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異界の者よ

「ルシアネさん、姫とリタさん、離宮の皆さんをお願いします。俺は、一八式で出ます」

 招かれざる闖入者ちんにゅうしゃのせいで、湖畔に漂っていたプロポーズの甘い空気が消し飛んでしまった。

 辺りが一気に緊迫する。


「承知致しました。この命に替えて!」

 ルシアネさんが、膝を折って俺にかしずいた。


 ルシアネさん配下の騎士が、離宮のメイドさん達を地下室に導く。

「さあ、姫様も参りましょう」

 ルシアネさんが姫を抱こうとすると、姫はその手を逃れて俺のところへ走ってきた。


 俺の腕を取って爪先立ちになるロネリ姫。


婿殿むこどの、ご武運を」

 姫はそう言って俺のほっぺたにキスをする。

 姫の可愛い唇の感触を頬に感じた。

 なんだか、くすぐったくてたまらない。

 それは、キスにも、婿殿って呼ばれることにも。


「ありがとうございます。さあ姫様、ルシアネさんの元へ」

 俺が言うと、姫は、とててて、って感じで軽やかに走って、ルシアネさんの腕に乗った。

 ルシアネさんの腕に抱かれて、俺に手を振る。


 守るべき幼妻からのキスは、残業の徹夜で飲むエナジードリンクの比ではなく、体がシャキッとした。


「よし!」

 俺は、気合いを入れて一八式に乗り込んだ。

 一八式に乗ったら、スクール水着(旧型)のまりなに後ろから覆い被さるっていう、人に見せられないスタイルなんだけど。



 離宮のエントランスに置いていた一八式を、湖岸の見晴らしのいいところまで歩かせる。

「敵は?」

 一八式のコックピットでまりなに訊いた。


「はい、映像を出します」

 まりなが、全天球モニターをズームして、まだ遠くにいるドラゴンを映し出す。


 山のように大きな塊が、ゆらゆらと空を飛んでいた。


 老木のように枯れてかさかさのうろこ

 先端に向けて扇状に広がる巨大な翼には、ボロ雑巾ぞうきんみたいにあちこち穴が開いている。

 痩せてゴツゴツした腕と、巨体を支えるには頼りない骨張った脚。

 深いしわが刻まれた顔はこけむしていて、その中に目が埋まっている。


 時々吐き出す瘴気しょうきのような紫の霧で、森の木々が次々に茶色くなった。

 ドラゴンは周囲の精気を吸い取って、それらを枯らしながら飛んでいる。

 


「銃を使う? それとも、刀で切り刻む?」

 まりなが訊いた。


「離宮に近付けたくないし、湖とこの森を汚したくない」

 ここは俺が国王からもらった場所で、たった今、ロネリ姫との思い出になった場所でもある。


「それじゃあ、とりあえず、一七式狙撃光線銃で撃って足止めしよう」

 まりなが言って、一八式がマントの後ろに備えたライフルを掴んだ。

 銃身と銃床じゅうしょうを伸ばして広げる。

 俺は、まりなの腕を取って、銃を構える仕草をした。


「エネルギー充填じゅうてん完了、お兄ちゃん、いつでもいいよ」

 まりなはモニターにスコープの画像を出す。

 前みたいに、偏差へんさの計算とかは全部まりながやってくれるらしい。


 俺は、銃口のマークである赤い点をドラゴンの頭に合わせて、引き金を引いた。

 正確に言うと、引き金を引いたようにまりなの指を動かした。


 すると、前と同じで、「ポツ」って、スピーカーのポップノイズみたいな音がして、一瞬、銃口が光る。


「やったね、お兄ちゃん! 命中だよ」

 まりなが歓声を上げた。

 当たったみたいだけど、やっぱり、前と同じで手応えがない。


 しかし、前と違ったのは、ドラゴンがそれで落ちなかったことだ。

 当たった頭の部分から、黄土色の体液を吹き出して、それでもドラゴンはこっちに向かって飛び続けた。


「あれ? おかしいな」

 まりなが首を傾げる。


 ドラゴンは体液をまき散らしながら飛んでいた。

 黄土色の体液は、地上に降ると、触れた物をじわじわと泡立たせて溶かす。

 木も岩も、そして、鉄さえも溶かした。


「まりな、もう一発撃とう」

 俺は慌てて指示する。

「うん、そうだね」

 

 ドラゴンに向けて、もう一発。

 それでも落ちないから、もう一発。

 さらに一発。

 

 それでも苔むしたドラゴンは飛び続けた。

 ボロ雑巾のような羽をゆっくりと動かして、瘴気と体液をまき散らしながら向かって来る。

 あれだけの傷を負っているのに、こっちの銃なんて痛くも痒くもないって感じだ。



「まりな、こっちから行こう」

 もう、これ以上、ドラゴンを離宮に近付けたくなかった。


「うん、分かった」

 一八式はマントをなびかせて空を飛んだ。


 純白の機体が、ドラゴン目がけて一直線に飛ぶ。



 湖面に波を立てて飛んだ一八式は、間もなく森の上でドラゴンと組み合った。

 ドラゴンは鋭い鉤爪かぎづめの手で一八式の肩をがっちりと掴む。


 まき散らされる黄土色の体液が一八式の装甲に降りかかって、シューシューと煙が上がった。


「大丈夫なのか?」

「うん、一八式の自己再生能力のほうが勝って、大丈夫な筈だけど……」

 何もかも溶かす体液に、一八式は耐えていた。

 エアコンが効いたコックピットは快適なままで変化はない。

 ここだけは宇宙人の技術に感謝した。



「よし、半分にぶった切ろう」

「わかった」

 まりなが言って、一八式の脚がドラゴンを蹴って間合いを作る。

 その隙に腰の刀に手を伸ばした。


 その時だった。



 異界の者よ、なぜ、ここに来た



 俺の頭の中に、そんな声が聞こえた。

 低くてしゃがれた、地の底から響いてくるような声だ。


 異界の者よ、なぜ、ここに来た


 それは、耳からではなく、直接頭に響いている。

 頭の中から声が聞こえた。


「お兄ちゃん、どうしたの?」

 異変を感じたまりなが訊く。


「まりな、今なにか聞こえなかったか?」

 俺は訊き返した。

「んっ? なにが?」


「まりなが何か言ったんじゃないよな?」

「なにを?」


 俺の聞き違いだろうか?


 異界の者よ、お前はなぜここに来た


 いや、聞き違いじゃない。

 それは、確実に俺の頭に響いている。


「お兄ちゃん?」

 まりなが、心配そうに振り向く。


「いや、なんでもない」

 俺は、まりなの手を動かして、一八式に腰の刀を抜かせた。


 お前はなぜここにいる


 その声を振り払うように、俺はドラゴンの左肩から袈裟懸けさがけに刀を入れて、真っ二つにした。

 少し力が入って、まりなの腕をきつく握ってしまう。


 切り口からおびただしい量の体液が溢れた。

 水風船を割ったみたいに溢れて、周囲の物、全てを溶かす。

 木々の根元が溶けて、波打つように次々に倒れた。

 それは石も岩も溶かして、放射状に広がっていく。

 やがて森に直径100メートル規模の穴があいた。


 全てを溶かし終わったあとで、上がっていた蒸気が消えると、そこに残っていたのはドラゴンの骨だけだった。

 それだけは溶けずに、荒野に点々と転がっている。



 ドラゴンを斬った途端、あの声も消えた。

 頭の中に響いていた声がなくなる。

 あれは、ドラゴンが発していたんだろうか?

 ドラゴンは、爬虫類はちゅうるいのような知性ではなく、言葉を操る知性を持っているのか?


 だとすれば、俺に対して何を言いたかったんだろう?



「お兄ちゃん、やったね!」

 俺は、まりなの声で我に返った。


「ああ、うん、そうだな」

 握っていたまりなの手を放す。


「それじゃ、頭蓋骨だけ持って帰ろうか。これで3個目の頭蓋骨をお城の門に飾れるね。国王がまた、ご褒美くれるかもしれないよ」

 まりなが嬉しそうに言った。


「ああ、帰ろう」



 異界の者よ、なぜ、ここに来た


 その声が、耳から離れない。


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