ちっぱい
「どうだろう。そなたにロネリを娶るつもりはないだろうか?」
俺が戸惑っていると、国王が畳みかけてきた。
俺の叙勲を祝って、広場に集まった民衆を見下ろすバルコニー。
「姫の方はもう、すっかりそなたに夢中のようだが」
国王が続けた。
確かに、横にいるロネリ姫は、お預けを食らった子犬みたいに目をうるうるさせている。
人目をはばからず、今にも俺に抱きついてきそうな勢いだった。
バルコニーには、他に、姫のメイドのリタさんや、国王付の女官、警備の近衛兵がいて、俺は囲まれている。
バルコニーの下は、詰め掛けた民衆で、俺の逃げ場は塞がれていた。
「無論、余の婿となれば、そなたには、それ相応な領地が与えられよう。従者や領民、衣食住に関する全て、王族として恥ずかしくない地位が約束される。英雄であるそなたなら、それ上が望めよう」
老獪な国王が、ニヤリと俺の目を覗き込む。
37人の妃がいて、56人の姫がいるという国王。
婿になれば、そのような生活も送れるぞ、と、言外に匂わせていた。
「突然のことでびっくりしています。少し考えさせてください」
俺は、かすれた声でそう絞り出すのが精一杯だった。
「もちろんだ。じっくりと考えるがよかろう。だが、戦士殿、良い返事を期待していますぞ」
国王はそう言うと、俺の肩をぽんぽんと叩いて、マントを翻し、バルコニーから去る。
去り際、王が民衆に向かって手を挙げると、歓声が一層大きくなった。
「どうして、『はい』と返事をしてくださらなかったのですか?」
バルコニーに残ったロネリ姫が俺に訊く。
姫は、少し拗ねたように上目遣いで俺を見ていた。
「私は、いつでも冬樹様の妻になる覚悟でしたのに」
胸の前で両手をぎゅっと握りしめるロネリ姫。
澄んだ瞳の少女に言われると、自分が何か酷いことをしてしまったような気持ちになる。
「そう言ってくださるのは嬉しいのですが、私なんかには、もったいないお言葉です」
俺は、つい最近まで冴えないただのサラリーマンだったし、今だってこの世界で右も左も分からないし、高貴な姫の気持ちを受け止められるような器ではない。
「そんなことはありません。英雄であられる冬樹様こそ、ロネリにはもったいないです」
姫が優しく言った。
「しかし、姫はまだお若いですし、私とでは年の差がありすぎます」
「以前言ったように、私の母様は、10歳で父王様に嫁ぎました。歳は関係ありません」
「ですが……」
こうやって聞き分けがないのが、幼い証拠なんだけど、そんなことを言っても仕方がないんだろう。
「あの、もしかして、私の胸がリタみたいに大きくないからですか?」
突然、姫がそんなことを言い出した。
「それで、ロネリのことお気に召さないのですか?」
「いや、そんなことありません」
俺は首を振る。
「だって、昨日の祝勝会で、冬樹様は、リタやルシアネさんに、あんなことや、こんなこと……」
姫がそう言って頬を赤らめる。
耳まで真っ赤に染める姫。
「だから、やっぱり冬樹様は、大きな胸の女性がお好みなのではと……」
えっ?
ホントに俺、昨日の祝勝会で、飲み過ぎて何をしたんだ……
「そうです、きっとそう。リタみたいな大きな胸がいいって、冬樹様の目が言っています!」
口を尖らせるロネリ姫。
「いえ、違います」
「いいえ、そうに違いありません!」
「いえ、本当に違います!」
「嘘です! 冬樹様は、ロネリの胸が気に入らないのです!」
「ですから、そんなことありません。僕はもちろん、リタさんみたいな大きな胸も好きですが、姫みたいな胸も好きです。ちっぱい好きです! 大好きです!」
「えっ?」
「あっ!」
言ってから、とんでもないことを口にしたって、俺は後悔した。
ちっぱい好きです! 大好きです! とか、成人男性が不特定多数の人の前で言うセリフではない。
決してない。
今のご時世、社会的に抹殺されかねないセリフだ。
案の定、バルコニーにいたリタさんがドン引きしていた。
他にバルコニーにいた女官や、警備の近衛兵が、俺を軽蔑の眼差しで見ている。
信じられないって感じで、ぽかんと口を開けている兵もいた。
「冬樹様、それならそうと早くおっしゃってくださればいいのに」
ロネリ姫が言う。
「どうぞ」
姫はそう言って、俺に胸を差し出した。
いや、どうぞじゃないし!
「ともかく、もう少し考えさせてください!」
俺は逃げるようにバルコニーを出て、姫の前から消えた。
姫から逃げて走ったら、不案内な城の中で迷ってしまって、自分の部屋に戻るのに苦労する。
「お兄ちゃん、年貢の納め時ってやつだよ」
部屋に戻ると、そこで待っていたまりなが言った。
まりな、アンドロイドのくせに言葉のチョイスが独特だ。
「俺が姫の婿になるって話、聞いてたのか?」
「うん、お兄ちゃんを守らないといけないから、昆虫型ドローンを飛ばして全部聞いてたよ。国王の提案も全部聞いてたし、お兄ちゃんが、大衆の面前で『ちっぱい大好き』って、自分の性癖を惜しみなく暴露したところも全部」
「いや、だからあれは……」
要約して言われると、あらためてとんでもないことを口走ったって分かる。
「婿入りの件、どうすればいいと思う?」
俺は、分からなくなってアンドロイドのまりなに相談してしまった。
「お兄ちゃんはしばらくこの世界で暮らすことになるんだし、だったら、ロネリ姫と結婚して王族になってもいいんじゃない? そうすれば、安定した生活が送れるし。ここは異世界で、まだまだなにがあるか油断できないし」
まりなが冷静に言う。
「妹型アンドロイドとしては、『お兄ちゃん結婚しちゃやだー!』とか、そういうリアクションはないのか?」
「そうして欲しいならするけど、これは、アンドロイドとして、お兄ちゃんの生命を第一に考えての意見です。私は、お兄ちゃんを守ることを第一にプログラムされてるから」
「ああ……」
俺は心底疲れて、正装のままベッドに倒れ込んだ。
「だけど、ロネリ姫って、なんでそんなにお兄ちゃんのこと好きなんだろうね」
まりながぽつりと言う。
「えっ?」
「だって、まだ会ったばっかだし、姫はお兄ちゃんのことよく知らないはずだし、お兄ちゃんは、一目惚れされるようなイケメンでもないし」
まりなよ、はっきりと言うな。
それは俺が一番自覚してるけど。
「確かに、一八式重歩兵っていう、お兄ちゃんが持ってる絶対的な力は、魅力的かもしれないけどさ。でも、あの姫は会った最初から、ずっとお兄ちゃんに好き好きって感じの視線を送ってるし、なんか変だなーと思って」
「そうだな……」
そういえば、俺も、姫のことをまだ何も知らない。
金色の髪で、くりっとした目の人懐こい姫、という以外、何も知らなかった。