私たちの求める理想の生活とは?
我が国、日本国は今日世界の中でも非常に安全で生活水準が高い住みやすい国として知られている。
安全であると言うことに関しては日本は正式には軍隊を持たず、国民の拳銃の所持が認められていない事などからも知ることが出来る。
では一方で、生活水準が高いと言われるのは何故だろうか?
そもそも生活水準が高い、つまり”生活が豊かである”と言うのは何によるものだろうか?
おそらく、生活が豊かであるのは金銭的な問題つまり経済が発展しており、他国と比べある程度裕福であるからだと思った人が多数だと思う。
私は確かにその要因もあるとは思う。しかしながらその要因の一番に私が上げたいのは『国の法』だ。
これを見た瞬間、全くの無関係だと思った人がいるかもしれない。
それでは、もし法が次のように一点だけでも変わっていたらどうだろう。
例えば国の法、憲法に”軍隊制度”が記載されていたらどうだろう?
軍隊制度があるならば勿論、徴兵制度もどこかに記載されているはずだ。
徴兵制度が存在すれば、一般的にある年代の男子が訓練を受けさせられ、戦争が起これば戦場へ駆り出されるだろう。
ここでのある年代の男子とは大体、家族の主人か長男に値するだろう。
となれば、訓練期間中や戦時中となるとその家族に空白ができてしまう。
それでは、”豊かな生活”とは少し言い難いだろう。
では例を変えて、成年するまでに最低限の教育が義務化されておらず、まともに教育が受けれないとするならばどうだろう?
教育が足りていないがために、就職活動は茨の道となり最悪親の脛をかじってニート生活なんて事も十分あり得うる。
それこそ、私たちの望む理想の生活とはかけ離れたものとなってしまう。
やはり私たちが生活していく中での社会のルール。つまり法が良い生活を作るための基礎となるのではないか?
そう、私は思う。
では、私たちが望む理想の生活を築くために必要不可欠な”法”は当然それなりの『良き法』であって貰わなくてはならない。
そこで今までの歴史上で、ある人たちの生活を良くする為に出された有名なものを例に挙げてみよう。
それはかの有名なアメリカの南北戦争最中に行われたゲティスバーグ演説で有名なエイブラハム・リンカーンの『奴隷解放宣言』。
今となっては高く評価されているこの奴隷解放宣言だが、当時奴隷によって経営が成立していた会社などの経営者などは酷く商売に影響が出て、面白くないと言う人が多かった。
その宣言後もリンカーンは素晴らしい政治を続けるが、ある日ある劇場で彼の政治のやり方に不満を持つ人物によって射殺されてしまう。
このように、庶民から見て素晴らしい法、つまり私たちにとって利益のあるものである一方でそれを良く思わず損してしまう人が中には存在する。
すなわち、政治家はどのようなことをするにしても誰かの不満を背負わなければならないのだ。
法というのは決して、誰にとっても素晴らしいものというのは存在しない。
私たちの理想で法は作れない。
もしそのような法が出来てしまったら国は成り立たない。
この理想を追い求めたものがある。
それはロシアのレーニンが生み出した『社会主義』だ。
彼の生み出した社会主義というのは、全ての人が平等に暮らせるように。という思想の社会だ。
給料は皆同じ、税金は皆同じ。
このような社会は普通に考えたら実現するはずもないのだ。
平等な社会、つまりは競争のない社会。
それは働く者の気力を下げ、社会、経済の発展を止める。
その理想の思想は一転して、生活を悪くして住まうのだ。
では、私たちはどんな生活を理想とするのか?
そしてこれからの社会、私達はどうしていくべきなのか。
それをまず考える必要があるのではないだろうか?
ーそう、私は考える。
ガチガチの文章で、面白みの欠けらもなかったと思います。
申し訳ありません。ていうかこういう文章なので・・・
なんども言いますが、これは私の意見に過ぎません。
あまり気にしないで頂くと、気持ちが楽です。
これからも小説の方もできれば進めていけたらなあと。
これからもよろしくお願いいたします。