第21話 切れなかった一歩
カインが一人で第二階層に入ると言ったとき、俺は止めなかった。
止める理由が、言葉にできなかったからだ。
「今日は、少し奥を見る」
それだけ言って、彼は境界の前に立った。
ミラが眉をひそめる。
「一人で?」
「ああ」
カインは振り返らない。
「二人だと、判断が混ざる」
それは、彼らしい理屈だった。
そして、俺には反論できなかった。
「……深追いはするな」
それだけ、言う。
カインは、肩越しに手を振った。
合図でも、約束でもない。
ただの動作だ。
境界を越えた瞬間、彼の姿から“音”が消えた。
距離感が、急に曖昧になる。
俺とミラは、境界の外で待った。
追わない。
助けに行かない。
それが、ここでの正解だと、頭では分かっている。
一分。
二分。
何も起きない。
「……長い」
俺が呟くと、ミラが小さく頷いた。
「ええ。長すぎる」
カインは、速い。
違和感を感じたら、即引く。
それが、彼のやり方だ。
なのに――戻ってこない。
胸の奥に、嫌な感覚が広がる。
理屈じゃない。
ただの、予感。
「……行きます」
俺は、一歩踏み出しかけて、止まった。
ミラが、俺の腕を掴む。
「だめ」
「でも――」
「あなたが行っても、二人死ぬだけ」
正しい。
あまりにも、正しい。
その時、境界の内側で、空気が歪んだ。
音は、ない。
だが、はっきりと“沈む”気配が伝わってくる。
「……っ!」
次の瞬間、カインが転がるように境界を越えた。
いや――越え“かけた”。
片脚が、内側に残っている。
「……切れなかった」
掠れた声が、聞こえた。
床が、ゆっくり沈む。
彼の脚を、選ぶように。
俺は、考える前に動いていた。
境界ギリギリまで走り、腕を伸ばす。
ミラの制止の声が、背後で弾ける。
カインの腕を掴む。
その瞬間、空気が、はっきりと反応した。
――近づきすぎた。
「……離せ!」
カインが叫ぶ。
「お前も、巻き込まれる!」
分かっている。
分かっているのに、手が離れない。
床の沈下が、加速する。
選択肢が、消えていく。
「……ミラ!」
俺が叫ぶ。
次の瞬間、俺の背中に強い衝撃が走った。
ミラが、俺ごと引き倒したのだ。
俺とカインの手が、離れる。
床が、完全に沈んだ。
境界の向こうで、空間が静かに閉じる。
そこに、音はない。
俺は、地面に叩きつけられたまま、動けなかった。
喉が、張り付く。
「……っ、くそ……」
拳を握りしめる。
正しかったのは、どれだ。
引く判断か。
掴む判断か。
しばらくして、ミラが静かに言った。
「……生きてるわ」
顔を上げると、境界の外側に、カインが転がっていた。
片脚は血に染まり、膝から下が、歪な角度で動かない。
だが、呼吸はある。
「……失敗だ」
カインは、天井を見つめたまま言った。
「切るのが、半拍遅れた」
俺は、言葉を失った。
彼ですら、遅れた。
「速さじゃない」
カインが、続ける。
「慣れだ。……俺も、慣れてた」
その言葉が、重く落ちる。
考えないことで生き残ってきた男が、
“自分は大丈夫だ”という感覚に、殺されかけた。
ミラが、治療の準備をしながら言う。
「第二階層は、線を越えさせないための場所じゃない」
「……」
「線を、**自分で引けなくなった瞬間**を、殺しに来る」
俺は、境界を見つめた。
静かで、何も語らない裂け目。
第二階層は、克服できる場所じゃない。
理解も、速さも、直感も――
**続けた瞬間に、裏切られる。**
カインが、目を閉じる。
「……今日は、俺の負けだ」
その言葉を、否定できなかった。
ここには、正解がない。
だからこそ、線を引き続けなければならない。
俺は、はっきりと理解した。
この階層は、
“強さ”を試しているんじゃない。
**限界を、忘れるかどうか**を試している。
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