-1- 解散じゃボケェ!
それは、俺がまだギター少年だった二十歳の頃に遡る。高校の時に組んだ俺たちのバンドが、結成わずか二年とちょっとで消滅したあの日に……。
寂れた片田舎のライヴハウスから客が一人、また一人と店をあとにする。それは何年振りだろうか、白い雪がチラつくホワイトクリスマスだった。こんなちょっとしたロマンチックなクリスマスイヴの夜だというのに、似つかわしくない大きな怒号がその楽屋から響き渡ったんだ。
「ふざけんな! ボケェ!」
その大声の主は、俺たちのバンド『ローリング・クレイドル』のボーカルを演っていたケイン。顔立ちはその名の通りハーフでイケメン。ただ、興奮するとガキの頃暮らしていた名残から、ド関西弁がぶっ飛ぶツワモノだ。
「なんじゃ、お前ら! どいつもこいつもムチャクチャなステージ演りやがって!」
ケインが顔を真っ赤にして怒鳴りあげる。どうやらかなりご立腹のようだ。もっとも、顔が真っ赤なのはステージ後に楽屋でヤケ飲みしたビールの影響も多少あるようだが、今日のヤツの怒りっぷりは、いつもとはちょっと違っていた。
「デル! なんじゃあのギターはっ! 勝手にダラダラとソロなんか演りやがって!」
矛先がギターを担当している俺、通称『デル』に向けられた。俺がステージで気持ちよくなれば、大体、毎回、ソロが長くなるのは今に始まったことじゃない。でも、どうやら今日のケインには、それが政治家の国会答弁のようにウザかったようだ。
「チッ、うるせーな。もうそれくらいでいいだろ!」
ケインに楯突いたのはドラム担当の通称『マッチョ』。マッチョと言っても別に体格がゴツイわけではなく、プロレスラーの藤波辰巳をリスペクトしているかららしい。何故『ドラゴン』をチョイスしなかったのか、その理由は誰も知らない。
「なんじゃ! オラ! 文句あんねやったら言うてみんかい!」
火に油だった。ぶっちゃけると俺からみても、この日マッチョがケインに物申せられる立場では無かったのだ。実はドラマーの命であるドラムスティックを、ここに来るまでの電車の中に忘れてきたという大失態を冒していたからだった。幸い、ライヴハウスの備品を借りて事なきを得たが……。ケインがマッチョに食って掛かる。
「電車にスティック棄てるような奴に音楽のナニを問えるんじゃい! オラ! なんか言うてみい! オンドレメンドレ!」
ケインの関西弁がますます酷くなっていく。こうなると本場の関西人でさえ、『そんな関西弁使うか!』と、許容範囲を超えるガラの悪さに到達するのも時間の問題だ。ケインによれば『中途半端に関西で暮らした人間に表れる特有のクセ』らしいが……。はて、本当だろうか。
「クソッ、あー、胸糞悪いっちゅーねん!」
ケインは悪態をつくだけついていきなり楽屋を飛び出して行った。一度爆発したケインを止められるヤツはメンバーに居ない。俺たちはケインの居ない楽屋に少しホッとした。
普段は真面目で温厚なケインが、こんなにも感情をむき出しにするにはそれなりに理由もある。今日ヤツは最近付き合い出した彼女とデートの約束をしていたらしい。だが、なかなか借りる事の出来ないイヴのステージを、キャンセル待ちで運よく確保出来たこともあって、ケインは泣く泣くこのクリスマスイヴのデートを取りやめた。
だが、そんな思いをしてまで挑んだライヴにも関わらず、自分で言うのも難だが、俺たちのステージは酷かった。バンドっていうモノは、メンバー同士のちょっとした意志の擦れ違いで、音が百八十度変わることもある。演じている俺がその不協和音に気づく訳だから、当然客はもっと敏感に察知するだろう。そして、ケインもそれに気づいていた。
スティックを忘れたドラム。バイトがあるからとドタキャンしたベース。サポートメンバーの代役でやって来た、演奏歴たった一週間の素人キーボード。そして、自己中全開でギターをかき鳴らした俺。ケインはそんな演奏に嫌気がさしたのか、歌詞なんてそっちのけで序盤から執拗にシャウトを繰り返す。
結局、怒ったケインがセットリストの中盤でさっさと楽屋に引き上げてしまい、持ち時間を大きく持て余したまま楽器メンバーだけ取り残されたステージ。仕方なくそれっぽいジャムを十分間程度披露してステージを無理やり終わらせた。まぁ、俺から見ても本当に酷いステージだった。よく客が『金返せ』と言わなかったもんだ。
……いや、まぁ俺たち素人バンドのライヴなんて聴いている客は殆ど居なかったってのがオチだけど。そういや今日だって来ている客と言えば、例えるなら閑古鳥鳴いている川崎球場のスタンドで、試合そっちのけでちちくりあっているカップルみたいな客が数組だったっけ。
と、楽屋のドアが―ドン―という衝撃音と共に勢いよく開く。
「なんやねん! クソッ!」
ケインが携帯電話片手にブルブル震え楽屋に舞い戻ってきた。どうやら自分なりに頭を冷やして冷静になろうと外の空気を吸いに出たものの、外は何ともロマンチックなホワイトクリスマスだったという事実に気づき、おまけに極寒の中電話をかけても彼女と連絡がつかなかったらしく、さらにご機嫌が斜めになったようだ。
「もうええ、あーもうやってられるか! こんなバンド今日でもう解散じゃボケェ!」
唐突に飛び出した解散宣言。いや、本当は誰かがそのうち口に出すんだろうなと感じていたその言葉だった。ただ、それがケインから発せられるとは思わなかった。アイツはこのバンドに結構魂を注ぎ込んでいた。
「もうお前らとは会わんからな! 絶交じゃ! クソがっ!」
とにかく文章にするのも滅入るほどの罵詈雑言を発してケインは楽屋から姿を消した。
「それじゃあ……、僕これで失礼しまーす」
サポートメンバーの代役だった……。あれ、名前なんだったっけ? とにかくキーボードがノソノソと引き上げていく。サポートのサポートってどんだけ層が厚いんだウチのバンドは。いや、層が厚いんじゃない。肝心の層が薄いんだ。ミルフィーユなら約三層程度。フォークを入れればすぐに皿に当たる。
「さて、俺も帰るわ」
ドラムのマッチョもバツが悪そうな顔をして立ち上がると、俺も同じようにギターケースを手に立ち上がった。店の外に出るまで二人とも何も話そうとはしなかった。ケインのことも、今後のことも。
「じゃあ、またメールするわ」
「あぁ、お疲れ」
俺たちは店の前で別れた。この時、バンド『ローリング・クレイドル』は解散した。俺たちのオリジナルで、毎回ライヴでは必ず最後に演奏した『ダッシュ』。それを最後のこの日に披露することも無く。
この日の為に新調した黒のジャケットが、雪に埋もれて白く染まっていく。人もまばらな駅前では、この寒空の中居酒屋の店員が呼び込みしている。
「こんばんは! 今日はクリスマスなんでビール一杯百円です! どうですか!」
「……。マ、マジっすか?」
「ハイッ! マジっすよ!」
こんな夜は独り酒もいいかな。店員の兄ちゃんの威勢に押されるまま、俺は煌々と照らされた赤ちょうちんの世界へと吸い込まれていったのだった。