徒然:現実世界の『現在』に対する、小説内の『現在』
オフラインでの執筆、またはブログなどで一度発表したものなど全般の、現代物の小説について、個人的に、常々悩んだり疑問に思っていることがあります。
現代物の場合、小説に出て来る『小物』によってある程度年代が判明するわけですが、ここ十年ほどの間だけでも過去と現在では全く違うのです。
代表的なものとしては、携帯電話。
現在わたしが投稿している連載物を実際書いていたのは、数年前でした。
当時はまだ普通に『携帯電話』や『携帯』でも違和感はなかったのですが、現在では『スマホ』か『ガラケー』、しかも『スマホ』が主流です。
しかしわたし自身が『スマホ』という言葉があまり好きではなく、実生活においてスマートフォンのことを『けいたい』と呼んでいます。そういった理由もあり、本文内では(少し無理矢理ではありますが)『携帯電話』という表現を使用しています。
登場人物の台詞はさすがに修正を入れて、『スマホ』だったり『ケータイ』だったり、またはそれらを合わせた総称として『携帯』を使用することもありますが。
また、メールを『打つ』様子も、数年前なら『ポチポチ(と、打つ)』などでも通用しましたが、今は物理的な『音』がないため、オノマトペは使用できません。
十年近く前に書いていたブログ小説(当時流行ってたので、面白そうだから乗っかってみました)の中では、携帯電話(いわゆるガラケー)を改造してグループ内での通話を無料にしてみたり、本体デザインをオーダーしたり、また、無線タイプの小型ヘッドセット――形状やデザインまでも考えたりして――を使わせたりしていました。
でもそういった『当時まだなかった商品や機能』が、今では当たり前になっています。
わたしがあの時デザインや描写に悩んだ時間は一体どこへ……というアレがソレしたりもしますが、では仮に、当時のブログ小説を手直ししてどこかに応募したり『なろう』で発表しようか、と考えた場合、どこまで現在に合わせた描写に変更したらよいか、と悩んでしまったのです。
その話に出て来るサブキャラは別のシリーズのメインキャラで、各自の生い立ちの年表などもそれぞれあり、また他の作品がスピンオフとして存在していて……と、設定がややこしいために、思いっきり自縄自縛です。
そのままの設定で現在に時計を合わせると、小物の変更の他に、サブキャラ数人が一気に十歳近く老けるんですよね。
二十代から三十代への変更ならまだ「年齢よりお若く見えますね」程度で誤魔化せるかもしれませんが、三十代以降の人が以下略と考えると、なかなか厳しいものがあります。
単にサブキャラを別人にすればいいのかもしれませんが。ええ。
……と、ここまでがこのエッセイで書こうと思った内容だったのですが、書いててふと、「逆に、年代を固定するために、わざとそういう小物をその時代のまま登場させる方法もありかもしれない」という考え方も出て来ました。
ホラー作品として有名な『リング』も、当時のあの感じだからこそ、という表現ですね。
例えば、ブラウン管テレビの『奥行』、ビデオテープを手に持った時の『存在感』、テープを再生した時の『画質の粗さ』……
現在の薄型テレビ、ディスクや配信サービス、高画質ではスマート過ぎるため、あのリングシリーズに漂う『和風ホラー』の良さが表現できないような気がします。まあこれは結果論になりますが。
ちなみに、わたし個人としては、原作&初期のテレビ版推しなので、映画版はあまり……なのですが、それは置いといて。
そういえば、『当時の風俗や文化をそのまま描く』というのは、時代劇などでは当たり前ですね。
ということは、昭和とまではいかないで平成の期間でも、20世紀から西暦2000年前後までは、ある意味『時代劇』になるんでしょうか?
舞台の年代を固定していない場合は常に『現在』に合わせた表現が必要になって来る現代小説って、こういうことに関して、絵やコマ割りで補足可能な漫画より難しいものだと、つくづく感じます。
個人のWeb小説だけではなくプロの作家の作品でも、文庫版や出版社変更によるリニューアル時には、時代を『現在』にチューニングすることがあります。
わたしが見たことのある範囲では、携帯電話やポケベルなどのデバイスはもちろん、煙草の銘柄や車の種類なども、大幅に変更が入るようです。あと細かい部分では『看護婦』を『看護師』に変更したりなどもたまに見掛けます。
逆に、特急ナントカだのカントカ何号だのがアリバイに使用されるミステリなどは、当時のままですね。
つい先日、今は編成されていない長距離の急行だか特急だかが利用されるミステリ小説を目にしました。
ダイヤが変更される程度ならまだしも、列車そのものがなくなってるのですから、下手に修正するとトリックそのものが成立しなくなってしまいます。
ミステリを書く人たちは大変だなぁ……