-10- ライヴハウス
陽も暮れかけていた頃、俺は薫の運転する車に乗っていた。まさかこんな場所で三年ぶりに元カノに会うなんて、何という偶然。いや、これはもしや必然? ……んなわけないか。
三年前。薫はかねてから希望していた東京に本社のあるイベント会社の就職が決まり、俺と知り合ったバイト先を辞めて、そのまま東京へと発って行った。
その頃ちょっとした意見の食い違いが重なって、あんまり口も訊かなくなっていたこともあり、薫との関係は結局そのまま自然消滅みたいな感じで終わっていたんだ。その理由は……東京に一緒に行くか行かないか。
「さて、着いたよ」
薫に言われるままついてきた俺。そこは那覇市内にあるライヴハウスだった。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは。もう始まってるんだね」
そう言うと薫はバッグから何かしら身分証らしき物を受付に提示した。すると特に制止されるわけでもなく、いや、むしろ「お待ちしておりましたご主人様」的な対応で中へと通される。何者なんだコイツ……。
防音扉の中に入ると生暖かい空気と共に、小気味よいビート音やら何やらごった返す、騒々しい音の羅列が飛び交っていた。そう、何の事は無い。これはつい先日まで俺らだって出していた音と空気なんだ。
思えば聴く側の立場でライヴハウスに入ったことは初めてに近いかもしれない。こうして予備知識も無くふらりと立ち寄る場末のライヴハウス。そこでどんなミュージシャンが、どんな音楽を提供してくれるのか。好き嫌い関係なく、毎日多彩な顔ぶれが登場して新鮮な音を楽しむことが出来る。それがこの手のライヴハウスの良さなんだよな。
「俺らのバンドの事なんか知りもしない客は、こんな気持ちで入ってたんだろうなぁ」
「え?」
「いや、大きな独り言」
ステージでは数名の若者、といっても俺と同い年くらいかちょっと年下くらいの連中が、マイク片手に客を煽りながら唄い、演奏している。薫によれば那覇市内でも指折りのライヴハウスがビッシリ埋まっていた。それも殆どが中高生くらいの女子だ。
……ヤバイ。さっきから非常に居心地悪いのは何故だ。今まさにステージで音を出すコイツらと、さほど変わらねぇ歳のはずなのに。そうか、ぶっちゃけ俺たちの演ってた音って、こういう女子中高生を相手にするようなモンじゃなかったんだ。俺たちはロックンロールやってたんだよ。どうりでこの環境に慣れないワケだ。
「……!」
ステージの彼らよりも、むしろ客席に圧倒される俺に驚いた。何だろう、この歯がゆさは。そしてそれと同時にステージで歌い、演奏する彼らを見て湧き起こる悔しさは……。
……そうなんだ。さっきからズキズキ感じるこの場違いな感覚は、客層とか聞き手の問題じゃない。ただの未熟な自分たちの音への慰めに似た強がりだったんだ。そして、音を楽しんでいる大勢の客の前でパフォーマンスできるステージの彼らに対する嫉妬心。
すると薫が俺の耳元で尋ねてきた。
「ねぇ!」
「は? 煩くて聞こえない!」
「彼らの音楽! どうよ?」
「は? どうって」
「若くて勢いあるよね!」
「そうだなぁ。……てかさぁ、俺はこういうチャラチャラしたバンドってあんまり好きじゃねぇんだ」
「チャラチャラ?」
「あぁ! それにほら、メンバーにラッパーまがいも居るだろ? 正直、ウケ狙いでああいうのやってる奴らって無いわぁ」
「ウケ狙いねぇ……」
「とにかく俺はあんまり好きじゃねぇな!」
「でもさ、ただのウケ狙いでこんなにお客さん集まるかな?」
「えー? 何て?」
「何でも! とにかく暫く彼らの音聴いてあげてよ」
正直言えばさっさと引き揚げたかった。それに元々今日中には家に帰る予定だったんだ。それを「明日に延ばして」って薫がしつこく言うからわざわざついてきたのに、何で聴きたくもない連中の音に付き合わされなきゃなんねーんだ。……そりゃ今夜の宿代まで出すって言い出したから根負けしちまった手前、今更文句を言ってもしょうがねぇけどさ。
本当にそれくらい俺の嫌いな音だった。ステージの連中の振る舞いも、中高生に媚を売るような音も無性にイライラした。……そう、それも結局俺のただの嫉妬心だったんだ。その時はそこまで気づけなかったけど。
それから約二時間近く、俺はとことん居心地の悪い感覚に包まれたままその場でボーっとしていた。きっと周りの中高生は「何なのコイツ? 鬱陶しいから帰れよ!」って言いたくなるほどに、俺は不機嫌極まりない顔をしていたに違いない。
聴きたくもないアンコールに二度、三度と付き合わされ、精根尽き果てた俺を尻目に、エネルギーを発散しスッキリした表情を浮かべ、ステージの余韻を引き連れた中高生たちが、キャッキャ言いながらライヴハウスを出ていく。
「対照的とはこのことだなぁ」
と、気づくと薫の姿が無い。思えば俺はホールの隅っこに出番なく申し訳なさそうに佇んでいたテーブルと共に、盛り上がるステージに目もくれずチビチビと酒を飲み続けているだけだったんだ。確か「ちょっとここに居てね」と言い残し、薫はどこかに消えたんだ。
「どこ行ったんだよアイツ」
すでに客の居ないホールではライブの後片付けが始まっている。一応薫の連れってことが伝わっているのか、取り立てて退場を迫られることも無く、俺はそのままテーブルで薫を待っていた。すると薫がニヤニヤしながらこっちへやって来た。
「お疲れー」
「どこ行ってたんだよ」
と、薫の後ろからゾロゾロと若い集団がやって来た。
「じゃーん。彼らが今沖縄で注目されているバンド、『黒南風』だよ」
「どうも、初めまして!」
「こんばんは!」
どういうことだ。ついさっきまでステージで演じていた六人のチャラ男……。もとい、メンバー達。その全員がめちゃくちゃ低姿勢で俺に挨拶してきたじゃないか。
「……ど、ども」
「で、彼がさっき言ったギタリストのデル」
「今日はわざわざ僕らのライヴに来ていただいて有難うございます! 僕、黒南風のリーダーやってる島村 兼一って言います。『シマケン』って呼んでください。今後ともよろしくお願いします」
「あ、いやこっちこそ……。えと、デルです。よろしく」
その後、メンバーひとりひとり、しっかりと礼儀正しく自己紹介してきたじゃないか。なんなんだこの好青年達は……。
「僕ら和泉さんにはいつもお世話になってます」
「お世話ってホドじゃないっしょ」
「あ、そうですね。ホントかなり、お世話になってます」
「アハハ、何それ?」
何だか楽しそうに盛り上がる二人。俺はただただ苦笑いするしか無かった。っていうか……薫一体何者なんだ?
「デルさん、僕らのステージどうでしたか?」
シマケンが唐突に問いかけてきた。正直、この質問は予想できた。が、さっきまで薫の前でボロクソに彼らを批判していた俺がココに居る。
「……う、うん、いや。そうだなぁ」
もう、とにかくここから逃げ出したい一心だった。