17話 覚悟はしていた
「ああ、それと」
周囲に視線を走らせた立花さんはごく自然な動作で俺の耳に口を寄せる。
「休み時間、屋上で待ってて」
あまりの違和感のなさに俺も周囲の凡人も終わってから目を見開く。
「それじゃあ、また」
手をひらひらさせた立花さんは笑いながら俺の前を退場した。
「ちょっと立花ちゃん」
「あの反応って何~?」
当然ながら立花さんの行動に群がるクラスメイト達。
「フッフッフ~、ちょっとね~」
悪巧みの表情を浮かべ、何やら話し出した立花さん。
詳しくは聞こえないが、少なくとも俺への悪口ではあるまい。
「……気を使わせてしまったかな」
恐らく立花さんはあの行動で俺をフォローしたのだろう。
その証拠に俺への不躾な視線の圧力が減っている。
「やれやれ、これではますます立花さんに頭が上がらないよ」
恩を受けて何も返さないほど俺は腐っちゃいない。
何か困ったことがあれば力になろうと俺は心に決めた。
そして俺は立花さんの指示に従い、授業が終わると廊下に出て階段を登り、屋上に出る。
昼休みならともかく十分しかない休憩時間に出てくる生徒は誰もいない。
「……青いなあ」
俺の心とは正反対にどこまでも澄み渡る空。
もし俺が詩人ならば一句作っていたかもしれないが、残念ながら文才がない俺には何も思い浮かばなかった……俺は文芸部なのに。
と、自分自身に突っ込みを入れた時、ドアが遠慮がちに開く。
「悪いな」
現れた人物はクラス代表滝山。
彼は何か思うところがあるらしく、厳しい表情を浮かべている。
「開口一番謝罪は嫌だな」
滝山は俺に対し、何一つ悪いことをしていないのだから謝られる理由がないのだが。
「本来ならお前を庇ってあげなければならないのに」
「無理なことは求めないよ」
凡人に担がれた存在である滝山に、凡人の意に反することは不可能だろう。
「中立を取ってくれるだけでありがたい」
下手に介入し、滝山の立場が悪くなってしまう方が俺にとって不味い。
タガが外れた凡人は独裁者以上の非道をしでかす可能性がある。
退学に追い込まれても俺は驚かんよ。
「しかし、時宮。お前は本当に風倉の息子なのか?」
「……」
やはりそれを聞いてくるか。
滝山が知ったところで凡人の行動は変わらない。
あいつらは知りたい事実しか信じず、見たいものしか見ないからな。
「僕から言っておく事実は二つ。一つ、父である風倉元議員は吐き気を催す邪悪な存在であること。二つ、僕はそんな父に無関係を決め込み、加担したこともないし諫めたこともなかった」
無関係と言えば聞こえはいいが、実際は意味がなかったから。
父は俺はおろか母でさえ部品の一つとしか見ていない。
部品が何を言っても聞く耳を持たないのは当然と言えるだろう。
「……確かに子供が何を言ったところで親は聞いてくれない」
滝山も何か思うところがあるのだろうか。
分家の嫡男として生まれた滝山ならではの苦悩だと俺は想像する。
「時宮、確認するがお前は一切関わっていないんだな?」
「それは命に懸けて保証しよう」
と、いうより子供なんだから関わりようがないというのが事実だ。
「分かった。時間を取らせて済まないな」
「クラス代表である滝山のご命令だ。文句は言えないよ」
変に重い空気を変えるために俺は肩を竦めて冗談を言うと。
「……お前だけは本音をぶつけて欲しいのだけどな」
滅茶苦茶重い言葉が返ってきた。
「いや、ここは笑うところだろ」
空気の読める滝山らしくない。
「ハハハ、意外と堪えていないんだな」
「別に、覚悟はしていたから」
過去はどうあっても消せない以上、遅かれ早かれこうなることは分かっていた。
「だから僕のやることは変わらない」
学校に通い、勉強し、部活に顔を出して帰宅する。
そのローテーションの遂行には外野の雑音に左右されない。
「恐らく僕は一生こうして生きていくんだろうね」
つまらない人生かもしれないがそれしか生きていく道がない以上、歩むしかない。
俺はそう心に決めていた。
「まあ、僕の身の上話はともかく、要約ノートはどうする?」
汚職議員の息子が作ったノートをクラスメイトは手に取ってくれるのだろうか。
「時間をくれ、確認してみる」
滝山は即決せず、皆の意向を聞くと述べる。
へえ、即決はしないんだ。
滝山、お前は本当に民主主義のリーダーとして相応しいな。
と、皮肉気な笑みを浮かべそうになるのを俺は必死でこらえた。
滝山がこの件を引き取った以上、俺に出来ることはない。
クラスメイトも、俺のこれまでの功績と献身を鑑みてクラスにはいて良いらしい。
実質は謹慎同然で、挨拶以上の話を出来ないが、まあ良いだろう。
俺は物理的にも精神的にクラスから追い出されることを覚悟していたからな。
結果論になるが、クラスの役に立つことをしてきて心底良かった。
本当に助かった。
そうして授業終了、放課後となる。
俺としては朝から続いている凡人の圧迫に神経をすり減らしており、何もかも考えず家に帰って横になりたいがそうもいかない。
特に部活動である文芸部。
今、顔を出しておかなければ二度と来ることが出来なくなるだろう。
何事も初動が肝要なのだよ。
「失礼します」
部室に入る時の挨拶をした俺は部屋に足を踏み入れる。
「……うん」
「……」
先にいたのは雨添先輩と光莉の二人か。
「あの、時宮君。聞きたいことがあるのだけど」
恐らく学校内で持ちきりになっているあの噂だな。
まだ半日も経っていないのに交友関係が狭そうな雨添先輩の耳に入っているとか。
俺は情報の拡散速度に冷や汗を垂らした。
「雨添先輩、それは部員の皆が揃ってからの方が良いのでなくて?」
横から光莉がそう提案する。
「私達二人だけでなく、華鳳院さんや雲道さんも真実を知りたいと思うわ。だから少し待ちましょう」
ナイス、光莉。
伊達に光莉のクラスから絶大な信頼を寄せられることはあるね。
話し方、タイミング、言葉の意味。
どれをとっても文句のつけようがなかった。
ちなみに俺も同じことが出来るのだが、どうしてか光莉と同じように凡人を納得させるに至らない。
何が違うんだろうな。
俺は光莉に感謝しながらも嫉妬するという複雑な感情を胸の内に持て余していた。
そんなことを考えているうちに華鳳院と雲道が到着する。
なお、二人の反応は正反対だった。
「時宮君、どういうことですの!? あの噂は本当ですの!?」
入ってきた華鳳院は俺を見るなり血相を変えて詰め寄ってきたのに対して。
「時宮君。選んできた本なんだけど、どれもしっくりこなかったから別のをお願い」
雲道はまるで聞いていなかったかのように平常運転だった。
そのあまりの落差に二人の間で争いが勃発。
「雲道さん! そんな内容よりもっと重要なことがあるでしょう!」
「何喚いてるの? 噂が真実にしろ嘘にしろ私と部活動には何の関係もない」
「時宮君のことが気にならないの?」
「別に、私が興味あるのは時宮君の能力と性格だけ。家族関係はどうでも良い」
「本当に雲道さんは冷たいわね」
「華鳳院さんが熱すぎるだけ」
「「……」」
一気に言い切った二人は口を閉じて黙り込む。
この二人、以前から対称的な性格だと思っていたがここまで酷かったか?
朱に交われば赤くなるというように、少しは影響を及ぼし合うはずなのに結果は真逆。
華鳳院はより苛烈に、雲道はより冷静に。
……もしかして出会ってはいけない二人だったのかと最近思う。
「はいはい、そこまでそこまで」
絶妙のタイミングで光莉が手を叩き、注目を集める。
「二人ともヒートアップしているようだから、まずはお茶にしましょう。時宮君?」
「もう用意している」
備え付けのポットからお湯を出し、買い置きしていたお菓子を手早く用意する。
「相変わらず準備が良いわね」
「光莉さんならこうするかなと思っていたから」
「フフフ、本当に時宮君は私のことをよく知っているわ」
光莉は満足そうに笑うが俺は素直に同意できない。
俺は光莉と同程度の察知能力があるのに、どうしてカリスマも同程度にしてくれなかったのか。
俺が出来ないことを光莉が易々とこなすのを見るのは気分が良いモノでない。
光莉が俺を褒めるたびに俺は猛烈な劣等感に襲われるし、何より。
「「「……」」」
雨添先輩が捨てられている子犬のような眼で、華鳳院が憤懣やるかたない眼で、雲道がゴミを見るような眼で俺を見てくるんだよ。
光莉、二重の意味で俺を褒めないでくれ。
「話す内容といってもねぇ……」
全員が揃ったので渦中である噂について俺の申し開きが始まる。
「僕から言えるのは二点、風倉史郎の罪は事実であること、そして僕は間違いなくその風倉史郎の息子であることだ」
俺が認めざるを得ないのがその二点。
他のことは都市伝説並みに信憑性がない。
何故風倉史郎はスケープゴートで、本当の悪は俺になっているのか。
まあ、凡人は心のどこかで両親を始めとした年長者に勝ちたいという潜在願望を持っているから仕方ないか。
例え親であっても自分の上に立つ存在を許せないとか。
本当に凡人は愚かだよな。
「時宮君……本当に関わっていないの?」
「ああ、雨添先輩、断言しよう、僕は父の悪事に一切関わっていない」
漫画やドラマじゃあるまいし、十何歳の子供が大人社会に巣くう闇をコントロールすることなど出来やしないぞ?
逆に俺が少しでも闇と関わりそうになったらあらゆる手段を駆使して阻止してきたな。
その止める理由が俺を守るためだったら嬉しかったのだが、現実は俺の失点を元に父に辿り着くことを恐れたという自己保身のためなのが救われない。
理想的な家族の、その父親という世間体を守るためなら俺にも母にも容赦がなかったのを覚えている。
「良かった……」
雨添先輩は安心したのか胸をなでおろす。
「……」
俺は雨添先輩の警戒が解けたことを素直に喜べない。
その理由は雨添先輩が思い描いている状況と違うから。
結果が良ければすべて良しという格言が真実ならば、どうして俺はこんなに苦しいのだろう。
「私からも聞きますわ」
「どうぞ、華鳳院さん」
止める理由がないので俺は慇懃無礼に対応する。
一瞬華鳳院の眼が険しくなったが俺は気にしない。
どうせ俺の眼がずっと険しくなるような質問を浴びせかけてくるんだ。
これぐらい許されるだろう。




