4 結末は保留
昼過ぎ。
幸一は都内の小さな喫茶店にいた。
駅前の雑居ビルの二階、漫画家と編集が打ち合わせによく使う店だ。コーヒーの匂いと古いエアコンの風が混ざっている。
向かいには担当編集の佐伯が座っていた。
こうやって直接会って、画面越しではない会話をする。
(非言語コミュニケーションか)
ついで食事を奢ってくれたりもする。
幸一はタブレットをテーブルに置く。
「新しいネームです」
佐伯は軽くうなずき、指で画面をスクロールし始めた。
編集はいまだに紙で読む人間が多いらしいが、佐伯はどちらでもいいという。
読む速度は速いが、ときどき指が止まり、コマを戻す。
幸一はその間コーヒーを一口飲んだ。カップを置く音だけが少し大きく聞こえる。
画面の漫画は大学生が主人公だ。安アパートで一人暮らしをしている。そこに宇宙人を名乗る女が転がり込んでくる。
ページの中で、大学生が冷蔵庫を開ける。
「昨日買ったプリンがない」
すると女が言う。
「私が栄養バランスを最適化しました」
「食ったのかよ」
また違うページ。
女が炊飯器を分解している。
「電力の熱変換を最適化します」
そんな調子の日常コメディだ。
しばらくして佐伯が顔を上げた。
「キャラはいいですね」
「キャラ?」
「この女の子。宇宙人なのにちょっとポンコツで、でも妙に自信満々で」
「ポンコツ……」
言われてみるまで、そう思わなかった。
(天然だと思ってたし、本当に宇宙人だし……)
「読者は好きだと思いますよ」
佐伯はタブレットを軽く叩く。ここまではお褒めの時間。
「ただ」
(そら来た)
幸一は身構えた。
「オチが弱いですね」
「弱いですか」
「うん。悪くはないんですけど」
ページを少し戻す。
「ここまで積み上げて、最後が弱い」
最後のページでは大学生が困り顔で、女は得意げにしている。
佐伯は言う。
「この三コマ、同じ情報なんですよ」
「同じ?」
「主人公が困る、女が気にしてない。それが続くだけ」
指で順にコマを叩く。
「ここで状況が一段変わればオチになります」
「……」
「日常系でも最後は落としたいですね」
タブレットを返しながら言った。
「キャラは武器になりますよ。でも――」
「オチをもう一段?」
佐伯は頷く。
幸一はネームを見ながら思う。
(まあ……)
確かに。
(まだ現実がオチてないしな)
夕方。
四畳半の部屋。
ちゃぶ台の上にタブレットを置き、幸一はネームを眺めていた。ペンを持っているが動かない。
「オチか……」
最後のページを何度もスクロールする。
主人公が困る。女が自信満々。それで終わり。
確かに弱い。
「どうするかな」
そのとき玄関のドアが開いた。
「ただいま戻りました!」
やけに元気な声だった。
幸一は振り向く。
「お帰り」
ソラが立っている。妙に姿勢がいい。声の張り方も、いつもより芝居がかっている。
(帰宅のパターンが今日は違うな)
幸一は思った。
「今日はずいぶん元気だな」
「帰宅時の挨拶は重要です」
「昨日までそんなこと言ってなかっただろ」
「改善しました」
「急に改善するな」
これは、ポンコツだったのか。
相変わらず遠慮なしに覗き込んでくる。
「何をしているのですか」
「ネーム」
「マンガの設計図ですね」
「そう」
幸一はタブレットを向けた。
「ちょっと見てくれ」
ソラはちゃぶ台の向こうに座り、画面を見る。
ページをめくる。大学生の主人公。そこに同居する妙に自信満々な女。
数ページ読んで、ソラの動きが止まった。
「これは何ですか」
「だからマンガ」
「違います」
ソラは画面を指差す。
「この人物」
「うん」
「明らかに私がモデルです」
幸一は肩をすくめた。
「宇宙人だからな」
「つまり私を題材にしています」
「まあそうなる」
ソラは断言した。
「これは侮辱です」
「え」
「このキャラクター」
画面を叩く。
「能力が著しく低いです」
「ポンコツキャラだから」
「私はこのような欠陥個体ではありません! 観察端末としての性能評価を著しく誤っています!」
(え、怒ってる? でも……)
自覚がないのか。
彼女の評価軸ではそうなのだろう。
さらにページを指す。
「それに、ここ!」
宇宙船の通信が不安定になり判断が狂う回だ。
「宇宙船が地球の影に入るため性能が低下する」
「そうそう」
ソラは言った。
「その程度で性能は落ちません」
「落ちないのか」
「当然です」
「マンガなんだよ」
「誤りです」
ソラは怒っていた。
少なくとも幸一にはそう見えたし、間違いではないと思う。
幸一はネームを見た。
そして思った。
(……宇宙人なんだよな、こいつ)
「編集に言われたんだよ」
「何をですか」
「キャラはいいけどオチが弱い」
ソラは少し考えた。
「オチ」
「最後が弱いらしい」
「分析します」
ソラはネームをじっと見た。
おそらくとても真摯な眼差しだった。
幸一は少し期待した。
(宇宙人の分析なら、何か出るかもしれない)
一度スキャンするように、全ページを閲覧。
そしてソラはネームを指さしながら言う。
「まず構造」
ページを指す。
「この三コマは同じ情報です」
指摘。
「主人公が困る」
次のコマ。「キャラクターが自信満々」
次のコマ。「また主人公が困る」
もう妙に冷静な顔に戻っていた。
「状況が変化していません」
ソラは言った。
「ギャグが予測可能です」
幸一は顔をしかめた。
(でもギャグとは分かるのか)
「結果として読者の期待を超えていません」
「つまり?」
「編集の指摘は妥当です」
幸一は天井を見た。
「……」
宇宙人でも、言うことは編集と同じだった。
しかし。
幸一はもう一度ネームを見る。
最後の三コマ。
同じ状況。
同じ関係。
「……いや」
幸一はペンを持った。
もし。
オチが弱いのではなく――。
(落とさないこと自体をオチにするなら?)
宇宙人と暮らしている。
彼女はアルバイトもしている。
偽履歴書まである。
(経歴詐称は立派な犯罪だな。人間にとっては)
現実の方が、すでに十分おかしい。
幸一はネームの最後のコマを見て、小さく笑った。
「これでいいかもしれないな」
「よくありません。修正を求めます」
ネームは改善したが、ソラは納得しなかった。




