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がたんごとん奇譚

作者: 誇大紫

 私って男と思われることが多いんだね知らなかった全然。

 いやなにこの前――結婚して、おしどり夫婦検定があったら会場の審査員満場一致で文句なしの合格を貰えそうなラブラブランデブーハネムーントリップ(嘲笑)に行って帰ってきて、あ、トリップって言っても最近流行のクスリとかじゃないけど、ええと、何の話だっけ?

 そうそうそこから帰ってきて、愛夫弁当――「貴女の僕より」なあんてピンク色のデンブで飯の上に書いてある一流の冗談、私ゃデンブが嫌いだと何度言えばわかるんだてめーと言いたくなる弁当――を大事に抱えて職場に行ったわけさ。

 仕事はクライアントの意見をピッと聞いてパッと書類作ってプリッと上司――部下と不倫してるアホ野郎で、ついでに言うとその相手は私のクソ同期だ――に提出する。

 聞いて作ってまた提出。ピッパップリッ。ピッパップリッ。

 仕事をあらかた片付けたらもう昼休み。弁当箱を開くと例の文字がででんっと。イラッとしかけたのをグッと堪えて苦笑い。まあなんとか会社の人間に変な目で見られなくて済む。

 カツォカツォと飯をかきこみながら考えるのは、さすが私の夫になる人は違うということ。たいてい弁当箱の飯は食べるときにはもう水分でベチャクチャになってるはずだが、これはしっかりとした食感。後でこれは何故かと夫に尋ねれば、「某料理父マンガを読め」と言われたんだ。

 で、読んだ。

 読んでも読んでも飯の秘密は出やしなかったが――暗号化されているのかと思って仕事でクライアントとして関わったことがある、歩くウィキペディアこと「先生」に電話して――ようやくわかった。

 「先生」いわく、「それ、某少年料理人マンガ(中華ではない)の方に載ってますよ」と。

 なるほど。アダルティな某クッキングするパパではないと。

 漫画ガ違ウヨ私の夫。わざとか。わざと、なのか。今度ベッドに縛り付けて上から口に以下略:自重……結局その秘訣は飯にいくらかもち米を混ぜてるってことだったが元々何の話だったか。

 そうだ私が男に思われたって話だった。

 昼休みを終えてまたピッパップリッ。タバコ休憩で勝手に出ていった部長と、それに続くようにトイレ休憩に行った同期がしばらく経っても戻ってこないことなど気にせずピッパップリッ。

 あ……部長がいないからプリッできない。

 二人が今何をしてるのか知らないが――まあ二人は休憩しに行ったのだから、二人を信じて「御休憩」してるに違いないと思わせてもらうが――休憩内容は想像したくもないし想像させてほしくもない。

 ただ私は遠泳に出た小学生のように必死で息継ぎしながらピッパッ。ピッパッ。

 家にゃ幸せ、私の帰りを待つ夫。一つ終わらしゃ私の貯金、二つやっては君のため。金を稼いでピッパッピッパッ。時間よ過ぎろピッパッピッパッ。

 二時間ほど「御休憩」をして帰ってきた二人は乱れ髪、ベルトは緩んでまるで落ち武者――それもかなり激しいプレイ(戦)をくぐりぬけてボッロボロの様子――だったが当然誰からも同情は得られない。

 当たり前だ。そんなんで同情が得られるのなら、毎晩の私達夫婦の営みに某徳光さんは涙が止まらないだろうってオイオイ何を言わせる(照)。中学生が聞いたら引くだろうよ。

 んなこたぁないか。

 結局その二人を残してあとは全員帰宅。それで残ったメンバーで飲み会をするって誘いがあったけど、面倒なので拒否。「マリさんもたまには飲んで日頃の憂さを」拒否。「カラオケは」拒否。「マリさんがいないとつまんな」拒否。

 私は早く家に帰りたかった。化粧を落としてペッと鞄を放り投げたら夫に体当たりしてビール飲みたかった。

 だから「あれ」に乗ってしまったのかも。

 ここからが本題。

 電車を待つ。三十分経ってもこない。なんだなんだ電車まで「御休憩」してらっしゃるのか。

 ホームの人々はまるでエサを与えられないペットのネズミ――それも夏場、水も切らした状態のままカゴの中で過ごすことを余儀なくされている――ようにどうしたどうしたとざわめく。

 電子掲示板の時刻表を見ると事故のため遅れているらしい。

 真夏で、昼間の熱がまだ残ってる――適当に玉子を割って落としてフタでもかぶせとけば目玉焼きができんじゃないかっていう――コンクリート。化粧が脂ぎった女やスーツ姿のおっさんやラフな姿の若者たちは一様に、何も来ない線路を――「じっと手を見る」といった風情で――見る。

 ホームにわらわらわらら人が集まっていく。そりゃそうだ、電車が来ないのに帰宅ラッシュ時を迎えてしまった。あまりの人間の動きと吐き出す二酸化炭素量でホームは温暖化。

 天空の彼方から見た神様はこう言ってただろう。

 ハハハ見ろ! 人がゴミの以下略:自重。

 とにかくそのくらい私の頭はどうかしてきて、膨れ上がった人間たちは個々の意識をもちながら全体として一つの意識を共有した超生命体巨大スライムになってしまったようだった。

 その意識は一重に「電車来ないかな~」だ!

 時間がひたすら過ぎてとうとう人身事故がドーダコーダ黄色い線の内側がアーダコーダとアナウンスがなった。

 巨大スライムはババッと線路の向こうを見る。

 ゆっくりがたんごとんと入ってきてる!

 「何か」が。

 それは下りだったけど、見たことない――しいて言えば街の公園だとかで市が建てた現代アートに時々ある、テーマ先行過ぎてわけのわからんポストモダン立体物のような刺々しい悪夢めいた超幾何学性の――デザインだった。

 全体がシャープで緑色のラメってる。にも関わらずそれをだいなしにするように、表面にクマさんやウサギさんの「人形」がビッシリ紐で括りつけられ、その人形は全て「面」――和風洋風問わず――を付けているという、見るからに人間が触れちゃならねえ場所への特急列車。

 全体の印象としては、それはむしろでかい虫だった。

 平常それを電車と言われたって、誰も信じなかっただろう――たとえ象徴的な意味で定義づけできたとしても。

 でもその時は違った。

 だって線路を通って、ホームに入ってくるんだ。「電車」だよね? 「電車」だろうそれは。

 周りの顔を見ると、何人かは目ん玉こぼれおちそうなほど目を見開いて、これには乗るまいという表情だったが――時は既に遅すぎる。劇場版パトレイバー2の、クーデターに以下略:自重くらい遅すぎる。

 もう人間はホームの上を表面張力だけで堪えてるスライム体なのだ。その電車がどこぞへ繋がるドアを開けたら入るしかない。

 ぷしゅがたん。

 ぷるるるるん。

 って効果音なら面白いが実際はナイアガラの滝が四方八方から私を押すどどどどど。激流に流されて、私の身体は得体の知れない電車の中へ。

 外側のわけわからなさに比べて内装は以外と普通。ラブホと同じだな。

 なんて考えてると、あとからあとから人が入ってきて、電車の空いた隙間にどこまでも人間が埋まっていく。天井の高さまで人間の上に人間が乗り、人間の奥に人間があり、人間の中に人間がいる。


人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間

人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間


 こんな感じ。なのにアナウンス。

「奥の方へお詰めください。ご協力お願いします」

 そんな殺生な、ムリムリ絶対ムリと思っていても、どんどんブリブリ押される。私の顔の前には誰かの尻があったり、足の間に誰かの肩があったりでもうわけがわからん。それで、今度こそ本当に「間」がなくなって。


人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人

人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人


 こんな感じ。

 身体中の骨が軋みはじめて、もうダメだと思ったころに「閉まるドアにお気をつけください」。

 そして電車は進んでいく。揺れる。加速する。揺れる。自分がどうなっているのか考えたくもなくなって、全身の力を抜いた。

 私の身体は倒れない。考えてみると確かに倒れることのできるスペースなんてないんだった。見知らぬ誰かに身体を預けて少し眠る。


 目覚めてすぐにはそこがどこで何をしていたのかわからなかった。

「不思議の国のここはどこ、フーアムアイはジャッキー・チェンで、フーアーユーは北京原人?」

 混乱まじりに周囲を見回すと、みんな力を抜いて心地よさそうだった。目を閉じ胎児のように――母体と繋がっている安心感を得た表情で――眠っていた。誰かに体重を預け、その誰かも誰かに体重を預け、そうして体重を預け続けるそのエネルギーはこの電車のスライムの中をメビウスの輪のように循環し続けているみたいだった。

 そのとき右手に違和感。いや、違和感のないことが違和感だった。「誰かと触れている」という感覚がなくなっている。

 こんな状況だから腕はあげられないけど、顔をひきつるように動かして見てみる。私の腕は隣のおっさんの腕とくっついていた。皮膚が延びて吸い付き、お互いに血液までやり取りしている。

 どくんどくん。

 私の心臓がなる。でもその心臓は誰に動かされている? 私の胸は服ごと前面の丸坊主の男子中学生の顔と一体化している。ニキビ面の中学生は微笑をうかべて幸せそう。

 どくんどくん。

 全員が眠ったまま溶けて一つになっていく。気が付けば電車の中に子守歌が流れていた。


 らん、らんらららんらんらん


 私はハッとして左手を見る――しかし私の左手らしきものは既に何もない。指はもはや指の形を成さず、左腕は誰のものとも知れない肉の壁とつながっている。

 流体になって、いたるところに液体化した肉の小さな川が、まだかろうじて形を保っている固形の表面を伝っていく。

 左手の指たちは、いかつい誰かの肩甲骨の脇をカヌーのように流れる。それはいつの間にか別の誰かの内腿へ続いている。奥へ奥へ。左手の指には夫からもらった指輪がはまっている。

 決して安くはない指輪。

 でも私は見ていることしかできない。

 結婚を申し込んだのは私だが、改めて夫が告白してくれたときにもらった指輪。

 でも私は見ていることしかできない。

 彼がそっけない態度で、内心は恥ずかしがりながらひょいと渡してくれた指輪。

 でも私は見ていることしかできない。

 私が私であるために必要なアイテム。人生に一つしかないレアアイテム。

「誰か、誰かそれを!」

 大声をあげても誰一人目を覚まさないし動かない。声は――さながらブラックホールに迂闊に近づいてしまった宇宙船のように――吸い込まれ、思い出したように子守歌が耳に迫る。


 らん、らんらららんらんらん

 らん、らんらららん

 らら、らんらららんらんらん

 らららららんらんらん


「……返して。返せ!」

 私は全身の力を総動員して指輪に向け、手を伸ばす。自分の身体を無理矢理べりべりと他の人たちから引きはがす。それはメチャクチャに――背中に焼きゴテを当てられて塩とトウガラシをそこに塗り込んだように――痛い。気が狂いそうなまでに。涙が出るくらいに。

「うっ」

 赤い肌が露出して擦れて痛い。でもかまやしない。

 指輪は。

 全身血まみれになりながら人間ジャングルを掻き分けて、指輪を追った先には、開けた空間があった。

 つんのめって片足で跳ねながらそこ――シートに座った女の子の半径ニメートル空間、まるでバリアのように間が空いている――をてってってと進む。

 女の子の手には私の指輪があり、彼女はそれを興味深そうに――猿が初めて骨を武器にした瞬間のように――眺める。

 ショートカットでえらく日焼けした、Tシャツに短パンの小学生の女の子だった。

「返してくれるかな、それ私のものなんだよ」

 女の子は首を振る。

「イラッ」

 私の脳から擬音語が漏れた。

「どうして。他人のものをとって返さないのはジャイアンの始まりよ」

 女の子は人差し指にそれをはめて――ぶかぶかなそれを嘲笑って――言う。

「これ、結婚指輪?」

「そう」

「お兄さん、彼女に渡すの?」

 お兄さん。

 お兄さん。

 お兄さん?

 誰のことかわからず、思わず振り向いた。そこにはうねうね蠢く、もはや原型を留めていない肉の壁しかない。私の肉を求めて一つになろうとすり寄ってくる。

「あのね、お兄さんじゃないよ。私は女だから。そんなことどうでもいいから早く……」

 ザワザワと肉たちが騒ぎ出した。それから私の周囲から波が引くように離れていった。でもそのときの私にはまだ、いまいちその「意味」がわからなかった。

「早く返しなさい」

 女の子は笑いながら指輪を私に投げた。

「いらないよそんなの。多分、僕には一生必要ない。女の人なんか、大ッ嫌いだからね。消えちまえばいいんだ」

 少年――美しい顔立ちだけれど、よくよく見れば確かに男の子だった――がそう言うと、それまで躊躇していた肉たちがザワッと一斉に動いて彼を取り込んだ。

 まるで津波のような勢い。数十本の腕が触手のように彼の脚を、腕を、首を包む。少年は笑いながら呑まれて消えていった。

 それから私は電車の中を、生き残った乗客を探してまわった。化粧の濃い女、茶髪で声が大きな女子高生、パーマをあてたおばさん。

 奇妙なことに生き残ったその共通点は「女」であること――見た目的には、少なくとも――だった。私達はかたまって行動し、次の駅で――おそらくここ一つしか停まる駅はなさそうだったし、あとはまた別の世界にでも向かうのだろう――電車を降りた。

 あれだけ痛かった、皮膚の剥がれた部分からは痛みが消えていて、傷跡もやっぱり消えていた。

 家では夫がチキントマトスープを作って待っててくれた。私は体当たりして、キスをした。彼の白魚のような手――でも、けっこう大きな手――が私の頭を撫でた。

 それから夫と話してみたんだ。

「……結局さ、たぶん、その一体化した肉は全部『男』だったんだ。吸収されかけた君は――アハハッ――『男に間違えられて』、その少年は『女に間違えられて』吸収されてなかったってことなんだろう。と、思うよ」

「そういうものなのかな?」

 スープをずるずると吸いながら聞くと、彼は肩をすくめる。

「そりゃそうだよ。今時、電車じゃ痴漢の冤罪を恐れて、どんなに満員でも女の人の周りには必ず空間ができるからね」

「ふうん」


 私はその晩、ホラ、さっきの――某徳光さんが涙するに違いない「行為」を彼とする。その心地良さは、あの電車の中で誰かと融合していく感覚に近かったのかもしれないと思う。

 浸食して浸食されて自分の輪郭がおぼつかない。それはちょっと怖い。

 でも、私の胸でアホ面ぶらさげて眠ってる彼を見ていると――よだれが落ちた、汚いなもう――他でもないこの彼となら、寄り添うくらいのことはしてあげてもいいなって思ったんだ。

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