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第1話 “正義”と”善”

『「戦争」

 辞書によればその意味は "武力による国家間の闘争”である。では、その闘争は悪なのか。正義足り得るのか。私の思う所、それは時代が決める。その時代の人々、風潮、想い、様々なものが入り混じって決まるのである。その時の人々が正しいと思ったのであればそれは正しく、間違っていると思えば間違っている。しかし、これはその当時の一定期間の間のみでしか言えないことがある。なぜならば、時が経てば正しいことは間違っていると言われ、間違っていると言われることが正しいと言われることが、この歴史上には無数のように存在するからである。

 ある人は言う。「ナチスがやったことは当然の如く間違っている!」

 ある人は言う。「ユダヤ人の大量虐殺は痛ましいことだった……」

 確かに、今ではそれは”現代の世間的”には正しいことかもしれない。しかし、しかしだ。もし、ナチスが第二次世界大戦で勝ち、世界を支配して何世紀も経ったとしよう。その世界の教科書にはおそらくこう書かれているだろう。

「汚れた血であるユダヤ人は根絶やしにされ、ヒトラーこそが私達を救ってくれた存在だ」と。

 おや?正しいのはどちらだろう。ナチスを避難している我々か、それとも別の世界線の人々か。君はこれを読んで「なんてバカバカしいのだろう」と思っていることだろう。

「そんなもの、勝ったものが正義なのだから、その世界線ではナチスやヒトラーが正義に決まっている」

 そう考えている君は正しい。実に正しい。

 では、もう少し深掘りしてみよう。

 その別の世界線に行ったとしたら、君はマイノリティ。少数派だ。皆はナチスが正しいと思っているのだからね。そこでは君こそが”悪”だ。

「ナチスを批判するものは悪」そんな世界で君は、自分こそが正しい感覚の持ち主であると鼻を伸ばして言うことであろう。しかし君は悪。紛れもない悪なのだよ、その世界の人々にとっては。

 私がここまで来て何を言いたいのか。正義や悪はやはり、その時代の人々、風潮、想い、様々なものが入り混じって決まるということである。決めるのは”君”じゃない。歴史や時代が決めるのだ。それを理解している者はこの世界には少なくない。そんな者たちはいつでも、どっちつかずの立場でいることが多いことであろう。そんな者たちに重要なのは、自分の”意志”だ。自分が正しいと思えること。大切だと思ったこと。それが、多数派と少数派を形作る。それを作る事自体が嫌な者もいるだろう。しかし、それ自体はもう諦めて、多数派や少数派を作るのに自分の”意志”を持って徹することを私はオススメする。

 正義や悪は歴史や時代が決める。ではどうやって、今私達が生きている世界では”正義”と言える偶像ができたのか?ヒーローなどという正義の味方などというものができたのか?そこが今回話す本題だ。

 結論から言うとそれは、人間自体が皆が想像する善意という感覚的なものを生存本能レベルから持たざるを得ないからである』

 書き疲れた……。レポートも程々に、ここらあたりで止めておくか。期限は後一年ある。今日はもう、やめておこう。

 そう思い、ルーブはレポート用紙に炭を擦り付けるのをやめた。


 翌日、講義後

「ルーブくん、こっちへきたまえ」

 そう教授に言われ、ルーブは前に出て教授の前に立った。イト教授は厳しい教授で有名だ。一体何を言われるのか恐れて、少々ビクつきながらルーブはイト教授に顔を向けた。

「このレポート君のか?」そう言うと、バックの中からファイルに入れたレポートをルーブに差し出した。

「あ、はい!紛失してたんです。ありがとうございます」何だそんなことかと、ルーブはファイルに手を伸ばした途端、イト教授はファイルを引っ込めた。ルーブの手は空を掴むこととなった。

「13時ちょうど。昼ご飯を食べてからでいい、私の研究室に来い。話がある」

「はい……」

 これ、絶対何かレポートについて文句をつけられるパターンだ。面倒くさいな。

 ルーブは12時59分30秒に研究室の扉前に着き、13時になった瞬間にノックした。

「入ってくれ」中からそうやって声がこもって聞こえた。

「失礼します」ルーブは丁寧に扉を開けて、閉めると、デスクでペンを握るイト教授を目で捉えながら、綺麗に真っ直ぐその場に立った。

「君は軍人か?そんなにかしこまらなくていい。そこの椅子に座ってくれ」

「は、はい」イト教授と向かい合わせになるように設置された、ひとつの椅子にルーブは腰掛けた。

 イト教授は顔を上げてルーブを見ると、少し息をついて話し始めた。

「今一度確認だが、このレポート。”君”のなんだな?」

「はい。私のです」

「では聞こう。机の上に紙がまとめられていた。ここでこのレポートは終わっている」イト教授はレポート用紙の最後の文字に指をトントンと指して言う。

「続きは?」

「はい?」

「続きはあるのか?」

「い、いえ。強いて言えば、私の頭の中にあるとしか……」

「なら今ここで、このレポートで君の言いたい要点について、僕と君でディスカッションをしよう」

「議論、ですか?」

「そうだ。『正義や悪は歴史や時代が決める。ではどうやって、今私達が生きている世界では”正義”と言える偶像ができたのか?ヒーローなどという正義の味方などというものができたのか?』これが議題。そして君の言う要点、結論はこうだ。『それは人間自体が皆が想像する善意という感覚的なものを生存本能レベルから持たざるを得ないからである』だったな。この議題、また君の結論についてディスカッションをしよう」

「え、えぇ……」

「どうした?」

「そんな急に言われても、って感じで……」

「では教授の私による生徒である君への命令だ」

「わ、かりました……」

「そんなに気を張らなくても良い。楽しもう。それでは始める。まずはこの結論の説明をしてもらおうか」

 ルーブは気持ちを切り替えて議論することにした。

「はい。『人間自体が皆が想像する善意という感覚的なものを生存本能レベルから持たざるを得ないからである』というのは、人の善意は生存本能によるものだということです」

「その根拠は?」

「人と人との支え合いにより、経済や社会は成り立ちます。その支え合いを行うためのメソッドとして、善意があるのではと私は思うのです」

「それと”正義”という偶像ができた理由となんの関係が?」

「それは……え?”正義”というのは人々が決める偶像で、それで、えっと……」

「君はおそらく混同しているな。”正義”と”善”を」

「”正義”と”善”は、同じじゃ……ない?」

「そう。君はレポートを根本的にテーマを変えなければならない。このまま行くと目も当てられないほどに、穴だらけな理論になっていそうだったのでな。今回君を呼んだ」

「正義も善も、その時その時の時代や歴史による価値観で決まるものです。そこになんの違いがあるのですか?」

「君は本を読んだか?正義や善についてのだ」

「い、いえ」

「それが君の無能さを表している。まったく、あれほどレポートを書くときには情報を多岐にわたって集めろと、はじめに説明しただろうに」

 無能、ね。ハハハ……。

「情報を集めていれば、正義と善を同じようにまず書くはずがない。アリストテレス。2000年以上も前に彼が”正義”と”善”の概念が違うことを最初に明確に示した。アリストテレスが定義した”正義”は『法に適い、各個人にとって平等であること』また、彼が定義した”善”は『万物が希求する目的』であり、”善”の最上のものが”幸福”であるとされているんだ」

「なるほど?」

「君の考えている”正義”は正しい。実に正しい。正義は時代や、細かく言えばその民族の歴史によって決まる。些か君のレポートは極端だったが、言っていることは何も間違っていない。だが、それを”善”と同じだと言うのは違うな。善意というのは、その『万物が希求する目的』、善を行う人の意志だ。善自体が万物が幸福へ至るための目的、善意は幸福へ至ろうとする意志なのだよ。更に、善には種類がある。有用的善、道徳的善、快楽的善。この三つだ。人道的に他人に優しくする道徳的善、そして他人に優しくして己に陶酔する快楽的善。これらのことを君は善意として言っているのだろう?」

「は、はい。今教授の話を聞いてみた感じ、そうです」

「ならそれもレポートに加えなければならないね。……何か反論はあるかい?」

「反論、ですか?」

「でなければ議論にならん。何かないのか?醜い質問でも良い」

「醜いって…………そうだ、善だと言えて正義だと言える行為はあるんですか?普通ならありえないことだと思います」

「うむ、良い醜い質問だ」

 ルーブは顔を歪ませた。

「例えば、殺人犯がいたとしよう。その者は、人を殺すのを良いことだと思っているとする。だとしたら、その殺人犯にとって人を殺す行為は”善”だ」

「そんな!それが善だなんて!」

「個人的な価値観によって”善”は異なる。十分にありえることだよ。だが、これは日本という国、コミュニティにおいては”正義”ではない。殺人は、ある人にとっては”善”であってコミュニティによっては”正義”ではないんだ。ならば、逆もありえる。一般的な倫理観からしたら気が狂いそうだが、それも理解してレポートを書くことだ」

「は、はぁ」

 イト教授は右手首の腕時計を見た。

「あぁ、すまない。この後予定があってね。ディスカッションはここで終わりだ。今度はまともな議論が出来るのを期待してるぞ。それでは」

「……ありがとうございまし、た?」

「あぁ、この紙をもってけ」

 ルーブは首を傾げながら、レポート用紙を持って研究室から出ていった。

 ほんと、なんだったんだろう。でも、レポートのヒントをくれたのはありがたかったな。

 そう思いながら廊下を歩き、途中のゴミ箱にレポート用紙をくしゃくしゃに丸めて捨てた。

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