第31話 何も起きない場所
第三階層の入口は、拍子抜けするほど静かだった。
第二階層までにあった、あの嫌な圧迫感もない。
空気が歪む感じも、距離が狂う感覚もない。
ただ――薄暗く、広い。
「……本当に、ここ?」
思わず口に出すと、ミラが小さく頷いた。
「間違いないわ。記録上は、ここから第三階層」
俺は、一度だけ深く息を吸った。
そして、意識的に“考える速度”を落とす。
第二階層では、速さが必要だった。
だが、ここでは――速さそのものが、罠になりそうだった。
一歩、踏み出す。
何も起きない。
二歩目。
三歩目。
やはり、何もない。
音も、振動も、変化もない。
拍子抜けするほど、普通だ。
――だからこそ、頭が勝手に動き出す。
「……静かすぎる」
そう思った瞬間、自分の中で言葉が形を持ちかけるのを感じた。
静か=安全?
広い=試練?
何も起きない=選別?
思考が、勝手に意味を探し始める。
「……違う」
俺は、喉の奥で呟いた。
「今は、考えない」
ミラを見ると、彼女も同じように眉を寄せていた。
だが、何も言わない。
それが、ありがたかった。
さらに進む。
壁際に、淡い光が揺れているのが見えた。
ただの反射か、結晶か、それとも――
――“象徴”?
その単語が、脳裏に浮かんだ瞬間、心臓が跳ねた。
危ない。
俺は、足を止めた。
そして、意識的に視線を外す。
光を見ない。
意味を考えない。
ただ、「そこにある」とだけ認識する。
背中に、じっとりと汗が滲んだ。
第二階層のような即死の恐怖じゃない。
もっと、内側から来る不安だ。
ミラが、小さく囁く。
「……何か、感じる?」
「はい」
正直に答える。
「意味を、考えさせられます」
ミラは、一瞬だけ目を閉じた。
「……それ、怖いわね」
その一言で、救われた気がした。
少なくとも、俺だけじゃない。
さらに数歩進むと、何もない空間のはずなのに、
ふと、自分の過去が頭をよぎった。
初めてダンジョンに入った日。
第一階層で、仲間を失いかけたこと。
第二階層で、正解に縋りそうになったこと。
――意味を、繋げようとしている。
ここは、
こちらが“物語を作る”のを、待っている。
「……戻ろう」
俺は、はっきりと言った。
ミラは、すぐに頷いた。
「ええ。今は、十分」
深追いしない。
理由を作らない。
成果を求めない。
振り返って歩き出すと、
第三階層は何も言わず、何も変わらず、
ただそこにあり続けていた。
境界を越えた瞬間、
胸の奥に溜まっていた緊張が、ようやく抜ける。
俺は、思わず大きく息を吐いた。
「……何も、起きませんでした」
ミラが言う。
「はい」
俺は答える。
「でも――何かを“起こしそう”でした」
地上に戻り、ノートを開く。
ペンを持つ手が、一瞬止まった。
だが、書かない。
規則も、感想も、仮説も。
何も残さない。
ただ、ページの端に小さく日付だけを記した。
第三階層は、
危険を見せない。
代わりに、
**意味を欲しがる自分を、むき出しにする。**
それが分かっただけで、
今日は、十分だった。
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