-19- 櫓神楽の影
昼食後、薫は仕事で神戸のイベント会場に向かった。沖縄同様に関西でもイベントのマネジメントと、新人ミュージシャンの調査があるらしい。俺はフロントで薫と一旦別れると、そのままホテルの部屋に向かった。
部屋に入ると早速ギターケースを手に取り相棒を担いだ。薫から聞かされた『でてこいや音楽祭』。つい一か月前なら、それは『俺たち』の目標だった。でも、今はこの『俺だけ』の目標となった。それが明確になった今、じっとしているワケにはいかなかった。
スタジオでバイトしていた時も、あのポスターを見て「俺たちも応募しようかな」と薄々は思っていた。その矢先に解散しちまった。思えばあの時、理恵ちゃんには偉そうな事言ったけど、俺自身は一人になっても応募しようなんて考えもしなかったんだよな。その時点で俺は逃げていたんだ。
でも、今は違う。自分でも不思議な程に活気が漲っている。そして、この感覚が音楽と向き合う中で大切な要素だって事もやっとハッキリ分かった気がしていた。
いや、本当を言えばそれに気づかされたのは、薫との再会があってこそなんだよな。だからこそ、俺はもっと高みを目指さなきゃならない。『でてこいや音楽祭』だぁ? おあつらえむきだ。出て行って食ってやるよ!
小一時間ばかりギターを奏でては、思いつくままに詞とメロディをかき混ぜる。バンドの頃もこういう作業はやってきたけど、どこかでケインや他のメンバーのセンスにも頼ってきた。でも、これからはそうはいかねぇ。そう、沖縄からここに来るまでの道中、薫から嫌味っぽく言われたんだ……。
「ケタローってギター弾くだけなの?」
「……? どういう意味」
「ほら、『黒南風』のライヴで歌わなかったよね?」
「それは……。とりあえずギターで勝負したかったんだよ」
「ふーん。気持ちは分かるけどさぁ、昔は『弾き語りやってる』って言ってたじゃん? やっぱギター弾くだけじゃなくて、歌もうたった方が良くない?」
「うん、まぁ……ゆくゆくは」
「ゆくゆくって……。一人なんでしょ? 今始めないと何時始めんのよ」
「いや、実際問題、ここ数年はケインのボーカルを意識して作ってきたからさ。自分が歌うって事を前提にしてない曲ばっかなんだよ」
「だったら丁度いいじゃん! 今はケタローの想いをメロディにして、詞を乗せて表現すれば。ギターだけじゃ限界あるし、絶対その方がいいよ!」
「……ん、だな。そうだよな」
俺にしか出来ない表現。それは必ずしもギターだけじゃないんだよな。例えば……。そう、サックスとかアコーディオンとか、まさかのテルミンとか。……いやいや、違う違う、そうじゃない。俺は基本ギタリストだっつーの。ま、そういう他の楽器に手を付ける事もこれからゆくゆく……。ってな事を考えていると携帯電話が鳴った。俺はその相手と気づくと勢いよく通話ボタンを押す。
「もしもし! 店長お久しぶりです!」
「もしもし? いや、久しぶりだね。先日から電話くれていたのに、なかなか時間が取れなくてすまなかったね」
それは小川店長だった。実は東京行きを決めた日。俺は沖縄から何度か店長に電話を掛けていたんだ。だが、なかなか繋がらなかったワケで。仕方なく俺は要件だけ留守電に入れておいたんだ。
「あのー、早速なんですけど……。例の話なんですが」
「あぁ、もちろん大歓迎だよ。君が来てくれれば私の時間も取れるし本当に助かる。で、東京には何時ごろ来れそうだい?」
「あ、それがですね……。ちょっと色々とありまして」
「そうだったね。引っ越しの準備もあるだろうし」
「いえ、というか実は……」
ちょっと考えたが別に悪い事しているワケでも無いし、何よりピックのお礼も兼ねて俺は店長に打ち明けた。沖縄でひょんな事からライヴに出演した事を。そうなんだ。あのライヴで使った情熱のピックは、この店長から貰った去年の誕プレだったからだ。それは店長が『櫓神楽』時代から使ってきたメンバーオンリーのオリジナル。どこにも売っていない貴重な物だった。
「あのピック、しっかり使わせて貰いました」
「そうかい。今も大事に使ってくれていて嬉しいよ。……それにしてもよく出演できたね?」
「はぁ、それがですね。実は知り合いと偶然会って。そいつがイベント会社の『NOW』って所で働いていて……」
「え? 『NOW』?」
「あ、はい……。ご存知ですよね?」
「……あぁ、そりゃもちろん」
そりゃ『櫓神楽』時代から、音楽畑で長年生きてきた店長が知らないワケが無い。『NOW』は今や音楽業界では日本で指折りのイベント会社だ。ただ、店長のその奥歯に物の詰まったような返事が俺は気になった。おいおい、ひょっとして知ったかぶりか?
「そんなワケでその知人の仕事に付き合わされているんです。でも、多分あと二、三日もすれば東京に行けると思いますから」
「……そうかい。分かった。とにかく、またこっちに着いたら連絡をくれるかい」
俺は威勢よく「ハイ」と答えて電話を切った。良かった、何とか東京での職も確保できたぜ。内心、店長から「もう人雇ったから要らね」って言われんじゃねーのかとドキドキだった。早めに電話だけは掛けておいて良かった。
「さぁーて、そうと決まれば練習だ」
再び相棒を担いだ矢先だ。部屋のインターホンが鳴った。
「……? 誰だ」
俺は取り立てて不審がる事も無くドアに向かう。薫が仕事を早く終えて帰って来たのかと、その程度に感じていたからだ。ただ、ドアを開ける前に念のためドアスコープから廊下を窺った。
「……!」
ドアをゆっくり開けるとその人は例のあの不敵な笑みを浮かべてきたじゃないか。俺は軽く会釈した。
「こ、こんちは」
「やあ、デル君……だったな。寛いでいる所悪い。ちょっと部屋いいか?」
「はぁ、どうぞ……」
この俺に何の用があってやって来たのか。それは薫の上司、リッキー吉田さんだった。部屋の中に通すとリッキーさんはソファの横に立てかけたそれを見て問いかけてくる。
「おっ、なんだ。アレか? 早速アレ弾いてたのか」
「はぁ……。まぁ」
「……? このピック」
それはテーブルに置いていた小川店長から貰ったピックだった。
「何で君がコイツを?」
「あ、実はバイト先の店長から貰ったんです」
「……店長?」
「えぇ、東京に着いたらその人のスタジオでまたお世話になるんです」
「うん? スタジオだって? ……アレだ、名前は?」
「え? はぁ、小川さんですけど」
「小川……功治か?」
「はい、そうですけど?」
すると突然リッキーさんは驚いた顔をしてそのピックをマジマジと眺める。そしていつものように不敵な笑みを浮かべた。
「そうか! アレか! 小川なんだな?」
そう言うといきなり高笑いをしながらリッキーさんはソファにどっかりと腰を下ろした。何が何だか分からぬまま俺も苦笑いを浮かべる。するとリッキーさんは俺にそれを告げたのだ。
「小川はな、オレの元バンドメンバーだよ」
「は?」
「知ってるか? 『櫓神楽』は。そこでオレはボーカルをやってたんだよ」
「えぇ! マジっす……じゃなくて、本当ですかっ!」
俺の前に、もう一人の『櫓神楽』が現れた。それが、俺のこれから歩む道のりに、大きな影響を与えることになるとは、まだ想像も出来なかった。