雨音
ニュアンス的にですが、行為を連想させる描写が入ります。苦手な方は避けてください。
シトシトと耳につく雨音。
日中から降り続いている雨は夜半を過ぎても止む気配を見せなかった。
明かりを落とした部屋の中、ベッドで寝返りを打った夏生は手を伸ばしてカーテンを少し開け、街灯に照らされる細い糸のような雫を確認する。
明日の天気予報は見てないが、雨期と呼ばれる季節柄この雨が朝までにやんで、明日はカラリといい天気……というのは期待出来そうにない。
軽く溜め息をついた。
その行動を隣りに寝そべっていた恋人が不審そうに窺う。
「……どした?」
「雨やまないねぇ」
「ああ……」
シトシトと響く水音は、行為後の心地好い疲労感をただの怠さに変えてしまう気がする。そして雨による湿気は先刻までほてっていた身体を急速に冷やし、初夏というにはまだ肌寒い季候を思い出させた。
同じことを考えたのか、彼は暖めるように優しく夏生を抱き締める。そして争わない夏生の匂い立つような首筋に吸い付きながら潜めた声で聞いてきた。
「なあ……雨だったら出掛けるのヤだろ?」
「うん」
澱みなく応え、夏生は抱き締める腕に促されるまま、そちらへ寝返りを打つ。酷く間近に闇と同じ色の瞳があった。それが細くなって笑ったのが判る。
「じゃあ明日は一日、家でゴロゴロしてよう」
明日は休み。晴れていたらせっかくの休みだし買い物にでも出掛けようと思っていたが、雨ならばその気も失せる。そういう夏生の性格を読んでの科白だろう、見抜かれて素直に頷くのが癪だったから非難するように小声で反論した。
「……超不健康」
「じゃあお前は雨の中わざわざ出掛けたいか?」
「ううん」
「ほら」
笑い混じりの悪意ないからかいを口にして、彼は夏生を抱き締める腕に力を込める。
ギュッと身動き出来ないくらい強く抱いた後、明日の予定が決まったからだろう、抱き締める手が身体のラインを辿るように蠢き始めた。
それにこの先を容易に想像した夏生がうっすらと笑う。
明日一日何処にも出掛けないのならいいか……。
彼は横を向いていた夏生の首筋や肩にキスを落としながら、身体の向きを変え夏生をシーツに押しつける。それから徐々に夏生の上へと移動してきて、完全に乗っかる形で向かい合った。
すぐに落ちてくるキス、瞼を閉じて受け入れた。投げ出していた腕を彼の肩に回し、引き寄せるように抱き締める。手の平に伝わる逞しい体躯の感触と彼がくれるキスに酔う。
その間は嫌に耳につく雨音もすべて聞こえなかった。
だが彼は、息を継ぐ間も惜しいような濃厚な口付けを与えておいて、唇を離した途端控え目に囁いた。
「……もう一回いい?」
この状態で今更聞くか? もうどうにもならないくせに……そんな呟きが頭をかすめたが、夏生の口から出たのはそんな生意気ではなかった。
「……そういうとこ、好き」
言葉と共にもう一度、自ら引き寄せキスをねだる。軽く唇を触れさせて離れた後見た恋人の表情は何処か照れたようで、でも嬉しそうに笑っていた。
笑顔に見つめられ夏生も笑う。
見上げる彼の表情は付き合い始めた頃からあまり変わらない。一緒に重ねた年数分彼も経験を積んで、たくさんの魅力を身に付けたと思うのに、年を経ても夏生が一番感じる彼の魅力は、出会った頃と変わらぬ純粋さだった。
いつまでも変わらぬ少年らしさ。
それは決して子供っぽいという意味ではなくて、こんなことをしている最中にすら覗く、純粋さが愛しい。
こんな彼だから好きになった。
想いを噛み締めて手を伸ばし、続きをせがむ。縋りついてすべてを預けきれる温もりに包まれ、うっとりと笑った。
ゆっくり肌を伝う彼の指と唇。それに促されて甘い吐息を零すのも、与えられる熱に脳を支配され乱れていくのも嫌いじゃない。
幸せを感じる。
だから明日もこの雨が降り続ければいいと思った。
雨なら彼が言った通り、一日中二人でいられる。
雨が降ってるから……それを理由に何処にも出掛けないで、ただ一緒にいられる。
何処かに出掛けて思い出を作るより、休みだからこそのんびりと他愛なく過ぎて行く一日の方が夏生は好きだった。
そんな過ごし方のほうがより強く実感させてくれる。
彼と一緒にいる今が幸せだと。
鮮明な記憶としては残らないかもしれない。
でも、いつかこの時間を振り返った時、ぼんやり感じるだろう。
雨の季節、雨音を聞きながら二人で過ごしたことが、ただ幸せであったと。
強烈で確実な記憶でなくていい。
淡く曖昧な思い出でいいのだ。
ただ彼と一緒にいることで感じた幸せを忘れたくない。
彼と一緒にいるだけで人を憂鬱にさせる雨音も心地好く聞こえた。
だが、直にこの雨音も聞こえなくなる。雨は止まなくとも、そんなもの気にならないくらいこの男に魅せられ夢中にさせられるから……。
「夏生……」
低く優しい声は囁きに近いのに、煩い雨音を掻き消す。
呼ばれて恍惚の表情を浮かべた夏生は、うっすら微笑んで彼を迎え入れた。
もう雨音は聞こえない。
聞こえるのはただ、自らが零す淫らな喘ぎと愛しい人の囁きだけ……。
◆◆◆◆◆
次の日夏生を揺り起こしたのもまた、雨音だった。
シトシトと昨夜と変わらぬ水音がベランダを打っている。
「やっぱりやんでないか……」
素振りだけは残念そうに呟くが、声に落胆は滲んでいなかった。微かに笑顔さえ見せて、確認するようにそれを口にしてから寝乱れていた布団に潜り直す。しっかり首まで埋もれて隣りの人を窺った。
まだぐっすり寝入っている。この様子では彼が目を覚ますのは当分先だろう。
どうしようか……一瞬今後のことを迷ったが、すぐに決めてもそもそと布団の中で彼に擦り寄った。吐息の触れる距離で彼に肩に頭を預けてもう一度目を閉じる。
今日一日カーテンも開けずに、ただ雨音に耳を傾けながら二人でずっとベッドに潜っていよう。
彼が起きたら他愛ない話をして馬鹿みたいに戯れて、それでも雨音が耳につくならまた抱き合って……互いに集中してしまえば、あの煩い水音も全く聞こえなくなる。
欝陶しい雨の季節。
絶えず聞こえる雨音に気付かないくらい互いに溺れきる、そんな休日もたまにはいいよね?
絶えず降る雨が、彼と怠惰に過ごす理由をくれたことに夏生は心から感謝した。
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