第4話 周回という選択
第一階層を出てから三日後、俺たちはまた入口の前に立っていた。
空は晴れている。街道には行商人の声が響き、遠くで子どもが走り回っている。あまりにも日常的で、ここが“死地の入口”だという感覚が薄れそうになる。
だからこそ、ミラは立ち止まらせた。
「入る前に確認する」
彼女は一人ずつ、視線を合わせる。
「今日も奥へは行かない。戦闘しない。目的は周回。規則の再確認と、例外探し」
ロウが短くうなずいた。
「分かってる。剣は抜かない」
俺は、胸の前でノートを抱えた。
逃げ腰じゃない。昨日までの俺なら、そう言われても仕方がない。でも――
裂け目をくぐった瞬間、身体が自然と“切り替わった”のを感じた。
耳が先に働く。目よりも、足よりも。
水滴の音。反響。自分たちの呼吸。
「……入口付近、昨日と同じ」
俺は小声で言った。
「水音、等間隔。魔物の気配なし」
ミラが歩幅を合わせる。
「記録」
俺はノートに、短く印を付けた。
――入口〜十歩。異常なし。
周回は、単調だった。
進んで、止まって、聞いて、戻る。
同じ場所を、同じ距離だけ。昨日とほとんど変わらない経路。
それでも、気づくことはあった。
「……ロウ」
俺は立ち止まって、彼を見た。
「右足、少し重く踏んでる」
「え?」
「癖です。疲れてくると、音が一瞬だけ大きくなる」
ロウは顔をしかめ、意識して歩き直した。
確かに、音が減る。
「……自分じゃ分からんな、これ」
「だから、周回する」
ミラが淡々と言った。
「慣れじゃなく、把握するために」
中ほどまで来たところで、昨日と違う“違和感”があった。
水滴の音が、少し近い。
「……天井、低くなってる?」
ロウが見上げる。
俺も目を凝らした。
確かに、岩の張り出しが増えている。ほんのわずかだが、反響が変わる。
「構造が……変わってる?」
言葉にした瞬間、背筋が冷えた。
「完全に同じじゃない、ってことね」
ミラは落ち着いている。
「でも、急変じゃない。第一階層は“微調整”程度」
微調整。
その言葉が、妙に引っかかった。
俺は、小石を一つ、例の脇道に向かって投げた。
音は、昨日と同じように響く。
影が、一つ動いた。
だが――
「……遅い」
ロウが、目を細める。
確かに、反応が一拍遅れている。
距離か。構造の変化か。音の反響か。
「昨日より、反応半径が狭い」
俺はノートに走り書きする。
「同じ規則でも、条件が違う」
その瞬間、俺ははっきり理解した。
第一階層は“解ける謎”じゃない。
“変わり続ける問題”だ。
だから、周回する意味がある。
一度きりの攻略じゃなく、何度も確かめる。
「今日は、ここまで」
ミラが判断した。
「十分な収穫よ」
帰路は、驚くほど静かだった。
魔物は近づかない。音も乱れない。
まるで、こちらの行動を“許可”されているみたいに。
地上に戻ると、ロウが大きく息を吐いた。
「……不思議だな。前より怖いのに、前より落ち着いてる」
俺も、同じだった。
恐怖が消えたわけじゃない。
ただ、形を持ち始めた。
ギルドに戻り、俺はノートを机に広げた。
雑多だった記録を、線でつなぎ、簡単な図にまとめる。
――第一階層:音に反応。
――ただし、反応は一定ではない。
――構造・距離・音質で変化する。
――一度の成功は、再現しない。
書き終えたとき、ミラが背後から覗き込んだ。
「……周回できる人間は、少ない」
「怖いから、ですか」
「いいえ」
彼女は静かに首を振る。
「飽きるから。成果が地味だから」
俺は、ノートを閉じた。
確かに、派手な成果はない。宝も、討伐もない。
でも――
「俺は、これをやります」
自然と、言葉が出た。
「一度で勝つより、何度でも生き残る」
ミラは、少しだけ笑った。
「それができるなら、あなたはもう“雑用”じゃない」
ダンジョンは、今日もそこにある。
だが俺にとって、第一階層は“通過点”じゃなくなった。
ここは、学ぶ場所だ。
生き残るための、最初の教室として。




