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慎重すぎる探索者は、ダンジョンで長生きする 〜攻略しない探索者の、純冒険成長記〜  作者: 風間レオ


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第1話 音を立てたら、死ぬ

この物語に、派手な無双はありません。

あるのは、失敗と撤退と、

それでも次は生き残ろうとする試行錯誤だけです。


分からないまま進む怖さを、

ダンジョンという形で描いています。

 ダンジョンの入口は、街の外れの採掘跡にぽっかり口を開けていた。

 岩肌に刻まれた黒い裂け目は、風を吸い込み、吐き出し、まるで呼吸しているみたいに見える。入口の縁には「第一坑道・第一階層」と刻まれた金属板。何度も磨かれた跡があって、ここが“日常の死地”であることを示していた。


「おい、新顔。荷は軽くまとめたか?」

 声をかけてきたのは、灰色の髭を短く整えた男――バルド。探索者として二十年やってる、と噂に聞くベテランだ。肩に担いだ槍は使い込まれ、金属部が鈍く光っている。


「はい。水袋、包帯、火打ち石、予備の紐。指示された分だけ」

 俺は背の低い荷箱を背負い直しながら答えた。胸の内側が、冷たい指で撫でられているみたいにざわつく。


 俺の役割は探索者じゃない。正確には“探索者見習い”だ。ギルドの下働きの延長で、荷運びと記録。前衛でも後衛でもない。戦う力も、戦える自信もない。

 なのに、今日はダンジョンに入る。


「緊張してる顔だな」

 笑ったのは、前衛の若い男――ロウ。身長は俺より頭ひとつ大きく、鎧は新しい。手に持つ剣の刃が、朝日を受けて眩しかった。


「当たり前だろ。俺、初めてなんだ」

「初めてならなおさらだ。こういうのは慣れだよ、慣れ。なあ、ミラ」

 ロウが振り返ると、白いローブの女――ミラが小さく息を吐いた。腰には薬草袋と小さな杖。回復役だ。


「慣れって言葉で片付けると、死ぬのも慣れみたいに聞こえる。……新顔、名前は?」

「……リオです」

 名乗ると、ミラは俺の足元、靴紐を見た。結び目が少し緩い。


「結び直して。ほどけたら音が出る」

「音?」

 俺は反射的に聞き返した。


 バルドが顎で入口を示した。「中で説明してやる。入口の前で喋りすぎると、耳が慣れない」


 意味が分からないまま、俺たちは裂け目へ足を踏み入れた。


 ――空気が変わった。

 湿り気を含んだ冷気が皮膚に貼りつく。外の匂いが消え、石と土と、どこか金属が錆びたような匂いだけになる。足元の地面は固く、しかし砂が薄く積もっていて、踏むたびに小さく擦れる音がした。


 その音が、やけに大きく聞こえた。


「……足、引きずるな」

 先頭のバルドが小声で言う。小声なのに、洞窟の壁が拾って、少し遅れて反響する。俺の喉が勝手に乾いた。


「第一階層は“音を嫌う”。こいつは常識だ」

 バルドが歩きながら言った。「大声を出すな、金属同士をぶつけるな、転ぶな。剣を抜く時の音もな。調子に乗って喋る奴は、何回も見てきた」


「音を嫌うって……魔物が聴覚で追ってくるんですか」

 俺が言いかけた瞬間、ミラの目が鋭くなった。指が口元に上がる。

 俺は慌てて口を閉じた。自分の声が、洞窟の奥へ飛んでいく気がした。


 ロウが笑って、しかし声を出さずに肩をすくめる。慣れだ、ってことか。だが、慣れた人間の余裕が、ここでは恐ろしい。


 坑道は古い。壁には崩れた木枠の残骸があり、ところどころに錆びた釘が突き出している。天井からは水滴が落ち、一定の間隔で「ぽと、ぽと」と響く。

 その音に、俺の耳は過敏に反応した。水滴一つでさえ、ここでは合図みたいに思える。


 少し進んだところで、バルドが足を止めた。手のひらを上げる。俺たちは一斉に止まる。

 静寂。

 水滴の音だけが規則正しく続く。


 その規則が――一瞬、乱れた。


「……?」

 俺の背筋が勝手に伸びた。水滴の“ぽと”が一つ抜けた。代わりに、遠くで砂を擦るような、かすかな音が混じった気がする。


 バルドの槍がゆっくりと持ち上がる。ロウの手が剣の柄にかかる。金属が触れ合う前に、ミラがロウの腕を掴んで止めた。

 その動きが正しい理由を、俺はこの瞬間、理解した。


 音を立てたら――来る。


 坑道の暗がりから、何かが動いた。

 壁の陰、足元の砂の上を、低い姿勢で滑るように近づいてくる影。四つ足。目が、光った。狼ほどの大きさはないが、筋肉の塊みたいな体つきで、背中に硬い突起が並ぶ。


 バルドが槍を突き出す。空気を切る音は最小限。狙いは正確だった――はずなのに、影は滑るように避けた。

 次の瞬間、影がバルドの足元に潜り込む。


 ガリ、と嫌な音がした。

 金属でも石でもない。肉が裂ける音だ。


「っ……!」

 バルドが声を殺しきれずに息を漏らす。膝が崩れ、槍の穂先が石に当たって「カン」と鳴った。


 それが、合図だった。


 暗がりの向こうで、砂が動く音がいくつも増える。水滴の規則が乱れ、洞窟全体がざわめき始めた。ロウが剣を抜こうとして、ミラが叫びかけて、しかし声を飲み込む。


 俺の心臓が、耳元で暴れている。自分の鼓動の音でさえ、ここでは危険に思えた。


「リオ! 荷! 松明!」

 ミラが短く、しかしはっきり口を動かした。声は出てないのに、口の形で分かった。

 俺は背負い袋を下ろし、手探りで松明を掴む。火打ち石――金属同士を叩けば音が出る。

 一瞬、手が止まった。


 その時、俺の脳裏に“規則”が浮かんだ。

 水滴の音。一定の間隔。さっき、乱れた。

 乱れた理由は、あの影が水滴の落ちる場所を横切ったからじゃないか? なら、奴らは“音の源”に引かれる。音が大きいほど、確実に。


 だったら――音を、別の場所で出せばいい。


 俺は火打ち石を握りしめたまま、足元の小石を掴んだ。軽い石。投げれば、壁に当たって音が出る。

 だが、投げる音も、石が擦れる音も、近くで出たら意味がない。遠くで、はっきりと。


 俺はバルドの倒れた位置と、坑道の分かれ目を一瞬で見比べた。右側の細い脇道は暗いが奥が深そうだ。反響も大きい。


 息を吸って、止める。

 肩だけで腕を振り、石を投げた。空気を切る音が最小になるように。石は壁に当たって、乾いた「カン!」と鳴った。


 次の瞬間、砂を擦る音の群れが、右へ流れた。

 影がいくつも、脇道へ吸い込まれていく。音に釣られて。


 ロウが目を見開いた。ミラの視線が俺に刺さる。驚きと、理解と、まだ半分の疑い。


 だが、時間はない。バルドが歯を食いしばり、血が石の上に落ちる音が、また新しい合図になりそうだった。


 俺は自分の靴紐を見た。さっきミラが言った。ほどけたら音が出る。

 俺は膝をついて結び直し、結び目の上からさらに紐を巻いて固定した。指が震えて、汗が冷たい。


 ミラがバルドの傷口に手を当てる。治癒の光は出ない。ここでは目立つのも危険なのだろう。代わりに布を押し当て、止血だけする。バルドは頷き、唇だけで言った。


「……退く」


 ロウがうなずき、俺は荷を背負い直した。右の脇道からは、まだ砂の音が続いている。奴らは音を追って、奥へ奥へと集まっている。


 俺たちは、反対側――入口へ戻る方向へ、足を運び始めた。

 歩幅を揃える。息を合わせる。金具が触れないよう、ロウの鎧をミラが布で押さえる。俺は自分の鼓動を、必死で“音”として数えないようにした。


 数歩進んだところで、背後の脇道から、短い咆哮が響いた。

 音が止んだ。石の音が消えた。気づかれたかもしれない。


 喉の奥が熱くなった。怖い。逃げたい。なのに、足だけは、動く。

 バルドが血の気の引いた顔で、それでも前を向いている。ミラの唇が、無音で言った。


「……よく気づいた」


 褒め言葉なのに、胸の奥が沈んだ。

 気づけたのは偶然だ。もし、石を投げるのが遅かったら。もし、音が足りなかったら。もし、入口まで戻れなかったら。

 俺たちは、死んでいた。


 ダンジョンは、慣れでどうにかなる場所じゃない。

 ここは、理解できないものに囲まれた場所だ。理解できないまま動けば、死ぬ。


 入口の裂け目が見えた時、初めて息が漏れた。外の光が、眩しいほど温かい。

 地上に出た瞬間、街の風の匂いが鼻に入ってきて、膝が笑いそうになった。


 バルドが岩に背を預け、肩で息をする。ロウは拳を握りしめ、悔しそうに地面を睨んだ。ミラは包帯を巻き終え、俺の方を見た。


「リオ。今日のこと、忘れないで」

 声は小さい。でも今度は、地上の空気が吸ってくれる。反響はない。

「はい」


「次は、偶然に頼れない。……あなたが気づいた“規則”を、言葉にして残して」

 ミラの目は、優しいというより、現実を見ろと言っていた。


 俺は頷き、背負い袋から小さなノートを取り出した。

 手が震えて、最初の一行がうまく書けない。


 ――第一階層。音を嫌う。

 ――音は敵を呼ぶ。音は敵を逸らせる。

 ――規則を見つけろ。分からないまま動くな。


 書きながら、胸の奥が少しだけ熱くなった。

 怖い。まだ怖い。

 でも、今は確かに、昨日の俺より一歩だけ、生き残る側に近づいた気がした。


 ダンジョンの入口は、変わらず口を開けていた。

 まるで、「次はもっと上手くやれ」とでも言うように。


ここまでご覧いただきありがとうございます。


当面の間は、1日に3話を投稿予定です。


ブックマークをして、続きを楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。

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