を探すのも大変だろう。失業保険というわけじゃないが、足しにしてくれ」
「……いや、その」
すると店長は深々と俺に頭を下げた。俺が「頭を上げてください」と何度言っても聞く耳を持とうともせず。何だかここまでされると居心地が悪い。結局、俺はそのままスタジオから引き上げることにした。
「はぁ……。なんかドッと疲れた……」
店の外に出るとスタジオでの緊張感もあいまって、吹き付ける風が無性に冷たく感じる。
「東京かぁ……」
このクソ冷たい空気がどこかで生まれて、今俺の頬に風となって突き刺さるのと同じように、俺の知らないどこかで、ひょっとすると何かが動き出しているんじゃないか。そんな風に感じたその時、突然その娘は現れたのだった。