ライブ会場から異世界へ
碧の頭の中に聞えた声はしつこかった。
『ねえ聞こえてる?』
死んだのならばただ静かに眠らせてほしい。
『繋がったはずなのにおかしいな。ねえ、ねえ聞こえていますか?』
眉間にシワを寄せて返事をしなければ幻聴も消えるだろう。
『この曲なら聞えるだろう』
曲が聞こえてきた。
生バンドの演奏だ。
さっきまで聞いていたライブの曲に反応せずにはいられない。
体が勝手にリズムをとるのを押さえる。
『あっスネス!』
「どこ!」
グループ名を言われて思わず反応した。
『聞こえてるじゃん』
しまった。
返事をすると意識の中でつながったのか急にスポットライトが移動して照らしてきたみたいに明るくなった。
舞台の上から照らされる照明が客席にくると逆光になってアイドルが見えない。
眩しさに手をあげて影をつくる。
「繋がっているね。じゃ普通に話すよ」
ジャンと曲終わりにジャンプしてライブが終わったように会場が明るくなる。
さっきまでと同じ会場にいた。
座っていた座席も同じ。違うのは客席に自分しかいないこと。
会場の時間を見るが赤い文字のデジタル時計は点滅だけして時間を教えてくれない。
舞台の幕が降ろされる。
網戸のような薄いグレーのスクリーンが自動で降りてきた。
床について止まった。
会場のアナウンスがスピーカーから流れた。
「以上で終了となります。お席を立たずにお待ちください。係の者が案内します」
アナウンスに従ってじっと待っていた。
「お待たせいたしました。これより案内を開始いたします」
幕は閉じられたままで舞台袖から動く物陰が現れた。
後ろでは舞台の撤収作業が行われているようだ。
スタッフさんたちだろうが動く影が見える。
そして中央手前には司会のような人だろうか一人立っている。
撤収を終えてから舞台の背景が変わった。
大きなスクリーンが舞台の上に降ろされてきた。
映画のファンミで映画を見たときのようだ。
幕はまだ降ろされていて姿は見えないがマイクにスイッチが入った。
スピーカーからマイクをトントンとたたく音がした。
「初めましてですね。こんにちは!」
「こんにちは」
舞台から投げられた言葉には返すのが客席の礼儀だ。
「言い挨拶ですね」
静かに座ったまま聞いていた。
「それではご説明いたしますね。この会場で行われていた先ほどのライブはファンクラブ限定の招待でしたよね」
「はーい」
ファンミの司会のようでいつもどおり返事をした。
「招待者はじつは私なんですよ」
「えー?」
「えーっじゃないっていうのがお決まりですね。おなじみの反応ありがとうございます。今回じつは候補として集められていたんです。選んだ候補者の方々から選んだ方はしっかり天寿を全うした後からこの世界からお招きするはずだったんです」
理解ができなくなり口が開く。
「想定外の事故が起きました。スタッフ共々申し訳ありません。代表して謝ります。誠に申し訳ございません」
想定外の事故って殴られたことだろうか。
痛い思いをしたのは私なんだけど。
謝罪と説明って関係なくないと怒りがこみあげてきて席から立ちあがった。
マナーは守って座席から歩かないがこれは夢だ。
舞台には上がらないが客席の階段を上がって対等に立てる一階の両脇に出入り口がある広い通路の中央に立つ。
「碧様については当初から有力な最有力候補でした。お待たせしている間に調べさせていただきましたが資格、素質については十分です。推しに言葉通り命まで捧げた熱意と行動力は目を見張ります」
「命だけじゃなくて捧げすぎて彼氏もできたことなければ初キスさえまだしたことない。アイドルだって恋愛してるのに尼のような私生活だった。でも幸せだったし。自分が選んだ推したちの追っかけしてずっとアルバイトだったけど今月で辞めたから無職よ。ニートでもない、そんな私が候補なわけないじゃん」
言い出したら受け入れられずに涙が自然と目元から流れてきた。
とびっきり気合を入れていたアイラインが崩れないように涙を乾かそうと顔を背けて手で仰いだ。
マイクをつかって話は続けられる。
「そしてより多くから愛されて支えられても受け入れられる人を見抜くことができる目をもっているということが碧様が自然と惹きつけられるという人物。碧様が愛する推しという存在を見つけてその推しが皇帝に一番相応しい人物だという結論に至りました。碧様が招かれることで一度で国の問題がすべて片付くということです」
勝手に片付けられたくない。
「私の目で見抜いていたのは人を惹きつける魅力や才能でしょう。原石を見つけられるというだけでしょ。誰でもいいんじゃないですか?」
問いかけると説明が続けられる。
「違愛情はプラスにもマイナスにもなる力。受け止められる容量が決まってます。押しつぶされない人を感覚で碧様は見抜ける。それもオタクという経験から見えるようになったということですね。十回目の人生もすべてオタクで終えるのも碧様だけですよ。ですからいっその事貫きませんか?」
涙が引っ込んだ。
「十回目って私はまだ生まれて一回目よ。さっきからオタクって褒めてるの?」
「はい。呼ばれている世界には推しという概念がありません。国は荒れていましたが私の天命の声をきき綺麗に洗い流して国を立て直した者たちに頼まれたのですよ。私の願いを果たした者の頼みを聞かないと崇めてもらえなくなる」
「あなたと私は関係ないのですけど」
「人として同じものを飽きずに支え続けるのには愛だけでなく忍耐が必要。碧様はすぐに転生したとしても天命を果たせます」
ちらっと時計を見るが消されていた。
開演前のようだ。徐々に会場の照明が落とされていて急かされているようだ。
「死ぬことでぐずってるわけじゃない。私は推しの存在で生きていられただけ。全力で推して人生を捧げたせいで死んだんだから転生したらゆるオタになるけど文句ないわよね」
「はい。どんな条件でも推しを見つけることが皇帝になる人を選ぶという天命には逆らっていませんから自由です。転生する注意事項として縁を解かせてもらいます」
「縁?」
「今の世界で推しという存在と縁を持つ前の16歳に戻ってもらいます。そしてこの世界の推しの記憶が薄れて消えると思います」
「記憶はすべて消えるの?」
「いいえ。習慣のように刷り込まれたものは消えません。記憶や思考という粒子は世界を行き来できます」
記憶を持っていてもつらいだけだけど忘れるかもしれない。
スマホのギャラリーも持っていけないのなら保存しまくった推したちの写真。
すべて記憶に焼き付けれたらよかったのに。
せめて頭のなかにSDカードが挿入できたらよかったのに。
「契約条件は今の世界で生きる母が豊かに幸せに生きられることだけでいいです」
「それだけでいい? 世界を跨ぐから戻ってこれないし会えなくなりますが他にはいいですか?」
「もちろん。心残りは母ぐらい。十代で私を産んだからまだ若いの。これからの人生も幸せに過ごせるようにだけして」
ちょうど昨日見たかったドラマは最終回で終わった。
スペシャル版も見れたことだし悔いはない。
「契約事項に含めました。必ず守りますからご安心を」
「推したちは私という大勢いるファンの一人というだけだから私だけが愛してるということだけで十分です」
「では先に16歳の姿に戻ってもらいます」
「ちょっとまって! その時の体格のままじゃまずい」
パチンと指を鳴らされると十六歳の自分になった。
着てる服がパツパツで苦しい。
腕をあげたら裏地がビリっと裂けた音がした。
ああ、絶望的だ。
学校のストレスで買い食いで食いまくり履けるジーンズを探しに店をまわって時の体形に戻ってしまった。
お腹も満腹ではないのに幼児体形のせいで膨らんでいる。
「必死でダイエットしたのに」
「それで謝罪の件は転生後の生活で責任をとります。ご希望はありますか?」
「衣・食・住に困らないようにして。推し活するには生活ができてないと成り立たない」
「こちらで手配しています。碧様は大勢の人を幸せにしているのでその点はご安心ください」
推したちに幸せにしてもらったけど私が幸せにしたとはどういうことだろうか。
詳しくは聞くのは止めておこう。
間違いだろうと生活ができてたら心配ない。
照明が落とされて暗転し幕が上がる。
いつの間にかステージの上には誰もいないようだ。
ライトのかわりに白いスクリーンで今までが走馬灯のように早送りで映し出される。
そして衛星からみた大陸のようだった。
ずっと見てきたアジアの時代劇のドラマようだった。
4D映像のように香りか霧の湿気った木の香りに鳥の鳴き声。
「碧様にはこのたび私の代わりに皇帝を選んでいただきます」
「聞き忘れてたけど能力とか使える?」
「いいえ。ありません。特殊な能力は存在しません」
まるっきり時代劇だ。
「せっかく転生するのに能力ぐらい欲しい」
スクリーンの画面の中に映しだされた世界のなかに入り込んでいく。
ぎゅっと目を閉じライブ会場からスクリーンで転生した。