第15話 近づかなかった結果
その判断は、正しかった。
少なくとも――俺は、そう思っていた。
第二階層の境界には近づかない。
混合領域で止まり、第一階層側から観察する。
条件に入らなければ、反応も起きない。
ここ数日、それで問題は起きていなかった。
「……今日も、変化なし」
俺はノートに印をつける。
ミラは少し離れた位置で、周囲を見渡していた。
「“起きない”ことが続くと、人は油断する」
「分かってます」
そう答えたが、胸の奥にわずかな余裕があったのも事実だ。
――近づかなければ、安全。
少なくとも、この境界では。
その時、足音がした。
「……あ?」
通路の向こうから、二人組の探索者が現れる。
見覚えはないが、装備は中堅クラスだ。
「ここ、第二階層の入口だろ?」
片方が、普通の声で言った。
「なんか、立ち止まってるみたいだけど」
俺は、反射的に答えた。
「今は、近づかない方がいいです」
相手は、怪訝そうな顔をする。
「近づかなきゃ、何も起きないんだろ?」
「……それは」
「噂で聞いたぜ。距離が条件なんだってな」
胸が、ひやりとした。
情報が、また独り歩きしている。
「条件は、それだけじゃない」
俺は、言葉を選びながら続けた。
「境界は――」
言い終わる前に、探索者の一人が、一歩前に出た。
その瞬間。
空気が、揺れた。
「……っ!」
床が沈む。
音もなく、滑らかに。
だが、沈んだのは――彼らの足元じゃない。
俺たちの、背後だ。
「な……!?」
ミラが、即座に俺の腕を引く。
距離条件は、進行方向だけじゃない。
“近づかない”という判断そのものが、条件を満たしてしまった。
境界を基準に、一定距離内に留まり続けた。
それ自体が――接近として認識された。
「動くな!」
俺は叫んだ。
もう、声量は気にしていられない。
探索者たちは、状況を理解できていない。
混乱したまま、一歩、後ろへ下がる。
床が、さらに沈んだ。
「引け! 一気に戻れ!」
ミラが叫ぶ。
俺は、歯を食いしばり、判断を切り替えた。
留まるのは、もう駄目だ。
走る。
第一階層側へ。
背後で、短い悲鳴が上がった。
振り向く余裕はない。
境界を越えた瞬間、音が戻る。
水滴の音が、やけに大きい。
俺とミラは、入口付近まで走り抜け、ようやく立ち止まった。
しばらくして、もう一人の探索者が、這うように戻ってきた。
顔は蒼白で、片脚を引きずっている。
「……何が、起きた」
掠れた声。
俺は、答えられなかった。
代わりに、ミラが短く言う。
「“近づかない”だけじゃ、足りなかった」
その夜、俺はノートを開いた。
手が、重い。
――第二階層・境界。
――留まり続けることも、条件になる。
――正しい判断は、状況次第で裏切られる。
最後に、一行、付け足す。
――学習した直後が、一番危険。
書き終えて、深く息を吐いた。
近づかなかった。
確かに、考えた。
だが、考えた結果に、縋りすぎた。
第二階層は、思考そのものを罠にする。
一つの答えに、居座る者を。
俺はノートを閉じ、静かに誓った。
次は――
**答えを、持ち続けない。**
それが、この階層で生き残るための、
新しい前提条件だ。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




