19話 父の所業 後編
雨添先輩、光莉、華鳳院そして雲道達部活の面々は俺を質問攻めにした。
雨添先輩の質問は気分をほっこりさせるのだが他の三人が良くない。
意識的にやっているのか、どうも俺を不安にさせ、苛立たせ、爆発させようとする。
雨添先輩……貴方は俺の唯一の清涼剤ですよ。
可能なら先輩と二人で部活がしたい。
「けど、まあ」
すっかり日の落ちた中、俺は一人愚痴る。
「腫物に触るかのような扱いより多少マシかな」
ため込むよりかは吐き出した方が健康的というが、実際その通り。
授業が終わるまでは下しか向けなかった俺だが、今は空を眺めるまでに気分が良かった。
「追い出されないことが分かっただけでも良しとしよう」
クラス内に分厚い壁が出来てしまったものの、俺を排斥しようとする動きはない。
元々クラスの凡人達と仲良くする気はなかったので俺の心にはそんなにダメージはない。
「そうなると、今の状況は前々から望んでいたことになるのか?」
凡人と仲良くする気は毛頭ないが、邪険に扱われるのは都合が悪い。
その二つの命題をある意味解決したのが現状。
「勉強するか」
今の目標は期末試験の首席合格。
学年トップという特典は金銭に不安のある俺としては魅力なことこの上ない。
学校の指定した食堂やスーパーなら定価の半額なので大分助かっていた。
「ええと、鍵は」
考え事をしていたらいつの間にか自宅前まで来ていたようだ。
俺は思考をいったん中断し、鞄の中から家の鍵を取り出した。
一週間が過ぎる。
相変わらずクラス内には壁があり、部室では俺の心にずかずかと踏み込んでくる毎日。
「時宮君、小テストが唯一の満点です」
環境が俺に影響を与えることもなく勉強面も好調だった。
「さて、中庭で食おうかな」
クラスにはいられないので人が少ない場所で昼食を食べるのが最近の俺。
朝はご飯を食べたので昼はパン、総菜パンを二、三個持って廊下を歩く。
そのまま廊下を抜けられたらいつもと変わらなかったのに、今日は違った。
「やあ、時宮君。元気?」
「たった今元気がなくなった」
ヒラヒラと手を振っていたのは邪気のない笑みを浮かべる米満の姿。
悪戯が成功したようなイイ笑顔を浮かべていた。
「それじゃあ米満君。また」
こいつと関わって碌な結果にならない。
日常の一コマとして処理したかった俺なのだが。
「まあまあ、ここで会ったのも何かの縁、一緒にお昼でもどうかな?」
「お誘いは嬉しいが遠慮しよう」
俺は手に持ったパンをヒラヒラさせる。
またクラス代表と許可した者しか使えないVIPルームに案内する気だろうが俺は断わる。
「あの豪華な場所で一個百円のパンを食べるのは似合わない」
マナー違反となり、恥ずかしいと俺は建前を述べるのだが。
「それじゃあ僕も昼食はパンにしよう、それで良いよね?」
米満は引き下がることもなく、俺の顎下までしかない小柄な体を揺すりながらそう提案してきた。
「うん、美味しい美味しい」
「……」
またもVIPルームにて昼食を取る俺と米満。
「本当に美味しいねぇ」
米満はこの世の至福とばかりに顔を蕩けさせてパンを頬張るが、俺は同意することが出来ない。
何故ならば。
「いやあ、本当に東京銀座で限定販売しているパンは美味しいよ」
一個千円のパンを見せつけながら食べているからだ。
「ところで君のパンは何円でどこに売ってるの?」
こういう細かい場面でも嫌がらせすることを忘れない。
ここまで来ると怒りを通り越して感動すらしてしまう。
本当に、どうして米満のクラスメイトはこいつを代表として上に立つことを許容したのか。
……多分恐ろしかったからだろうな。
子供のように無邪気な米満は、敵対する者を無慈悲に破壊する。
そういえば一人米満のクラスから退学者が出ていた。
見せしめとして逆らえばどうなるかをクラスメイトに見せつけたのだろう。
俺は心の中で生贄となった生徒に対して合掌した。
「ああ、満たされた」
俺が思考に耽っている間にパンを食べ終えた米満は白く小さな手でお腹をさする。
さて、ここからが本番か。
「いやあ、君って本当に抜け目がないねぇ」
「何が?」
「これまでの仕込み。普通だったら学校にいられないのに、君はいることを許容されている」
「まあ、いつかはバレると思っていたからね」
どんなに息を潜めようが凡人達に注目されてしまった以上、俺の真実が暴かれることは時間の問題となった。
だったらやるべきことは一つ。
その時までに自分の位置を安全圏にまで押し上げることだ。
「だから僕は可能な限りクラスメイトに奉仕した。全校生徒までとはいかなくとも、自分のクラスメイトだけは役に立つ存在だと証明し続けた」
可能ならば孤高を気取り、愚かな凡人達と一線を画したかったが、そんなことをすると確実にクラスから弾き出されただろう。
孤高で、ぼっちであることは贅沢だ。
それはどんな自分勝手なふるまいであってもクラス内に居場所があるのだから。
俺のように余裕のない者は己の心を偽ってでも凡人に遜らなくてはならないんだ。
「ふうん。そこまでして学校に残りたいの?」
「いや、それは当然だろう」
高校中退の、しかも汚職した政治家の息子がどんな人生を歩めるというのか。
ここが実力を求められるアメリカならともかく、他人の足を引っ張り合うのが大好きな日本。
裏世界、もしくは底辺で彷徨うしか道がなくなる。
「高校中退で成功する人の割合は誤差程度しかない」
全体の人間からすれば一パーセントも満たない。
そんな一世一代のギャンブルをやるつもりもないし、何より俺に才覚があるとは思えない。
凡人が主役なこの世の中で、凡人の心を掴めない者が成功するとは到底思えなかった。
「アハハ、時宮君は王道主義なんだね」
「凡人は王道を好むから」
時々邪道に逸れることもある凡人だが、結局は王道へと回帰する。
凡人から排斥されることを避けなければならない俺は王道を進むしか他ない。
「時々息苦しく感じるが、この世界で存在するための税金と思えば耐えられる」
俺の性格は王道より邪道を好む性質なんだよな。
「しかし、まあ……」
米満は愛嬌のある目が空中に彷徨わせる。
「時宮君って知れば知るほど矛盾していると感じるよ。酷い言い方だけど、どうしてそこまで執着するんだい?」
それは成績優秀者であり続けること、高校生であり続けること、そして何より生き続けること。
嫌で嫌で仕方ないのに、何故止めないのかという問いかけだ。
「そうだな。敢えて答えるなら死ぬ理由を見つけるためだ」
「へえ……」
俺の言葉に米満は興味を示す。
口角を僅かに上げる仕草で続けるよう促す。
「僕の父親については知っているだろう?」
「いやあ、この学校だと知らない人を探す方が難しいんじゃない?」
他人事のように嘯くな、米満。
元はお前がばら撒いたのだろうが。
「僕にとって父は唾棄すべき存在だ。しかし、同時にどうしようもなく惹かれていたのも事実」
この感情をどう表現すればいいのだろう。
悪魔の誘惑と称するべきか、とにかく言葉に言い表せない複雑な思いを父に対して抱いていた。
「分かる、僕も風倉史郎について調べていくうち、どうも他人事のように思えなくなってきたんだよ」
米満も雲道と同じく惹かれたか。
まあ、こいつは出会った当初からそんな気がしていたから雲道の告白より驚かない。
「そんな強大な父だったが、最期は呆気ないものだった」
転落はあっという間。
本当に、これが人々を震撼させた男の末路かと思う程劇的かつ惨め。
「普段から相当な恨みを買っていたからね。全てを失ってしばらくもしないうちに通り魔に刺されて死んだよ」
ちなみにその犯人は捕まっていない。
警察も本気で捜査する気がないようだから事件は永久に闇のままだろう。
「ちなみに風倉史郎は何か言い残したかい?」
「ククク」
米満の質問に俺は思わず失笑する。
あの父が俺達家族に言葉を残すなんて洒落た真似をするわけないじゃないか。
「いや、何も残さなかったよ。全てを失ったのに全く堪えた様子がなく、次は何をしようかと無邪気に考えていた……そう、死ぬ日まで」
風倉史郎に後悔や絶望などない。
徹頭徹尾、最期の最期まで風倉史郎は風倉史郎だった。
社会福祉士……3年かかりそう。




