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18話 父の所業 前編

「時宮君、貴方は父をどう思っているの?」

 華鳳院はきつめの眼に迸る怒りを湛えている。

 どうして華鳳院は全く関係のない俺の父に対して怒るのかな。

 義憤に駆られるのは凡人の特権だろうが。

「どう思うと言われてもな……」

 俺は頭をかく。

「正しいとか悪だとか論評する以前に思い出したくもない存在だ」

 世の中の賢い凡人は、どうしてそうなるまで黙っていたのかと訳知り顔に論評してくるが、そんなことをのたまえるのは何も知らない愚か者だからだろう。

 本当に、心の底から嫌悪した人間はその記憶を消去したいんだ。

 後悔とか恥とかそんなレベルじゃない。

 ただ忘れたい、その一念だ。

「貴方が、然るべき手段を取っていれば犠牲者は減ったことに何か思うことは?」

「僕が動いてないとでも思った?」

 顔も名前も知らない凡人がどうなろうが知ったこっちゃないが、それでも俺の目が届く範囲においては手をを伸ばしたい。

 少なくとも父の暴力・暴言に母や召使達を守ろうと思っていた。

「まあ、意味はなかったけどね」

 どれだけ我慢しても、全国模試一桁や、中学で表彰、周囲から模範生と称賛されようが、結局は何もしないのと変わらない。

「母は精神を病んで入院、召使達も心に深い傷を負って退職を余儀なくされた」

 俺に残ったのは現在進行形でこびり付いている外面の良い仮面だけだ。

「違うわ、私が言いたいのは一般人よ。善良な市民が無意味に奈落の底に突き落とされるのを見て何も思わないの」

「ああ、そっちか」

 華鳳院が不満げだったのは全く関係のない凡人達の幸不幸だったのか。

 それだったら俺の心は決まっている。

「いや、特にないよ」

 顔も名前も知らない凡人がどう苦しもうが嘆こうが関係ない。

「強いて挙げるなら運が悪かったなと思う程度かな?」

 運が悪かったばかりに父に目を付けられ、悲惨な生活を送る羽目になった。

 その程度でしかない。

「貴方は! 本当に風倉史郎の息子なのですね」

「認めたくない事実だがその通り」

 血液も、戸籍も、遺伝子も、病院記録全てが俺を風倉史郎の息子だということが明記されている。

「でも、まあ華鳳院さんの思うところも一理ある」

 凡人からすれば毒を振りまく存在に対して何もしないことは許容しがたいだろう。

 その気持ちは俺も分かる。

 ゆえにこう言おう。

「俺にカリスマや運があれば華鳳院さんの思うことをやっていたかもしれないね」

 すなわち、父を改心若しくは周囲を動かして無害化していただろう。

 けれど、俺にはなかった。

 だから全てを救うのを諦め、せめて周りだけでも毒牙から守ろうとした。

 まあ、結局守れなかったから意味のない考えだったかもしれないが。

「はぁ……時宮君。貴方って本当に馬鹿ね」

 華鳳院は怒りの形相から一転、哀れみを込めた溜息を吐く。

「あれがあれば出来たのに、これがあればしなくて良かったのに……そんなことを嘯く人間は、例えそれらがあっても出来なかったし、しなければならなかったのよ」

「……」

 俺は瞬間的に拳を強く握りしめる。

 華鳳院、お前がそんな正論を吐くのか。

「断言するわ。何かを成した人間は、成すだけの要素があったから成したんじゃない。成したいという想いがあり、行動したからこそ成すための要素を後付けで手に入れていった--」

「お前らと俺を一緒にするな!」

 反射的に俺は立ち上がって叫んでいた。

「君達英雄は自分がやった同じことを他人に求めようとする! 俺には無理だ! 父に勝てる未来が全く思い浮かばなかった! 代わりに歯向かった俺がどんな目に遭うのかがありありと浮かんでくる! その恐怖と現実の前に根拠のない自信など吹き飛ぶ!」

 俺に英雄らしい行動を求めるな。

 確かな勝算がなくとも、衝動だけで立ち向かう英雄など俺には絶対になれない。

「出来るわよ! 私は出来ないことをやれとは絶対に言わないわ! 時宮君は出来るから敢えて言うのよ!」

 華鳳院は気圧されるどころか俺と同じように立ち上がり、顔を真っ赤に染めて叫び返す。

「嘘を吐くな! 俺にそんな力はない!」

「ある! 時宮君が気づいていないだけよ!」

「「……」」

 俺と華鳳院、互いに眼を逸らさず至近距離でにらみ合う。

 まるで先に逸らした方が負けだと言わんばかりに。

 どちらかの音が上がるまで終わらないにらみ合いである以上、延々と続くかと思ったが。

「はいはい、二人ともお茶を飲んで落ち着いて」

 光莉はパンパンと手を叩く音で張り詰めた空気を弛緩させる。

「華鳳院さん。今回の主旨は時宮君についての噂の真偽でしたわよね。トラウマレベルにまで踏み込むのはどうかと思うわ」

「……そうね、時と場所が悪かったわ」

 華鳳院は頭を下げる。

 あくまで自分は間違っていないと言いたいんだな。

 本当に嫌な奴だ。

「時宮君、いつも冷静でニヒルな貴方らしくない。この件で苛ついているのは分かるけど、華鳳院さんに乗せられてどうするの?」

「ああ、そうだったな」

 いつもなら流して終わりだったのだが、やはり父の件は俺に平静を失わせるに十分だったらしい。

 俺らしくない言動だったと謝罪する。

「はい、これで華鳳院さんの件はお終い。次は雲道さんに移りましょうか」

「うん、よろしく」

 光莉がそう振ると雲道は平たんな声で応える。

「……」

 何故だろう。

 今の雲道の顔を俺は直視することが出来ない。

「確認は噂の真偽まで、それ以上は踏み込まないと約束して欲しい」

「……」

 嗤う。

 まるで蛇が獲物を狙うようにニンマリと口の端を引き上げる。

 嫌な予感がありありと浮かんでくる。

 これは予防線を張っておかなければならないだろう。

「光莉さん、その点だけは--」

「私は時宮君の父親の性格についてはどうでも良い」

 俺の弁を遮った雲道は続ける。

「ただ、彼がいたことで何がどう変わったの?」

 父がいたことで変わったことか。

 思い出したくもない嫌な奴の功績を考えることは俺の顔を険しくさせる。

「いた時はともかく、いなくなったことで県が崩壊したな」

 父は敵が善であろうが悪であろうが関係なく叩き潰してきた。

 その結果、県には絶対者の父とそれ以外の存在という歪な状況が形成される。

 その状況の中、父が失脚すればどうなるか。

 答えは統治者がいない無秩序状態となり、遠く離れたここでさえ迷走ぶりが聞こえてくるほど酷い状況に陥っていた。

「世の中は魔王を倒せば平和が訪れるほど簡単な世の中でなかったことさ」

 俺は両手を広げて虚無的な笑みを浮かべる。

 凡人にとって父の存在は許せるものではない。

 しかし、その父がいなくなった状況は凡人にとってもっと許せるものではない。

「なんというか、凡人の考えることは分からないよ」

 父がいなくなればこうなることは、凡人でさえ分かっていたはずなのに。

 けれど、それでもなお決断し、そして後悔している凡人の思考を理解することは俺にはないだろうね。

 


図らずもダークヒーロー化してしまった時宮の父。

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