第9話 安全だと思った場所で
第一階層を“一人で歩ける”ようになった、と言われてから二日後。
俺は再び、入口の前に立っていた。
ミラはいない。
今日は完全な単独行動だ。
胸の奥に、重たい塊がある。
だが、それは恐怖だけじゃない。判断を他人に委ねなくていい、という緊張だ。
「……行く」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いて裂け目をくぐる。
空気が変わる。
耳が、勝手に情報を拾い始める。
水滴、反響、自分の呼吸。
入口から十歩。
異常なし。
二十歩。
砂が細かい。吸音が強い。
三十歩。
反響、やや弱い。
――問題ない。
その判断に、俺は一拍、間を置いた。
“問題ない”と感じた瞬間こそ、疑え。
俺は、足を止めた。
ノートは開かない。ここは、身体で覚える段階だ。
この場所は、これまで何度も通っている。
事故もなく、例外も出ていない。
俺の中で、無意識に“安全地帯”と分類されていた。
だからこそ。
俺は、あえて、しゃがみ込んだ。
地面に、指先を触れる。
冷たい。
砂の下に、わずかな硬さ。
「……?」
指で、そっとなぞる。
砂が、薄い。
次の瞬間、背中に走る悪寒。
――近い。
振動。
ほんの、微かな揺れ。
俺は、すぐには動かなかった。
逃げない。跳ねない。踏み込まない。
代わりに、ゆっくりと体重を後ろへ移す。
踵から、足を引く。
その動きに合わせて、地面の下で“何か”が動いた。
例外個体。
しかも、今までより浅い位置だ。
――ここは、安全じゃなかった。
――安全だと、思い込んでいただけだ。
心拍が上がる。
だが、呼吸は乱さない。
俺は、小石袋を外し、昨日と同じ手順で地面に置いた。
そして、袋を少しずつ引きずる。
振動は、最小限。
それでも、“何か”は反応する。
距離が、詰まる。
「……違う」
俺は、歯を食いしばった。
昨日の方法は、通用しない。
相手が、近すぎる。
視線を、天井に向ける。
水滴。
等間隔。
だが――この場所、天井が低い。
俺は、ゆっくりと立ち上がり、岩の張り出しの下へ移動した。
足は、滑らせるように。
水滴が、すぐ近くで落ちる。
ぴしゃ。
振動が、上から伝わる。
地面の揺れが、止まった。
影は、混乱している。
下から来る振動に慣れた個体が、上からの刺激に注意を奪われている。
俺は、その隙に、後退した。
一歩。
二歩。
背後に、入口の気配。
最後の一歩を踏み出した瞬間、地面がわずかに盛り上がった。
だが、もう遅い。
地上の光が、足元を照らす。
俺は、外に転がり出るようにして、ダンジョンを出た。
しばらく、その場で動けなかった。
手のひらが、冷たい石に触れているのを感じる。
「……安全だと思った場所で、死にかける」
小さく、そう呟いた。
ノートを開く。
文字を書く手は、少し震えている。
――第一階層・単独行動。
――安全地帯という概念は、錯覚。
――例外は、記憶の隙間に現れる。
書き終えたとき、はっきり理解した。
第一階層は、攻略できる場所じゃない。
“慣れ”を削り続ける場所だ。
そして俺は、ようやく気づいた。
ここを越えられない人間は、次へ行く資格がない。
入口を見下ろしながら、深く息を吸う。
次は――
ここを“理解した上で”、踏み込む。
第一階層は、まだ俺を離してくれない。
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