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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

理想の過去をはべらせて 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 君は、何を美しいと感じて、生きている?

 美しきものを求め続ける。時にはその姿勢がはなはだしいばかりに「醜い」「あさましい」とそしられることもままあるな。

 けれど、自分の美意識の琴線に触れるものを、手元に置いておきたいと考えること。その思考自体は、非難されるべきものじゃないと思うが、君はどうだ?

 美しいものを永遠に磨くことができるのは、記憶のうちにしかない。現実にあるものは、保つのに多くの力を必要とし、それでも状態は悪くなっていくばかりだ。

 美しき思い出の再現。それを成さんとした、昔の話を聞いてみないか?

 

 ある領主が家督を譲った直後。実に40年の間、彼に連れ添った妻が他界した。

 元領主は大変悲しみ、また、いたたまれないさみしさに襲われる。

 一人より、二人でいる時の方が長かった半生。一人での過ごし方など、40年前の元服の際、その場へ置き去りにしてきたものだから、どうすればいいか分からなかった。

 

 妻の初七日が済んだ後。「大殿」と呼ばれるようになった元領主の屋敷には、多くの女中たちが集められる。

 その意図、表明はされなかったものの、周りの皆は、うすうす感じることができた。

 亡くした妻の代わり。

 彼女らは元領主の身の回りの世話をすると共に、夜になるとそのうちの一人が大殿の部屋へ呼び出されて、一夜を明かすんだ。

 同じ女性が呼び出されることは、なかった。

 それどころか、一度部屋を後にした女性は、今後、どのような理由や偶然があったとしても、また「大殿」と顔を合わせてしまうような事態があれば、即座に解雇されてしまう。

 

 ――きっと顔を見てしまうと、亡くした母への罪悪感が湧くのだろう。ひと晩、情を交わしたことで、余計にな。

 すぐに首を切らないのは、あくまで労働力としてならば許す、という考えではなかろうか。

 

 息子のひとりはそう語ったそうだ。

 女中は代わり続けるが、その年齢層は10代から還暦近くまで幅広い。そして呼び出される機会に、偏りもない。

 40年の思い出を手繰っている。地続きではなく、断片的に想起しながら。

 その日、その日で自分の思う年代の妻に、近しい者を探し、呼び出さんとするんだ。

 そのため、どれほど奥方に似ている者でも、大殿の希望へ応え続けることはできなかった。

 

 この所業は最初の数年こそ、同情の念を持って黙認されていたようだ。しかし、時と共に、大殿の恩恵を実感することができない世代が対象になるにつれて、不満の声が大きくなり始める。

 誰かの代わりとして、一方的に掴みよせては捨てていく、れっきとした略取だと。

 

 ――何とかして、この被害を止める方法はないのか?

 

 有識者たちが集い、様々な古書をひっくり返した結果、その中から見つけ出された、とあるまじないが試される運びとなった。

 

 まじないの対象となったのは、戒めを破ったとして還俗げんぞくをさせられる予定の、若い尼のひとり。

 同時に、お腹へたっぷりと肉がつき、およそ元領主の屋敷へは招かれそうにない体型の者が何名も集められたんだ。いずれも様々な理由で、俗世にかける望みを失った女性ばかり。

 まじないを行う当日の正午。執り行う僧は、まず、還俗させられる予定だった尼へ告げる。


「これが成った暁には、大殿はそなたしか呼ばなくなるであろう。元よりとがを負いし身。それをすすぐつもりで臨むがいい」


 続いて、太りし女たちへ。


「これより、務めが終わるまで、そなたらにはこの寺の中へ住まってもらうぞ。許可のある時以外、外へ出ることはまかりならん」


 彼女らは境内の一ヵ所へ集められる。固まった場所の四隅には、お坊さんたちの手によって燭台が立ち、火が入れられた。火がついた端から、パチパチと音を立てて火の粉がはねる。

 中央に尼。それをぐるりと囲む女たち。彼女らは一様に正座をして目を閉じ、手を合わせている。

 やがて彼女らへ声を掛けた僧による、読経が始まった。古書から書き写したもので、ここに居合わせた誰も、耳にしたことがない文句。

 その間も、囲われた彼女たちは、祈りの姿勢を崩さない。


 半刻ほどが経つ。不意にびゅうっと風が吹いて、四つの燭台の火を同時に消した。

 薪の焼け残りから煙が上がり出すのと同時に、囲みの中央の尼が、おのずと前へのめって、うつぶせに倒れ込む。

 ややあって起き上がった時、彼女の顔は、以前のそれとはまったく異なるものになっていた。その顔を見知ったことのある老年の者は、驚きの声をあげる。

 大殿の最愛の奥方。その若かりし頃のものに、そっくりだったからだ。

 

 僧が読経を止め、儀式の成功を告げた。他の女たち、お坊さんたちからも力が抜ける。

 その日は全員が寺の中で過ごすことになり、大殿の館にも連絡が飛んだ。翌日には件の彼女を受け入れてくれるように、手配をする。

 翌日の受け入れ時も、若い頃の奥方を知っている者は驚いたようだが、内心では「さほど意味を成さないだろう」と思っていたそうだ。これまで同じような例が、たんまりとあったから。

 ことによると、真っ先に呼び出されて夜を過ごしたのち、すぐさま解雇される恐れさえ。

 いつお役御免になるか、屋敷に勤める者たちの間では、着いたその日から賭けの対象になったそうだ。

 そしてその晩。早速呼び出されて、早い時期に賭けた者は、胸を高鳴らせっぱなしだったとか。

 

 一方、同じころの寺で。

 儀式の時の太ましい女たちは、屋内の一角に布団を敷き、そろそろ寝ようかという態勢だった。

 先ほどまで取っていた夕飯は、てんこ盛りの精進料理。いささか苦しさを覚えるほど食べさせられたのも、彼女らの眠気を誘っている。

 

 そのうちの数名が、急にお腹を押さえてうめき出したんだ。そばに控えていた巫女たちが、寝間着を引っぺがして腹部を見る。

 へそを中心として、じょじょに外側へ渦を巻くように、青黒いシミの線が広がっていくのを彼女らは確認。あの儀式を執り行った僧へ報告に走った。

 僧が姿を見せた時には、うめいていた女子たちが、すでに胴着へ着替えて中門の前へ集まっていた。

 僧は彼女らの前へ立ち、告げる。


「そなたらの腹の肉には、あの尼の身体の穢れが移らんとしている。これより動くことでその肉を落とすのだ。良いというまで、休むことを許さぬ」


 僧自身も先頭に立ち、一行は境内の外周を走る。

 彼女らはたちまち、脂汗をかき始めた。昼間より段違いに涼しいにも関わらず、流す量が尋常じゃない。

 胴着も緋袴も、すでに濡れ雑巾のごとき様相。一歩ごとに「ぐしゅ、ぐしゅ」と水音が響き、足元にしずくが垂れていく。

 そして一周が終わるたび、中門の前で立っている巫女たちが、彼女らと並走するようにして腹の様子を確かめる。渦を巻くシミが完全に消えてしまうまで、一同はずっと走り続けたとのことだ。


 あくる日。すでに僧は昨日の晩、例の元尼が大殿に呼ばれていたのを聞いていた。下手をすると、この一日で屋敷を追い出される可能性もある。

 じっと僧は待つ。朝が過ぎ、昼が過ぎ、じょじょにまた夜が迫ってきた。

 その間、件の女性たちには相変わらず、大盛りの精進料理を朝も昼も食べさせ続けている。


 ――準備は整えている。後は今晩に、起こること次第だ。


 結局その日、僧のもとへ、あの元尼が戻ってくることはなかった。

 そしてその晩も、一部の女たちの突っ張った腹に、青黒い渦巻きのシミが浮き上がる。


 ――これは、ことが上手く運んでいるか。


 その晩も境内の周りを女たちと駆けながら、僧は翌日の知らせを待つのだった。


 結果は僧の予想通り。しかし周囲の、特に大殿に仕える者たちにとっては驚くべきことが起こったんだ。

 例の元尼が二夜連続で、大殿に自室へ呼ばれたという。これは初めてのことだったんだ。

 原因は彼女の容姿が、がらりと変わっていたこと。昨晩、呼ばれた時には、確かに30に届くかどうか、という容姿。僧たちが境内で見たものと同じだったという。

 それが一度、部屋を出ていった後、着替えて炊事場へ姿を現した彼女は、10代半ば。

 嫁入り間もないほどの、愛らしささえ覚える若々しさを誇っており、顔つきも相応に変わっていたとのこと。


 それからも彼女は指名され続け、他の女が呼ばれることは、すっかりなくなった。

 彼女自身が、その日、その時によって代わる、大殿の希望。それに叶う顔と姿へと、変わり続けたからだった。

 いかなるまじないか、と密かに僧へ尋ねに来る者もいたが、「話せば、いずれ割れまする。恐れながら詳しいことは、大殿がお隠れになられた後に」と譲らない。


 数年後。大殿が亡くなり、屋敷に集められた女たちも、一斉に暇を出された。

 元尼については、大殿の葬儀が終わった翌日。屋敷の裏手で座禅を組んだまま、息を引き取っているのを発見される。確認した者によると、その容姿は儀を執り行う前の、彼女自身のものに戻っていたとか。

 約束通り、僧はまじないについて語る。

 多くの者が察した通り、あれは選んだ者の姿を変える呪術。しかし、一回だけ姿を異なるものへ変えたとしても、移りゆく大殿の願いには応えきれない。

 そこで姿を変えるために、身体につく「肉」を用意した。それがあの太ましい女性たちだったのだと。


「彼女らの身体には、精進のための料理を食わせ続けることで、祈りを注いだ。大殿と過ごすあやつの疲れた肌と肉、それを代わりに引き受けて、逆に新鮮な肌と肉をあやつに送り続けるよう、仕向けたのだ。

 疲れて汚れたものは、そのまま捨て置けば、まじないが解けかねない。ゆえに夜半、寺の周りを走らせることで、汗と共に肉を燃やしたのだ。そして失った分を精進の料理をたらふく食べることで、補う。

 これは多くの肌と肉さえあれば、思い出のきみの身体をいくらでも再現しうる。己が抱く過去に抱かれた、大殿の今わが、安らかであることを願うのみだ」


 やがて僧もこの世を去り、この一件を知る者の一部は、そのまじないが書かれた古書を探したものの、ついに見つかることはなかったとのことだ。

 



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