8話 毒を持つ男
「ねーねー、時宮君。お客さんだよ」
「うん?」
立花の声に俺は教室のドアに目を向ける。
四時限目の英語。
先生よもうちょっとやる気を出せよと毒づきながら睡魔と空腹との戦いが終わり、一息ついたところでの出来事。
取ったメモをざっと眺めた時に立花がそう言ってきた。
「米満蓮か……」
凡人受けしそうな人懐こい笑みに中性的な容姿。
豊富な話題と計算された仕草によって女子からの人気は絶大で、滝山を越えるほどだ。
けど、その姿形に騙されてはいけない。
俺の中では、六人の中で最も裏表の使い分けが上手い人物。
一般的に、異性受けする容姿は同性には嫌われるのが通例だが、米満は硬軟織り交ぜた手管によって男子からも一定の評価を得ていた。
「ん、分かった」
米満に限らず、学年を代表する六人にはあまり接触したくないんだよな。
俺はあくまで傍観者であって当事者ではない。
安全なところであーだこーだ言う方が性に合っているんだよ。
「こんにちは、米満君」
会うのは二回目という場面に相応しい畏まった礼をする俺。
「初対面じゃないんだから、そんなに固くならなくていいじゃないか」
「固くなるよ。だって僕は他クラスの代表である米満君に何か粗相をしたのと心配になるし」
「いや、今のところ君は僕に何もしていないよ」
「だったらどうして僕を呼んだの?」
まあ、理由は大体目星がついているけどね。
「興味を持ったのさ。時宮君、多分君は一番の有名人だよ」
一番の有名人とか。
大分大きく出たね。
「お昼、まだだっけ?」
「早弁しない限りは」
中には五分で定食の大盛りを完食する猛者がいるが俺はそんな特技など持っていないよ。
飯ぐらいゆっくりと味わって食べたい。
「んじゃ決まり。一緒に食堂に行こうか。クラス代表特権で自由に使える席があるんだ」
柔らかそうに見えて有無を言わさない強硬な態度。
俺の意志など無関係といわないばかりの笑みに俺は一瞬カチンときたがすぐに思い直す。
取り繕う素振りすら見せない凡人に比べたらまだましだ。
あいつら、他人には平気で強要するのに、自分がやられると人権侵害だと騒ぐからな。
凡人が支配するこの世界は相変わらず理不尽だと思う瞬間である。
「へえ、中々しゃれた弁当だね」
道の駅で買った食材を詰め込んだ俺の弁当を見てそう褒める。
「時宮君って料理の才能があるんだ」
別に俺は料理が好きで上達したんじゃないぞ。
必要に駆られてだ、もし出来なければ日の丸に冷凍食品だけという弁当が嫌だから身に付けたんだ。
米満は弁当でなく食堂の注文。
しかもクラス代表のみが頼める限定定食である。
「うん、美味しい美味しい」
美味そうに食べて何よりだ。
俺も早いところ空腹を解消したいので割り箸を手に取る。
「いやあ、この定食を食べられるだけでもクラス代表になった甲斐がある問題よ」
「おめでとう」
それは自慢か?
クラス代表じゃないから食べられない俺に対する当てつけか?
「ん? もし気になるなら予約しておこうか? クラス代表でなくても、代表者が推薦すれば予約して食べられるんだよ」
選ばれた者が、選んだ者に対する施しか。
食べられない凡人が羨むような定食だ。
さぞかし美味しいのだろう、が。
「遠慮しておくよ」
断わるのが無難。
「そりゃあ、そうだろうね。滝山ならともかく、他クラスの僕からの御馳走は体裁が悪いだろう」
勝手に納得しているようだが、そうじゃないんだよ。
俺は全ての土台である凡人ではないし、かといって米満や滝山のような位置にもいない。
「料亭で政治家に接待されたジャーナリストを君は信用することが出来るかい?」
俺は滝山の子分ではない。
上下とか対等とか、そういった関係とは無縁である関係だ。
「アハハ! それは面白い意見だねえ、久しぶりに笑ったよ」
普段浮かべている笑みは仮面の笑みってか。
そう考えていると、普段の米満の微笑が寒々しいものに思えてきた。
「笑いたいのなら笑点や吉本新喜劇でも見た方が良いよ」
あっちはプロだからね。
本気で笑わせてくれるだろう。
「それは考えておこう」
これ、絶対一時間後には忘れているな。
まあ、俺も一生涯覚えておいてほしいつもりで言ったわけではないのでお茶を一口。
「で、僕に何の用?」
本題に入ろうか。
「うん? ああ、時宮君は学年一の実力者だから興味を持った。で、実際に会ってみた。それだけ」
「まあ、興味を持つ持たないは個人の自由だから仕方ない。が、僕が学年一の実力者という表現は引っかかるな。僕は日陰でコソコソしているひねくれ者なんだけど」
少なくとも凡人は俺は実力者と認めていない。
「ハハハ、時宮君って意外と謙虚だね」
事実をありのままに述べることを謙虚というのは初耳だな。
そう考えている俺に米満は嘘くさい笑みを消し、真剣な表情を作る。
「入学式で華鳳院を打ち負かし、滝山に信頼され、雲道に発破をかけ、光莉を部に巻き込んだ時宮君をどこにでもいるひねくれ者だと言うのかな?」
「失礼な発言になるけど米満君の眼は歪んでいる。真実の眼は、華鳳院にいちゃもんを付けられ、滝山に便利屋扱いされ、雲道の愚痴に付き合わされ、光莉の部の存続運動に巻き込まれた気の毒な生徒だ」
そう思われているからこそ、俺に接する凡人の眼は生暖かいだなこれが。
「それは君の情報操作が上手くいっているからじゃないかな?」
「無駄な足掻きはしない主義だ」
どんなに巧妙に偽装しようとも世界の主たる凡人の追求の前には無意味と化す。
何をどう繕おうとも無駄になるのなら諦めて正直に行動した方が遥かに楽だ。
「雲道さんにも言ったのだけど、僕のことを調べても出てくるのは『凡人の挙動にしか興味がないひねくれ者』だけだ。基本的に僕の関心は凡人しかないのだから君たちの敵にはならないよ」
選ばれた者による派閥争い、蟲毒の壺、勝手にやってくれ。
俺は酒を飲んだ酔っ払いの如く予測不能な凡人達に踏み潰されない様逃げ回っているから。
「アハハ、時宮君は面白いねえ。そこまで言い切る人間なんてそういないよ」
「凡人は自分のことを凡人と認めないから凡人だからね」
己のことすら見ようとしない輩が世界を回しているとか。
世界は本当に不条理だ。
「米満君はこれで満足したかい?」
米満曰く、俺は学年一の実力者。
しかし、その素顔は凡人の一挙一動に怯える臆病者に過ぎなかった。
そう脳内に書き込んでくれれば嬉しいんだけどね。
俺は好き好んで米満と接触しようなんて思わないし。
「まあ、これであらかたの予想は付いたかな」
何をどう予想したのか。
米満の浮かべた意味深の笑みは俺の本能を刺激する。
これ、くぎを刺した方が良いな。
「二度目になるけど、米満君が何をどう思おうが君の自由だ。しかし、僕を排除しようと動き出すのならば僕もそれなりの対策を取らせてもらう。
降りかかる火の粉を払いのけないほど俺は善人ではないぞ。
警告の意味を込めてそう忠告すると、米満はハトが豆鉄砲を食らったような顔をする。
「驚いた、時宮君は人の感情が読めるのかい?」
「人並み程度の空気は読める」
衝動と熱情が支配する刹那的な凡人の考えを常日頃から先読みしているんだ。
それに比べたら論理的思考を行う米満達の方がずっと読みやすい。
「うーん、やはり君は危険かなぁ」
ピンの外れた手りゅう弾を手で弄ぶかのような微笑。
これぞ天使のような悪魔の笑みに相応しいな。
……米満は理論を尽くせば納得してくれるタイプだと思っていたんだけどな。
この様子だと何が何でも俺を危険認定しなければ気が済まないらしい。
独断と偏見は凡人の専売特許だぞ。
君のような凡人と一線を画す少数派はもう少し理性で判断しようよ。
しかし、まあ。
「仕方ないか」
俺は二つの意味を込めてそう呟く。
何のカリスマ性もない俺の言葉など説得力が皆無であり、米満の翻意を促せない事実。
もう一つの意味は、そんなにも米満が凡人に堕ちたいというのなら止めはしないということ。
この世界は凡人が主人公なのだから、その主人公になればいいさと思った。
「ご馳走様」
いいタイミングで弁当が空になったので俺は席を立つ。
「あれ? もう終わり?」
米満は戯言遊戯をもっと続けたいようだ。
「僕よりも雲道さんとやれば良いと思うよ」
あいつもこういった遊びが好きなようだから思う存分やってくれ。
俺は凡人に関係のない事柄に興味はないんだ。
「時宮君、もっと遊ぼうよ」
「ご免被る。遊びたいのなら他の人と遊べ」
お前と遊ぶと疲れそうだ。
「それじゃあ、今度は舞台を整えて待っているから」
いや、本当に嫌だから。
俺はそう思うも、現実は拒否権はないのだなと嘆息する。
もし米満が凡人を使って仕掛けてくれば俺に断わる術はない。
そして米満はその凡人から上に立つことを認められている。
「厄介な奴に絡まれたよ」
ああいうのは雲道一人にしてくれと心底願った。
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