② calm 著
冷静さを取り戻した私は、ハッと、あたりを見渡す。
探した。しかし、見つからなかった。
そう、有菜は引き釣りこまれてしまったのだ。
「有菜!」
私はそうさけぶと、あわてて海を見る。
紺碧の海だった海はもうどこにも無く、そこにはもう、灰色の荒波しかなかった。
「有菜…」
私が力の抜けた声でそういう。
「どうしたん…?」
ふと、後ろから聞き覚えのある声が聴こえる。
「田沢…」
私は泣きそうな声でそう声の主に答えた。
しかし、肝心の田沢は、
「どうしたん…?こんな所で一人で…」
と、ポカンとしている。
「有菜が…有菜が…」
私がそう言うと、田沢がありえないことを言う。
「有菜…?誰やそれ…?」
驚愕した。
あの、優しい有菜を、少しお茶目な、あの綺麗な、有菜を…
「覚えてないの…?」
私は、驚愕が隠せないような言い方でそう言った。
「覚えてないも何も、誰なんやそいつ。今回のツーリングは俺とお前、二人できたやろ?有菜なんてやつ、そもそも大学にいな…」
田沢のセリフがおわる前に、私は田沢に掴みかかっていた。
「ふざないで!有菜の事を忘れたの!?忘れたなら…思い出すまで殴ってやる!」
と、私が拳を振り上げた瞬間。
二人の身体が、ピタリと動かなくなった。
そして、五感の内、聴覚以外が全て、なくなった。
いや、そんな感覚に陥ったのだ。
視界も灰色に染まったように動かない。
なにも感じないような灰色の世界で私は聴いた。
ペタン、、、チリン。ペタン、、、チリン。
絶望を奏でるような、あの足音が。
有菜をさらっていった、あの足音が。
近付いてくる。
脳は、逃げろ。逃げろ。と指示を出しているのに、身体はその命令に背き、動こうとしない。
足音は近付いてくる。
私の身体の下にいる、田沢にも聴こえたようで、一瞬、驚きと共に、顔をこわばらせる。
一瞬、その足音の持ち主の思念のようなものが頭に流れ込む。
『身体は、手に入った。然し今は、何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。だから…』
恐怖に身を浸しながら、私はその思念を“聴いた”。
『お前達から奪うことにした』
今日何度目かの驚愕で、恐怖が掻き消える。
「奪うって…どういうことや…?」
私は、もう一度よくその“物体”をよく見る。
そして、もう何度目かわからない驚きで頭が、脳がゆさぶられる。
完全に。その“物体”の見た目はあのとても綺麗な体をした有菜のものだった。
「まさか…有菜の身体を奪ったんか!?」
『奪ったには少し誤解がある。交換した。のほうが近い』
落ち着いた調子で思念に語りかけてくる。
しかし、私は落ち着いて入られなかった。
「有菜を…返して!」
私はそう怒鳴っていた。
『それは出来ない。ほら、もうお眠り』
瞬間。
周りの風景が溶けた。
微睡みに堕ちていくような深い快楽と、安堵が纒わり付く。
目が覚めた時、私は病院にいた。
白い天井。
隣には田沢が同じ姿で横になっている。
「目を覚ましたんやな。二人して、森の袂に倒れていたんや。ツーリング客が居なければ危なかった」
その優しげな声を聴き、私はフッと力を抜いたが、すぐ起き上がろうとした。
しかし、起き上がれなかった。
左手が、動かないのだ。
左足も動かない。
まるで左半身が凍ってしまったかのようだった。
「君は左半身不随、そっちの子は失明してた。理由は不明なんだ」
私は絶望した。
しかし、思う。
有菜を助けなければ。
あの“物体”から有菜を救うんだ。
私はそう決意した。
著者(敬称略):calm
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