第19試合 坂戸青雲戦④
俺がベンチに戻ると、みんなが出迎えてくれた。
ただ、小田切先生だけは、ちょっと複雑な表情をしていたけれど。
「雄介、あんなサーブ、見たことねえ。練習してたのか?」
「……まあ。早いサーブがないから、宇都宮に聞いたりとかな」
「さっすが先輩です!」
宇都宮が笑顔で対応してくれる。ここまで、すごく時間がかかった。
--------------------------------
3月。春休み。
10月の事故から3ヶ月、トスは上げられるようになった。この肘で。
ただ、そこからのサーブは全くの未知の世界だ。
試しに、今持っている下回転、スライス、逆スライスを出してみる。トスはそのままだが、ポイントがやはりズレる。
もうこればかりは、練習するしかない。
俺は小田切先生の許可をもらって、朝7時から体育館でサーブの練習をするようにした。
最初は防球ネットを張るのも一苦労だった。
カゴに球を入れ、トスを出し、下、横、横下、YG。ナックル、上横、王子。
何回も、何回も練習を積み重ねた。
コースも、事故前とは変えた。
守備的になるのでバックサーブの種類も増やし、切れているサーブとそうでないサーブをできるだけ分からないように織り交ぜた。
横回転も、自分のバック側に飛ばすことでブチ切れカットで仕留められるように、フォロースルーも考えた。
「せんぱい……?」
ある日、若松が7時半くらいに、制服で体育館に来た。上にダッフルコートを羽織っている。かわいいな。
「おう、どうした?」
「え……こんな早くから練習してるんですか?わたし、補習で……ちょうど体育館の前通ったら音がしたので」
「そうだなあ……練習しなきゃ、追いつけない。今までの自分に早く追いつかないとな」
若松は、ちょっと涙目になって俺の近くによってきた。
当然だ、あの事故を見たのはこいつしかいないんだ。俺の右腕が車に潰されたところも、全部こいつだけが、見ている。俺の右肘を、じっと見つめた。
「なんで、そんなに頑張れるんですか……?」
不意に、質問が飛んできた。
「そりゃ、勝ちたいからだよ。パラ見てたら、こんな怪我で――」
「なんでせんぱいだけそんな辛い思いしなくちゃいけないんですか……」
もう半泣きだ。そりゃそうだよな。
俺は、軽く若松の頭を撫でて、
「俺は、これがハンデと思ってないんだ。この右腕が完全になくなって、ハマト選手みたいに脚でトスをあげる、とかなったら、また違ったかもしれない。でも、パルティカ選手のように実際にオリンピックのポーランド代表になった選手もいる。できるんなら、やるだけだ。それだけだよ」
「せんぱい」
「ん?」
「サーブ練、付き合います。いつもこの時間ですか?」
おいおい。若松は確か特進クラスだろ?勉強も大変のはずだ。俺はスポーツのほうだからそうでもないけど……
「バスケ部も朝練あるから小田切先生には月水金にって許可もらってるけど……いいのか?」
「はい。やります。やらせてください」
「義務感じゃ、ないよな?」
「違います。わたしが、せんぱいの、手助けをしたいんです。そしてわたしも強くなりたいんです」
こりゃ、聞かないな。
「OK。じゃ、よろしくな。助かるよ、この腕だとネットも張りづらかったんだ」
--------------------------------------
1ヶ月くらい、せんぱいと、サーブ練。
うらんは「それ最高じゃん!」と言っていたけど。
わたしは、とにかくせんぱいの助けになりたかった。
「若松、まずこれ、取ってくれ」
肘から正確なトス、そして純粋な下回転。ツッツキで素直に返す。
「サンキュー。じゃあ、これどうかな」
同じフォーム。でも一瞬だけ、ラケットの動きが変わった。
ツッツくと、上に飛んでいく。
「え?今の上ですか?」
「おう、正確には横上かな」
「え、全然わかんない……」
「これは使えそうだな……じゃあ、これ、取ってみてくれ」
トスを上げて、今度はYG。でもYGならともり先輩もかぐや先輩も、うらんだって出す。
下だ。しかもかなり強めにツッツけば……
しかし、返した打球は斜め上に飛んでいった。
「えええ?今下回転のYGじゃ……」
「お、いい反応だな。今のはインパクトを一瞬ずらして、横上に変えてる」
「横上?そんなのもできるんですか?」
「特訓したんだよ」
--------------------------------------
せんぱいの最後の快速フラットサーブのからくりも、わたしには教えてくれていた。
「若松、正直に聞いていいか。俺のサーブのインパクトのとき、俺の肘に目が行くか?」
「――行きます。というか、事故の瞬間を知っているわたしでなくても、行くと思います」
「そっか。じゃあ、使えるな」
せんぱいは、全部考え付くだった。
自分にないものを、自分にしか使えないものに変えてしまった。
「せんぱい、すごいです」
「おお、ありがとな」
『あそこ何か違う空気があるっショ』
『雄介ってあそこまで鈍感か?バカなのか?』
『天堂先輩、イケメン高身長って得ですよね……』
--------------------------------------
「よし、廣瀬!」
天堂が声をかける。大将。
「はい……」
廣瀬は真っ青だ。
「おい。気合い入れろ。去年埼玉県シングルのベスト4だろうが!」
「そうッショ。普通にやればいいとこいけるッショ」
「頼むぜ、廣瀬!」
ふらふらと揺れながら、廣瀬はコートに向かった。
「大丈夫ですかね……」
若松が聞いたが、
「わかんねえが、廣瀬は弱くない。任せるしかないよ」
--------------------------------------
とうとう、俺の番が来てしまった。
来てほしくないって思っていたことが、来てしまった。
台の前に立つと、急に喉が渇いた。
相手は能見直哉さん。坂戸青雲の主将で、去年の県大会でシングルス・ベスト8。
今日はすでに一度、天堂主将に敗れている。
だが、それで格が落ちるわけじゃない。
むしろ、負けた分の悔しさを、そのまま俺にぶつけてくるはずだ。
ペンホルダーの日本式ドライブ。
裏面に貼った一枚表ラバーを使い分ける、器用な選手だと聞いている。
「よろしくお願いします」
礼をして、台につく。
ここまでの試合を、俺はずっとベンチで見ていた。
天堂主将の力強いドライブ。
影山さんの鋭いスマッシュ、決めきれずに終わった悔しさ。
鹿鳴館先輩とヒサさんの息の合ったコンビネーション、それでも競り負けた一戦。
そして、結城先輩の、あの長い長い応酬から、最後は思いもよらない一本での決着。
みんな、それぞれの武器で戦っていた。
俺には、それがない。
第1ゲーム。
能見さんのサーブから始まる。
短い下回転、台上での駆け引き。
俺は無難に返した。
だが、能見さんの反応は速い。
すかさずフラットでの強打を打ち込んでくる。
「くっ」
何とかブロックしたが、次のドライブで決められた。
第1セット。
3-11。
完全に、力の差を見せつけられた立ち上がりだった。
第2ゲーム。
俺は、負けたゲームは基本的に忘れることにしていた。しかし、ここはそんな場所ではない。
負けること=チームの終了なのだ。
少し落ち着いて、コースを意識する。
だが、能見さんはこちらの狙いを、簡単に見透かしてくる。
経験の差が、そのまま点差になっていた。
5-11。
連取された。
--------------------------------
これだ、っていう戦型が、俺にはない。
垂木と話したときのことを思い出す。
あいつは、粒高ブロックという一点に、すべてを懸けていた。
試合で誰かが「やりにくい」と顔をしかめる瞬間を、俺はベンチから何度も見てきた。
鹿鳴館先輩は、頭の良さと演出で、基礎のなさを補っていた。
結城先輩は、事故で失ったものを、視線を誘導するという発想で埋めていた。
宇都宮先輩は、サーブという一点特化で、部内でも独自の立ち位置を作っていた。
みんな、何かを埋めるために、一つのことを研ぎ澄ませてきた。
俺には、埋めるべき欠落すら、はっきりしていない。
器用に、そこそこ何でもできる。それだけだ。
――だったら。
埋めるものがないなら、今持っているものを、全部並べるしかない。
フットワーク、ドライブ、ブロック、サーブ。
一つ一つは、誰かの一点特化には及ばない。早坂先輩にフットワークやドライブでは勝てないし、初心者の垂木にも今やブロックでは多分負ける。サーブは宇都宮先輩みたいに30個も持っていない。
それでも、それを全部繋げられるのは、今この台の上で、俺しかいない。
器用貧乏で、上等だ。
第3ゲーム。
開き直った分だけ、体の動きが軽くなった気がした。
能見さんの強打を、無理に一発で返そうとせず、まずブロックで繋ぐ。
次のボールをドライブで叩き、崩れたところをフットワークで追い込む。
一つ一つの技術は地味でも、繋げることで、じわじわと能見さんのリズムを崩していった。
8-8。
久しぶりに、点差が拮抗する展開になった。
11-9。
ようやく、1ゲームを返した。ベンチから、小さな拍手が聞こえた。
第4ゲーム。
能見さんも、態勢を立て直してきた。
単発の技じゃ通用しないと悟ったのか、コースとタイミングを複雑に変えて、揺さぶりをかけてくる。
それでも、こっちは崩れるわけにはいかなった。
読まれても、また次の繋ぎを探す。粘り強く、諦めずに、拾って、繋いで、隙を見て叩く、を繰り返す。
競り合いの末、11-9。際どいところで、制した。
2勝2敗。勝負は、ファイナルゲームに託された。
第5ゲーム、ファイナル。
最後のゲーム。手のひらに、じっとりと汗をかいているのが分かった。
能見さんのサーブ。
短い下回転。今度は、俺から仕掛けた。
丸山さんや結城先輩ほどのチキータは打てない。
それでも、練習で見てきた技を、自分なりに真似た台上のフリック(※1)。手首が固い俺は、チキータは無理でも、台上のフリックならまだ出せる。
チキータとは違う直線的な軌道を描き、少し浮いた球を、能見さんが叩く。
だが、その一本を、俺はぎりぎりブロックで拾った。
ラリーが続く。
拾って、繋いで、隙を見て叩く。
それの繰り返し。派手さは何もない。
それでも、点差は、少しずつこちらに傾いていった。
9-9。
最後の競り合い。
能見さんのドライブが、フォア深くに突き刺さる。
反応が遅れかけたが、体が勝手に、追いついていた。
ぎりぎりのブロックが、ネットすれすれを越えて、相手のコート奥に落ちた。
拾いきれなかった能見さんが、天を仰いだ。
10-9。
次の一本。
能見さんは、トスを上げ、思い切って裏面で純横回転のショートサーブ。
『なんで一枚ラバーでこんな切れてる(※2)んだよ?!』
返すのがやっとだ。回り込む能見さん。
「ふっ!」
速いドライブがバック側を襲う。早坂先輩よりも早いかもしれない。
「畜生……っ!!」
バックハンドにラケットを出す。当たれ。まぐれでもいい。デュースなんて、冗談じゃない。
この人にデュースで勝てる気がしない。
カキッと変な音がして、ふわりと浮いた。俺のバックハンドの支えていた指にボールが当たったのだ。
痛ってえ。
――でも。
そのせいで、ふらふらと球が揺れ、ネットの上に転がった。
冗談じゃない。デュースでこの人にはもう勝てない。頼む。結城先輩が言ってた勝利の女神。俺に微笑んでくれなくても良い。今、この1点を俺にくれ!
落ちろ。落ちてくれ。向こうに、能見さんの方に……
――向こうに、落ちた。
能見さんが必死にラケットを投げるように滑らせたが、届かなかった。
「ゲーム & マッチ トゥ 廣瀬。 3-2」
「すみません」
俺はラケットを一旦台に置き、能見さんに謝った。
ネットイン、エッジは謝るのがマナー。
テーブルテニスは、紳士の国生まれのスポーツだ。
ラケットを合わせに行くと、
「やられたよ。最後は……運を引き込まれた。俺はいないけど、うちと練習試合してくれな。君は、強いよ」
「ありがとうございます!」
「よっしゃあああ!」
声を上げたのは、天堂主将だった。
ベンチ全体が、一斉に沸いた。
「廣瀬! ナイスファイト!」
結城先輩が、駆け寄ってきて肩を叩いてくれた。
「これだっていう一本、見つかったか?」
その質問に、少しだけ笑ってしまった。
「いや、まだです。でも――全部繋げれば、何とかなるってことは、分かりました」
「上等だよ」
結城先輩は、それだけ言って笑った。
次は、準々決勝。埼玉英修学院だった。
俺の中の何かが、少しだけ形を持ち始めた気がした。
坂戸青雲戦リザルト
S1 ✕能見 1-3 天堂〇
S2 〇高橋 3-2 影山✕
D 〇羽村・土屋 3-1 鹿鳴館・早坂✕
S3 ✕和田 2-3 結城〇
S4 ✕能見 2-3 廣瀬〇
※1 フリックとは、台上に来たボールを強くはじくように打つ、攻撃的な台上技術。チキータと比べると、回転量は落ちるものの早い球を飛ばすことができる。
※2 回転がかかっていること。一枚ラバーの能見がこの回転を出せるのは筋肉量が異常であると推測できる。




