-15- 情熱のピック
その日の夕方、俺は昨夜と同じライヴハウスの楽屋でギターのチューニングをしていた。エライ事になっちまった。薫に言われるがままここに来たけど、まさかいきなりステージに立つ事になるとはな。
「あ、デルさん! こんばんは」
「……よおっ」
やってきたのは昨日俺が散々ボロクソに言ったバンド、『黒南風』のリーダーシマケンとそのメンバー達だ。そうだ。俺は今晩、黒南風のステージに立つ事を薫から命じられたんだ。
「今日はよろしくお願いします」
「いや。ってか、俺もまさかこんな話になるなんて思ってなかったんだ」
「えっ? そうなんですか?」
「何だ? シマケンも知らなかったのかよ」
「はい。さっき和泉さんから聞かされた時はメンバー全員ビックリしましたよ」
……薫の奴、何企んでやがる。今日のステージは対バンライヴなんかじゃねぇ。『黒南風』の単独ライヴなんだぞ。そこに全くの部外者の俺をねじ込むなんて。
「あのさ、迷惑だろ? 俺、薫に言ってやっぱ出るのは辞めるよ」
「いやいや、迷惑なんて。僕たちも最初は驚いたけど、今は凄く楽しみなんですよ。何か、今までと違ったステージになりそうで。なぁ?」
「そうそう。デルさん、辞めるなんて言わずよろしくお願いします」
黒南風のメンバーが揃いもそろって嫌な顔一つせず歓迎ムードだ。何というポジティブシンキング。コイツら本当に音楽を楽しんでやがる。
「……シマケン、それに皆。黒南風ってめっちゃナイスガイな奴の集まりだな」
「ナイスガイ……ですか」
苦笑い浮かべるシマケン。それは謙遜ではなく、どうやら俺の言葉のチョイスが古かったようだ。
「ほよっ、全員集合してるねー」
「和泉さん、お疲れ様です」
「お疲れーっ。……おやっ、そこで偉そうにふんぞり返っているのは、ゲストのデルさんじゃないですか」
「……何ぃ」
「おー怖いゲストさんだぁ……。さぁ、シマケン。そろそろリハ始めるよ」
「あ、はい」
するとメンバーは手際よく仕度を始める。一度は出演を決めた手前、俺はとりあえず相棒のチューニングを続けるのだった。すると薫はとんでもない事を言い出した。
「デルの出演はアンコールの一発目だからね」
「……はぁ? アンコールだとぉ?」
「もちろん、彼らには了承済みだから安心して」
「バカ! 何で部外者の俺が『黒南風』の再登場を心待ちにしてる客の前に、ノコノコ現れなきゃなんねーんだよっ」
「だからこそのゲストであり、サプライズじゃん」
「お前、根本的に間違ってるっつーの。サプライズっつーのは……」
と、反論する俺の話なんか耳も傾けずに踵を返し、薫は黒南風のメンバーに手を叩きながら号令をだす。
「はーい、じゃあ黒南風の皆さん、リハーサルよろしくお願いしまーす」
「よろしくお願いしまーす」
メンバーはゾロゾロと楽屋を後にする。その後について行こうとする薫を俺は引き留めた。
「お前、本当に良いのかよ。ここまでお前に付いてきて大体察しはついてるんだ。どうせこのライヴはお前の会社が噛んでるんだろ? 大事なイベントに関係ない俺を出してお前の立場マジで大丈夫なのかよ」
すると薫はこの沖縄で再会して以来、見せた事のない真剣な顔で俺に言った。
「……私はケタローを信じてるよ」
ふと、その言葉が懐かしくもあった。何時だったっけ……。このセリフ、前にも聞いたことがある。すると薫はニッコリと笑って俺の胸に拳を押し付けると楽屋を出て行った。
――黒南風のライヴが始まった。
楽屋の階上にあるPA室からは、ステージと客席が窓越しに伺えることが出来た。音響さんの邪魔にならないように配慮しながら、俺はそのライヴの様子を見下ろしていた。
前夜と同様に、いや、むしろ週末の今日は客の数も増えている気がした。その殆どがやっぱり女子中高生だ。一曲目から総立ちで場内のボルテージはガンガン増していく。
「うわぁー……。マジで緊張してきたぞコレ」
これでも人前に立つのは慣れているはずだった。『ローリング・クレイドル』のリードギターとして、場数もそれなりに踏んできた。だが、今日は違う。一人のギタリスト『デル』としてこの客の前に立つ。それも今までと全く異なる客層の前に。
「……それにしても上手いな」
正直言うと昨夜はステージの黒南風やシマケンの動きは殆ど見てなかった。確かに彼らの音楽は俺の目指す音楽のベクトルとは違う方向を向いている。だが、目の前の客を自分たちのペースに惹き込む術を確実にモノにしている。
ふと、昨夜の嫉妬心が湧き上がってきた。もし、このステージに俺が立ったならもっと……。俺の中で「このままじゃ終われない」と後押しする。
「面白い。……やってやろうじゃねーか」
俺は急いで楽屋に戻るとピックケースを取り出した。こいつの中には大事なライヴでしか使わない七つのピックが収められている。今日のこのステージと、今の俺のメンタルにおあつらえ向きなそいつ。コードネームC、情熱の真っ赤なヘビーピックを掴むと俺は瞼を閉じた。
イメージ出来るぞ。この後のステージの展開が……。楽屋に寄せては響く観客の熱気と共に。
「ケタロー、準備良い?」
ライヴも佳境を迎えた頃、薫が楽屋を訪れた事に、俺はその時すぐには反応出来なかった。それ程にイメージトレーニングに集中していたんだ。
程なくしてステージから引き揚げてきた黒南風の面々が楽屋に戻ってきた。ここまで全力疾走した彼ら。やっぱり皆一様に満ち足りて生き生きした顔してやがる。
そうなんだ。初めてステージに立つテンションではダメなんだ。彼らの作り上げた二時間余りの世界。そのテンションまで俺のメンタルを引き上げて臨まなければ、絶対に彼ら黒南風だけでなく、目の前の客に食われちまう。そんなワケにいかねぇ。
「俺が、食ってやる!」
「……? 何を食べるの? お腹すいたの?」
まったく、いつもいつも俺がカッコよく決めようとすると邪魔をするのは薫だ。
「何でもねぇよ」
「そっ。じゃあデルさん、もうすぐ時間ですよ」
「……ん、おう。……チッ、近くに人が居る時はデル名義かよ。ややこしい奴」
するとアンコールブレイクを終え、充電完了したシマケンが俺の所にやって来た。
「デルさん、俺らに遠慮なくお願いします!」
「遠慮なんかしねぇぞ! こっちこそ、よろしくな!」
俺とシマケンはガッツリと握手した。そして黒南風が先にアンコールの声轟くステージへと歩を進める。俺もその後方から追随する。すると不意に薫が俺の肩を叩いた。
「ファイッ。ケタロー」
俺は無言でそのエールに応えると、楽屋のドアを引き開けた。その瞬間、ライヴハウスの熱気が俺の身体を包み込んだ。