7話 時宮の限界
次の日。
雨添先輩が所属する文芸部の部室の説明を俺は受けていた。
「へえ、中々の本があるね」
本棚が二つ、そこに有名どころの小説が敷き詰められていた。
「環境も問題なし、この分なら問題なく勉強に集中できそうだ」
図書室より良い勉強スポットを見つけた俺は軽く上機嫌になる。
「そう? 図書室の方がずっと良い環境だと思うけど」
「いやあ、それがね」
雨添先輩にはわかるまい。
俺が図書室にいると三日に一回の割合で雲道とエンカウントすることに。
あいつは俺を何だと思っているのか。
『今日、クラス中から無視されたわ』
『フフフ、私を恐れてなのか、鞄が放り出されていたのよ』
『まあ、やられたからにはしっかりとやり返すのが私の流儀。実行犯は私の部下になったのよ』
集団によるいじめに対し、謀略とカリスマで対抗する雲道。
話が本当ならば、次のテスト後ぐらいには雲道がクラスを掌握しているだろうな。
……なんというか、中々ハードな高校生活を送っているようである。
「色々あって存分に勉強しているとは言い難いんだ」
あんな重い話を聞きながら集中して勉強できるほど俺の心は強くないぞ?
「だから良かったと思っている」
これで雲道の愚痴に付き合わされることはないだろう。
と、安堵していた俺に雨添先輩が一言。
「けど、雲道さんが入部したらもっと酷くなるんじゃない?」
「……」
いや、まあその可能性もなくはないけどね?
「彼女の入部に関しては俺が審査しよう」
絶対に入部させまい。
これ以上俺の安息空間を壊されてたまるものか。
「話は変わるけど、光莉さんは本当に来るのかな?」
雨添先輩はまだ見ぬ部員について心配を始める。
「時宮君とあと一人いなければ部の存続要件が……」
「大丈夫だって」
賭けてもいい、絶対に光莉は来る。
俺には確信があるから何とも思わないが、確信がない雨添先輩は不安が先行するようだ。
頻繁にドアを見ている。
小さな体を縮こませて、瞳を揺らしている様子は、凡人なら庇護欲を掻き立てられるだろう。
生憎俺は凡人と一線を画す存在なので特に思わないけどな。
が、雨添先輩を消耗させて悦ぶ趣味など俺にはないので嘘を吐くことにする。
「もし無理なら立花さんていう人を紹介するよ」
まあ、立花はすでに滝山が所属するサッカー部のマネージャーなので無理なんだけどな。
しかし、他学年の情報に疎い雨添先輩はそのことを知るまい。
「そう、良かった」
俺の嘘に彼女は安心したように目を伏せた。
光莉が来ない前提の話など無意味なんだけどなぁ。
どうして凡人はありもしない、荒唐無稽な話ほど心配するのだろう。
もっと他に現実的なことを考えた方が効率的だと俺は思う。
「ほら、来たよ」
俺がそう声を上げると同時に扉が開く。
「文芸部というのはここで間違いないでしょうか?」
渦中の人物。
「ようこそ、光莉さん」
俺はあざといほど満面の笑みで光莉を出迎えた。
「っ、よろしくお願いします」
俺の姿と言葉に一瞬顔を引き攣らせたものの、雨添先輩を認めて笑顔を作る。
うんうん、俺の予想通り。
光莉は無関係な人間を巻き込むのは避けるタイプだからね。
「ちょっと時宮君。お話があるのだけど」
けど、その分特定の相手に対する怒りが大きいけどね。
「はいはい、何かな?」
今後を円滑に進めるためだ。
俺は逆らわずに席を立つ。
「え? あの?」
「大丈夫大丈夫、簡単なお話だから」
「そうですわ。なので雨添先輩が心配することはなにもありませんわよ?」
雨添先輩の可愛い瞳が揺れたので俺と光莉は笑顔を浮かべて彼女を宥める。
偶然生まれた息の合ったコンビネーションに光莉が嫌そうな顔をしたのはご愛嬌。
「それじゃあ、ちょっと待っててね」
俺は手を振りながら光莉の後についていった。
部室近くの、人通りの全くない階段付近。
そこで俺と光莉は相対する。
「それで、何の用かな?」
「分かっているくせに。どうして私を巻き込んだのかしら?」
光莉の気持ちは分かる。
一度しか面識のない生徒が突然現れ、部に入らなければならない状況に追い込まれたら誰だって反感の一つや二つは覚えるだろう。
「巻き込んだという面識はないかな? 俺としては有名税を納めてもらっただけなんだけど」
光莉や滝山といった凡人の上に立つ存在は、必ず何かのかせを付けられる。
その一つが有名税。
その地位と人徳を凡人に使うのは当然じゃないか。
「ふざけないで。仮にそうだったとしても、どうして貴方なんかに」
「いや、僕のためじゃないよ」
ここは否定しておかないと全てが狂う。
「何度も言うように、僕はサブで主役は雨添先輩。先輩のために光莉さんは頑張るんだよ」
雨添先輩は凡人だ。
気が弱い小動物のような存在で、何かしらの信念は持っているようだが、大きな力の前だと屈してしまう程度。
そんな健気な先輩を守るのは力ある者の義務だろう?
「それとも光莉さんは雨添先輩を見放すのか? 今いる場所を守ろうと、苦手な勧誘活動をしていた先輩を自分の都合で? けど、それでも良いよ。僕は優しいからね、引き止めることはしないと誓おう--ただし」
光莉の周囲の凡人は許さないだろう。
仮定の話になるが、もしこれが華鳳院や雲道、滝山達なら切り捨てることになってもそう傷はつかない。
何故なら、彼ら彼女を支えている凡人達は彼ら彼女のそういった一面があることを知っているから。
しかし、光莉を支えている凡人達は違う。
誰であろうと分け隔てなく接し、救おうとするから凡人達は上に立つことを許容する。
それが果たされないと知れば凡人達は容赦なく光莉を落とすだろう。
勝手に持ち上げ、勝手に掌を返すのが凡人の習性さ。
「滝山クラス所属の身としてはその方が嬉しいね。ライバルが減るから」
光莉のクラスの大きなダメージは避けられない。
最下位が決定するので、クラス単位で争っている身としては嬉しいことこの上ないよ。
「時宮君。仮定の話になるけど、もし雨添先輩が貴方のことを嫌って出て欲しいと願ったらどうする?」
「何を言っているんだか……」
あまりにも当然なことを聞いてきたので俺は思わず肩を竦める。
「潔くこの部活を去ろう。雨添先輩にはこの部活が必要不可欠であっても、俺にはあってもなくてもどうでも良いんでね」
静かに勉強する出来る場所が減ったに過ぎない。
その程度ならいくらでも代わりを見つけられるさ。
「時宮君……」
俺の言葉に光莉は複雑な表情を何故か浮かべる。
「雨添先輩を助けたいなら素直にそう言えば良いのに」
光莉はまるで悪ガキを前にした母のように笑う。
「何というか……面倒くさいことをしますね」
「確実な手を打ったと言って欲しい」
俺が素直に言ったところで凡人は動いてくれないし事態は打開できないんだよ。
光莉や雲道、滝山のようなカリスマを俺が持っていたのならそうしただろう。
俺だって好きで策を講じているわけじゃない。
策を講じなければならないほど俺は人的魅力がないんだよ。
「分かりました、協力しましょう。その代わり、雨添先輩に何か進展があれば報告してくださいね」
「……」
何故か光莉の中では俺は雨添先輩に気があるようになっているらしい。
別に俺は雨添先輩が好きだから骨を折ったわけじゃないんだよなぁ。
雨添先輩が陥っていた窮地は俺が少し頑張れば救える位置だったから手を伸ばしただけ。
俺が足掻いてもどうにもならない状況だったのなら俺は何もしなかっただろう。
「あの……光莉さんは部に入ってくれますか?」
雨添先輩は不安で仕方なかったのだろう。
ドアを開けると同時に彼女の首がすごい勢いで動いたと思ったら弾かれたように立ち上がって俺と光莉の前に立つ。
「そんな心配そうな顔をしないで。私も入るから」
光莉は元来の性分である博愛主義を全開にしながら雨添先輩をあやす。
「私と雨添先輩と時宮君の三人でこの部を守りましょう」
雨添先輩の本心は光莉の心に届いたらしい。
これから先、部に入れられた不満は消え失せていた。
「それじゃあ、早めに書いておこうか」
朝の内に先生に頼んで手に入れておいた入部届二枚。
俺も光莉もさほど時間をかけず、入部届にサインした。
雨添先輩や光莉を巻き込んだ部についての騒動があろうともクラス内の時間は関係なく進行していく。
「へえ、時宮君って文芸部に入ったんだ」
「そゆこと、立花さん」
けど、気になる人はいるわけで、立花が根掘り葉掘り聞いてくる。
「時宮君が文芸部かぁ……意外だなあ」
「俺が文学少年っぽくないことは認めるよ」
出来ることなら凡人が支配するこの世とは無関係な世界に没頭したいよ。
残念なことに、俺の文学才能は凡人が認めるほどではないんだよな。
確実に飯が食えなくなると分かっている以上、早々に見切りをつけていた。
「しかし、光莉さんに雨添先輩か……うぬう」
「なにが『うぬう』なの?」
部員の名前が出て来た途端、立花の目が鋭くなる。
「ねえ、時宮君。時宮君はどっちが好みなの?」
「……」
少し声を低くしてそんなどうでも良いことを真剣に聞いてきた立花。
「母性溢れる光莉さんに守ってあげたくなる小動物系の雨添先輩、全くタイプの違う二人だけど、どちらが好み?」
これ、思いっきり誤解してるよね?
光莉も然り、立花も然り、どうして女性は色恋沙汰に興味を示すのか。
「守ってほしい光莉さんに守りたい雨添先輩--よく考えたら俺要らないな」
二人とも興味はないと、俺は比喩的にそう伝えると。
「アハハハハ! それ面白いねえ。時宮君ってギャグセンスがあるよ」
「ユーモアって言って欲しいな」
似たような意味同士だけどなんか嫌だ。
「しっかし文芸部かぁ。私も入ろっかな」
「おいおい、校則で兼部は出来ないぞ」
立花は滝山と同じサッカー部のマネージャーだろうが。
「いやいや、サッカー部のマネージャーって事足りてるんだよ」
そりゃ滝山がいるからな。
彼目当てで入ったマネージャーが大多数だろう。
「それでね、結構人間関係が大変で」
立花は滝山と同じクラスで委員会であり、クラス内グループの一員。
滝山がサッカーで忙しいとなれば女子同士の争いに踏み込めないだろう。
なるほど、滝山と近しい立場の立花は他の女子から攻撃されているわけか。
「良いアドバイスを期待しないのならいくらでも話して良いよ」
凡人は人の意見・忠告を聞かない。
いくら道理に沿った言葉であっても自分の意見に固執する。
凡人が求めるのは耳に痛い忠告をしてくれる親友じゃない。
己の考えを受容・賛同してくれるイエスマンさ。
「ホント!? 時宮君って女心が分かってるね」
俺の言葉に立花は身長の割に大きな瞳を輝かせる。
女心というより凡人の心だけどね。
「いやあ、時宮君って優しいね。これは本気で文芸部への入部を考えようか」
ウーンっと頭を揺らしながらそんなことをのたまう立花。
部の理念より人の輪の方が重要ってか。
結局は凡人が勝つ。
如何に天才が崇高な理念を掲げようとも、代を重ねるごとに凡人の理が侵食し、最終的には身内の論理が全てを優先するようになって衰退していく。
世界の不条理を心の中で嘆いていた時。
「おいおい時宮。うちの部のマネージャーを引き抜かないでくれよ」
俺と立花との雑談が滝山の耳に入ったのだろう。
苦笑と共に滝山が割り込む。
カーストのトップに立っている自覚からか以前より貫禄が出ている。
「立花、部を辞めたいって本当か?」
「んー、部の進退まで考えていないけどね。ただ、居づらいなあと感じているな」
細く白い指を艶やかな唇に当てての言葉。
無意識かもしれないが、本当に立花は身振り手振りを交えるのが上手い。
「分かった、その件に付いては考える。だから少し待ってくれないか?」
「えへへ、ありがとね」
滝山の頼もしい言葉に立花は可憐な笑みを浮かべた。
ああ、本当に立花は滝山を信頼しているんだな。
俺が滝山と同じことをやっても立花は同じように微笑んでくれないだろう。
「だ、そうだ。残念だったな時宮。勧誘が失敗して」
「いや、失敗も何も」
端から勧誘した覚えはないし。
立花が勝手に盛り上がって勝手に入ろうとしたのが真相なんだけどな。
「いやー、ありがとね、時宮君。おかげで悩みが解決しそうだよ」
チョコンと頭を下げた立花は滝山の後についていく。
「ま、分かっていたけどね」
俺と滝山ではスペックが大きく違う。
俺の策など無意味とばかりに滝山が一声かければ凡人達が動く。
これが世界の常識、凡人達の理。
理屈や理論よりもカリスマや人の情が優先するろくでもない世界。
「さてと、勉強勉強」
黄昏ている暇はない。
俺は学園十位以内にいなければ退学しなければならないんだ。
俺は沸き上がってきたあらゆる感情を蓋するかのように教科書を広げていった。
次回の投稿は4/13の0時です。