-22- 雨天結構
雨は次第に激しくなっていく。『ゴッツ』の面々が控室のドアを開け、恨めしそうに空を見上げていた。ただ、俺にとってはむしろ恵みの雨なのかもしれなかった。ぶっちゃけこのステージ、全く読めねぇ。逃げるつもりじゃないが、このまま中止になっちまうのも今は良しと割り切らないと。
するとゲンさんがまたニヤニヤと笑いながら俺に近付いてくる。
「兄ちゃん、残念やな」
「……そ、そうですねぇ。この雨じゃ」
「このステージ、雨天決行なんやで」
「はっ……! マ、マジっすか!」
「まぁ、そういうわけで、しっかり前座として場を作ってくれよ兄ちゃん」
やられた……。まさかの雨天決行とは。そりゃ確かにステージそのものには屋根もあるが、そのステージを囲むように設けられたわずかなすり鉢状の客席や、ステージを挟んだ対面の広場には当然屋根など存在しない。晴れてりゃ四方の客に囲まれ、演者冥利に尽きるこのステージも、こんな雨の中、傘を差してまで無名男のギターを聴いてくれる人が居るのか。
「失礼しまーす」
控室に響く声の主は薫だ。数枚のCDを手に持って慌ただしく部屋に飛び込んできた。この俺に放置プレーをかましやがって……。俺には目もくれようとしない薫に俺は一気に詰め寄った。
「ちょっと待てよ、薫どういうことだよ」
「何が?」
「雨天決行だって? こんな中で無名の俺なんかにマジで演奏させる気かよ」
「それがどうかしたの?」
「そ、それがって……。こんなの無茶苦茶だろ」
「そうかな?」
すると、薫は俺の横をすり抜け『ゴッツ』のメンバーと打ち合わせを始めた。あまりにも素っ気ない態度の薫に、流石の俺もこの時ばかりは頭にきた。
「クソッ」
俺はギターを手にすると一度はギターケースに仕舞い込み、そのままこの部屋から立ち去ろうと思った。でも、頭ではそう考えても、俺の身体はそれに従わなかった。気づけば俺は再びケースからギターを取り出すとチューニングを始めていたんだ。
そうだよな。どこのステージだろうと、俺が無名なのは今に始まったワケじゃねぇ。誰も聴いて無くても、俺は俺のステージを全うすれば良いんだよ。ハナから何を客に求めているんだ。俺はまだゼロ以下の素人なんじゃねーか。聴きたい奴は聴けばいいんだ。
何だかそう思うと急に吹っ切れたんだ。それと同時にこんな最悪のコンディションだからこそ、逆にブチかましてやりたい衝動が俺を後押しする。俺は窓ガラスに吹き付ける雨粒を見つめ心で叫ぶ。
「どうせならもっと激しく降りやがれ。雨もろとも食ってやる!」
俺はおもむろにピックケースを取り出した。この雨音響くステージでも根負けしないピック。コードネームB、打破のエクストラヘビーシルバーピックだ。歌なんかいらねぇ、この際ギター一本で勝負してやる。
「……それでは今の流れで『ゴッツ』の皆さん、よろしくお願いします」
「はいよぉ」
メンバーと打ち合わせを終えると薫は俺の前にやってきた。
「あれぇ? なーんだ。居たんだ」
「はぁ?」
「てっきり逃げ出したのかと思ってた」
「てめぇ……。いや、この俺が逃げ出す? 冗談言うなよな。忘れたのかよ! 俺は沖縄の完全アウェーをひっくり返した男だぜ」
すると薫は笑いながら「やっぱバーカ」と俺を指差す。フッ、いつまでもお前に乗せられているばかりの俺じゃねーぞ。お前がこうして俺を窮地に陥れることで、単純な俺を発奮させようってのはもう分かってんだ。
「そんだけやる気があるなら、もう止めとこうかなぁ」
「はぁ? 何をだよ?」
「実は『ゴッツ』さんのステージに少しさ、ちょっと出演させて貰うって方向でさっき打ち合わせしてたんだ。沖縄と同じようにね。ゲンさんも快諾してくれたんだけどさぁ。ま、キミが一人でやる気なら無理言えないよねー」
「え? ちょ、待てよ」
「というワケで、デルさん、あと十分でリハお願いしまーす」
「はぁ? じゅっぷん? マジかっ!」
「はい、そういうことです。……じゃあ『ゴッツ』さん、そういう事になったんで!」
「はいよ! 任せとけネェちゃん!」
すると薫は控室のドアを開くと、こちらに何とも意味深な笑みを浮かべて俺に手を振って消えやがった。何なんだあの女はっ! どこまで俺をおちょくる気なんだよ。
いや、もうそんな事はどうでも良いんだ。俺は俺のステージをやりきればいいんだよな……。と、いきなり背後から肩を叩かれた。
「……おい、兄ちゃんそのピック」
すると「ちょっと、いいか?」と、俺のピックケースを手に取り、何度も食い入るようにその七色のピックを眺めるゲンさん。
「兄ちゃん、これってひょっとして……」
「えぇ、『櫓神楽』オリジナルです」
「やっぱりそうかっ! ホンマかっ! 何でや! 何でこんなもん兄ちゃんがっ!」
「いや、実は、元メンバーの小川さんからプレゼントで貰ったんです」
「な、なんやて! 小川サマからっ!」
サマって……。なるほど、どうやらゲンさん熱烈な『櫓神楽』ファンだったらしい。興奮してさらにワケを聞いてきたゲンさんだったが、一から説明している暇は今の俺に無いわけで……。すると控室に薫とは別のスタッフらしい女性が現れた。俺はとりあえず「後で話しますよ」とだけ言い残しリハに向かう。
雨がより激しさを増す中、ステージに上がって周りを見渡す。当然客席にも広場にも誰も居ない。少し離れた位置にある屋上庭園の入り口付近や、広場に面したカフェのテラスには屋根もあり、それなりに人の姿も見える。どうやらセッティングを始めたこちらの様子を窺っているようだが、流石に傘を差してまで近寄ろうとする猛者は居なかった。
雨の中でのリハーサル。俺はとりあえず完コピしていた楽曲を軽く流し弾きした後、スタッフから再び控室に戻るよう指示された。控室に戻るとゲンさんが俺の帰りを待っていたように話しかけてくる。
「よぉ、兄ちゃん。どうやった?」
「どうもこうも無いっすよ。何だか雨どんどん激しくなってますけど」
「そうか。まぁ風邪ひかんように気を付けろや」
「あぁ、どうも」
「兄ちゃんのことちゃうで。ギターのことやで」
「え? あ、どもすいません」
ニタニタ笑うゲンさんだが、その態度は会った当初と打って変わって妙に優しくなっていた。何だか虫唾が走るっつーの。
「……ところで兄ちゃん。このリストやったらどれ演じられる?」
ゲンさんが一枚の紙を差し出してきた。そこにはそこそこ有名なナンバーが幾つかリストアップされていた。どうやら俺との共演もやる事になったようだ。ま、それでもまずは前座として俺が数十分、あの寒いステージに立たなきゃならない事に変りは無いワケだが。
「そうですね、これと……これなら弾けますよ」
「よっしゃ。んじゃどっちにするかはまたステージで言うわ」
「はい」
「まぁ、気負わず俺らが出て行くまで好きなようにやってこいや。それにこの雨なら誰がやっても同じや。悔いせんように思いっきりやったらええがな」
ゲンさん……。何だよ、ただのエロいガサツな関西のオッサンだと思ってたら、優しい言葉なんか掛けてきやがって。オッサンのツンデレ程嬉しくない物はないぜ。
「失礼します! デルさん、お願いします!」
いよいよ本番の時を迎えスタッフの人が俺を呼びにやって来た。……ってか、薫はどこに隠れやがったんだ全く。
「兄ちゃん! そのピックに秘められた伝説の魔力、しっかりみせて貰うで」
「……伝説の魔力ってなんすか?」
「ええから、とにかく頑張りや! グッドラック!」
「はぁ。じゃあ行ってきます」
俺は手に持ったピックを見つめる。まさか、マジでそんな力がこのピックに……。そうか、そうだったのか! ……いや、そんなファンタジーとか超能力なんか、リアルを追及する俺は全く求めていないワケで。
とりあえず俺は親指を立ててゲンさんに応えた。それに、魔力なんてもんがあるならば、そいつは結局俺の心意気次第だ。魔力も雨も、この屋上庭園も、全部食ってやるっ!
閃光が走り、雷鳴まで轟き始める豪雨の中、俺はその控室から一歩外に踏み出したのだった。