11話 天才の蹂躙
この文芸部には現在五人いる。
ドアから最も遠く、黒板を背にした部長席に雨添先輩。
雨添先輩から見て右に副部長の光莉、左に同じく副部長の華鳳院。
光莉の隣に庶務の俺、そして華鳳院の隣に会計の雲道がいた。
「ところで時宮君。さっきから何をしているの?」
俺の隣にいる光莉が俺の机を覗き込む。
「ん? ああ、これは生徒会に提出する年間予定表」
詳しい内容は省略するが、この予定表を今月中に提出しなければ予算が付かないだけでなく、部の存続が認められない重要な代物。
断じて蔑ろにするわけにいかなかった。
「去年までの文芸部の活動を参考にして組み立てている」
文芸部は月一回の、各部員がお気に入りの小説をピックアップした『文芸新聞』の発刊を基本活動としている。
「月ごとに大まかなテーマ--春や、梅雨、太陽といったものがあり、それが組み込まれた小説が最低ラインだ」
個人的にはなかなか面白い縛りだと思う。
際限なき自由よりも管理された中での自由の方が自由を楽しめるように、如何に最低ラインを乗り越えるか考えられて面白い。
「地味ですわね」
「だから言っただろ華鳳院。ここはお前のいるところじゃないって」
思いっきり裏方。
ステージのひな壇に立つような場所はない。
「まあ、この新聞の発刊に関しては問題ない。俺と雨添先輩でやるから」
当初の予定通り、光莉や華鳳院、雲道は名前だけ貸してもらおう。
俺は本が好きなので引き出しは結構ある。
月一の発刊は余裕でクリア出来そうだった。
「それだと二人の負担が大きすぎない?」
博愛主義の光莉は俺と雨添先輩のことを心配してくる。
「俺は問題ないが……雨添先輩はどう?」
俺自身はともかく雨添先輩はどうか。
「も、問題ないと思う。私も部の存続以上に迷惑をかけたくない」
普段通り気弱だが、ここだけはしっかりした口調での断言。
よほどこの部が好きなんだなと俺は温かい気持ちになる。
「それじゃあ新聞の発刊は俺と雨添先輩が行うということで……雲道、スマフォをいじるな」
先ほどから雲道が静かだからおかしいなと思って覗き込むとスマフォの画面が。
校則で禁止されているという野暮なことは言わんが、人の話を聞くふりはしておけ。
「ん? いいえ、これは遊んでいるわけではないわ」
視線を上げた雲道は白く細い指に乗せたスマフォを俺達に見せる。
「読売、朝日、毎日……各新聞社が書評を募集しているの。これに応募するのは立派な活動と言えない?」
外部との繋がりも重視している校風ゆえ、自分達が書いた書評が全国紙に載れば部活の予算が増える可能性もある。
ただ……
「載ればな。現実は自己満で終わりそうだ」
この類の競争相手は社会全体。
俺達の二、三倍も年を取り、かつ経験がある猛者も含まれている。
正直な話、そいつらと椅子取りゲームを行うなど狂気の沙汰かと俺は思うが。
「時宮君。私を誰だと思っているの? この程度の輩に負けるようではクラス代表になれるとは思わないわ」
雲道は乗り気なようだ。
失敗するとは微塵にも思っていないらしい。
視野が狭いなと思う。
少しの努力とやる気があれば全て叶えられるほど現実は--凡人達の世界は甘くない。
常識的に考えれば打ちのめされて終わりだろう。
けど--
「何故だろうな、お前が真剣に取り組めば本気で実現してしまいそうだ」
そう思わせるほどのカリスマと自信を雲道が持っているからこそ凡人から自分達の上に立っても良いと許されたんだろうな。
「雨添先輩、どうする? 認めるか?」
決定権は雨添先輩にある。
彼女が認めるのなら認めるし、認めないのなら俺は断固却下しよう。
凡人の理が世界の理だ。
「私は良いよ?」
「了解した。許可しよう……ただ、どんな本を題材にするかは俺に事前に相談しろ」
叩かれれば叩かれるほど喜ぶ変態だ。
さぞかし凡人には理解しがたい本を出してくるだろう。
「例えば、ドグラ・マグラとかは止めろよ」
「貴方、私の心を読んだの?」
「……」
こいつ、本気でそれにするつもりだったのか。
俺は返事をすることすら忘れるほど呆れ果ててしまった。
「そうよ! これがあったわ!」
「一体どうした華鳳院。突然叫んで」
雲道の件が一段落したと思ったら突如立ち上がる華鳳院。
その勢いに椅子がひっくり返ってしまう。
「まさかドグラ・マグラを題材に何かをするつもりか?」
もしそうなら俺は全力をもって止めるぞ。
「仲間、嬉しい」
雲道が弾んだ声を出す。
「ふざけないで! 全然別の話よ」
「ふうん、何をするつもりだ?」
俺の問いかけに華鳳院は早熟したボディを逸らしながら宣言する。
「ビブリオバトルを定期開催しましょう」
「ビブリオバトルを?」
ビブリオバトルというのは聞いたことがある。
確か各々がお気に入りの一冊の内容を制限時間内に発表し、最後に『読んでみたい』と思わせたら勝利という勝負事。
その本への愛着に加え、知識そしてプレゼンテーションが問われる高度な知的遊戯だ。
「ビブリオバトルなら私も本腰を入れて取り組めますわ」
「なるほどねぇ」
発表する場なら華鳳院の才能が生かされる。
ロシア人に近い肌白さとスレンダーな肢体を持ち、良く透る声で演説する華鳳院。
話下手な読書好きでは相手にならないだろうな。
「どうする? 雨添先輩?」
俺は再び雨添先輩に振ってみる。
「わ、私は別に」
「ん、華鳳院。良いってさ」
雨添先輩の許可が出たのでそれを伝える。
まあ、失敗しても失うものは何もないし好きにやらせよう。
「ビブリオバトル開催の件はこちらで調整する」
開催する場所に日時、参加者そしてビブリオバトルを行う際に凡人が好みそうな本のピックアップ。
やることは多々あるが、逆に言えばそれをこなせば大成功間違いなしだろう。
「頼みましたわよ」
華鳳院は当然とばかりに白い顎を動かした。
「俺を信用するんだな」
華鳳院のことだから俺の意見を聞かないどころか勝手にやると思っていたのだが。
「……だから貴方は私のことをどう見ているのかしら? やっても出来ないのならともかく、やれば出来るのにやらないから私は貴方に対して怒っているのよ」
華鳳院は溜息一つ吐いてそう言い切ってきた。
「買い被りすぎだと思うけどねえ」
もし俺が高スペックだったらどんなに良かっただろう。
凡人の機嫌を取り続けるだけでも屈辱なのに、泣きっ面に蜂とばかりお前ら偉人はそんな俺を蔑み、嗤っている。
俺にもう少し才能があれば。
凡人が認める才能が俺にあったのなら。
俺はもっと顔を上げていたぞ。
「……時宮君。そうなると負担が大きすぎない?」
雨添先輩のか細い、俺を案じる声で我に返る。
「全体の統括に、月別テーマに沿った本の選定、新聞社に投稿する書評の下準備にビブリオバトルの開催調整……多すぎるよ」
言われてみれば確かに多いな。
「けどなぁ、どれも外せないものばかりだし」
前者二つを削ると雨添先輩が不安になるし、かといって後者二つを除くと二人の手綱を手放し、とんでもない結果を招きかねない。
「仕方ないよ、これは俺が招いた結果だ」
勝算が高いという理由で光莉を勧誘した罰かな。
正々堂々と本好きの生徒を見つけ出し、誘っていればもう少し穏やかな活動になったのではと今更ながら考える。
「それじゃあ聞くけど雨添先輩は別のプランはある?」
「え?」
「何度も言うように、ここでは雨添先輩の意見が最優先される。もし雨添先輩が駄目だというのなら俺は従おう」
「そ、それは……」
自分で言って酷いなと思う。
凡人である雨添先輩がこんな決断など下せるわけがないのに俺は決断を求める。
けど、仕方のないことだ。
雨添先輩が主なのだから、決断してもらわないと。
そうでなければ全てが狂う。
「時宮君、そんなに無理しなくていいわよ」
と、ここまで沈黙を保っていた光莉が口を開く。
「前者二つは私が受け持つわ。だから時宮君は二人をお願い」
「いいのか?」
全てを包み込む気質を持つ光莉なら雨添先輩も部のことも安心して任せられる。
しかし、元々の予定は名義貸し。
これ以上迷惑をかけたくないという思いがある。
「フフフ、時宮君。貴方と私は本当によく似ているわね。自分が手を伸ばせば救える人がいれば手を伸ばさざるを得ないところが特に」
「光莉、自分を貶めるのは止めた方が良いぞ」
俺は肩を竦める。
俺と光莉は違う、決定的に違う。
光莉は救えないものでも、どうにかして救いに近づけようか悩むのに対し、俺は全く悩まない。
『救えないのなら考えても仕方ない』で終わらし、頭から消去する。
俺の救いと光莉の救いを一緒くたにするということは王の慈悲と神の慈悲を同列に語るようなものだ。
「貴方って本当にひねくれ者ね」
お褒め頂き光栄の至り。
俺とお前らは違うんだよ。
凡人に愛されるお前らと凡人に笑われ続ける俺を同じと考えるな。
「欲を言えばこいつらの手綱を握って欲しいんだが」
ぶっちゃけ雲道や華鳳院より雨添先輩と関わっておきたい。
俺が入部したのも雨添先輩の健気さを放っておけなかったからだし。
「それは各々のクラスが落ち着いたら考えましょう」
「あ~」
確かに。
華鳳院は孤立中、雲道に至ってはまだクラス代表にすらなっていない。
この微妙な時期にクラス代表の地位を確立した光莉が二人の上に立つと、無用なトラブルを招きかねない。
俺達の学年のことを考えれば光莉の案が最良だろう、が。
「雨添先輩はどう思う?」
「え? 私?」
文芸部の部長、主役は雨添先輩だ。
「雨添先輩の正直な気持ちが知りたい--俺達の学年関係や人間関係を考えず、雨添先輩のやりたいことを教えて欲しい」
雨添先輩の意向が最も優先されなければならない。
「わたし……は」
小さな頭を少し震わした後、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「みんなと……仲良くやれればそれでいいかな? だから、何かを犠牲にしてまでやるのはちょっと」
なるほど、それが雨添先輩の意向か。
それを雨添先輩が望むのなら俺は応えよう。
「分かった。じゃあ光莉、雨添先輩を頼む」
「分かりました」
光莉が頷いて全体の流れが決まる。
「それじゃあ時宮君。二人の進捗状況は私に報告してね」
光莉の言葉の意味は分かる。
雨添先輩の性格上、全体を統治するよりは目立たない場所で細々した作業をするのが性に合っている。
一応部のトップは雨添先輩だが、実質は光莉になるだろうな。
つまり俺と雨添先輩が接する機会が減る。
雨添先輩を助けたいという思いから始まったのに、いつの間にか疎遠な状況になってしまった。
「ああ、分かった」
俺は内心を読み取らせない笑顔で頷く。
俺の感情などどうでも良い。
大事なのは雨添先輩の心だ。
雨添先輩が今の状況を良しとするなら俺は従うだけ。
しかし、もし息苦しいと感じてしまったのなら。
--俺はそのように行動するだけだ。
「……はあ」
放課後。
誰もいない廊下の渡り廊下にて俺は手すりに体を預ける。
「仮定の話は嫌いなんだけどなぁ」
そう毒づきながらも考えてしまう。
もし俺が勇気を出して光莉でなく立花を誘い、そして快諾していればどうなっていたか。
俺と雨添先輩と立花の三人での活動。
俺と雨添先輩が部活維持のための最低ノルマをこなし、時折立花が顔を出してくる。
そこは不必要に周囲を気遣う必要がなく、俺の思い通りに事を進めることが出来る最高の環境。
そうなったのかもしれない、が。
「ここは凡人が支配する世界だ」
夢など見るな。
見たところで片っ端から否定される。
凡人は幸せを望むくせに他人の幸せを妬んでくる。
遅かれ早かれその状況は凡人によってぶち壊されただろう。
全てを否定されるのならば、最初からない方が良い。
「桃源郷は実在しないから桃源郷なんだ」
俺はそう呟くと同時に体を元に戻す。
下らない想像に頭を使う余裕など俺にはない。
成績維持に加え、華鳳院と雲道が暴走しないように目を光らせる日々。
ずっとは続けるつもりはないが、要領を掴むまで気合を入れなければならないと思った。




