1話 ひねくれ者は正義を嫌う
春。
桜が開き、慣れ親しんできた古い習慣を捨て去り、代わりに未知の新しい習慣を取り入れなければならない季節。
保守派の俺はいつもこの季節は憂鬱だ。
特に今回は輪にかけて溜息を吐きたくなる。
なにせ俺は中学三年から高校一年へと習慣が大幅に変わる。
それだけではない。
生まれ育った地元から遠く離れた高校に入学。
知り合いも誰もいない、アパートを一軒借りての生活。
同学年だと、一人暮らしが羨ましく感じるかもしれないが、俺からすれば苦笑でしかない。
親はうるさい。
しかし、料理炊事洗濯と、家の大部分の面倒を見てくれ、何より体調不良で倒れても栄養満点の食事を作ってもらえる。
まあ、俺の両親は雇ったヘルパーに丸投げで終わりだったけどね。
血の繋がっていない他人とはいえ、あの優しさは嬉しかった。
本音を言えば、両親よりあのヘルパーと別れる方が辛かったね。
「仕方ないか。もう俺はあそこに戻れないんだから」
必要だったとはいえ、勝手知ったる地元から未知の場所に行かなければならないというのは意外と堪えた。
「ふむ」
俺が通うこの高校は地元からの進学が多いのだろう。
周囲を見渡すと、あちらこちらで出会ったばかりとは思えない、じゃれ合いをしている生徒がいた。
凡人なら周囲の環境に焦って友達作りを始めるか、それとも人付き合いが嫌でこの場から立ち去るかのどちらかだろう。
「……」
俺は周りを観察する。
四百人近い新入生の中で中核になりそうな人物は誰か。
俺はざっと見渡す。
「六人ぐらいかな」
恐らくあの六人が今後三年間の中心に立つ人物。
仲良くなる必要はないが顔を売っておいて損はない。
「こんにちは、これから三年間よろしく」
簡単なあいさつで良い。
向こうが俺を忘れても構わない。と、いうより忘れてもらった方が都合良い。
俺の方で存分に利用させてもらうから。
今後三年間俺はあの六人の動向に注目する。
そうしておけば大きく外れない。
俺は高校生活を通してあの六人の情報収集を行うことを決めた。
「えー。では新入生の皆さん。こちらに注目してください」
時間になり、教師の引率によって体育館に移動。
全員の収納が終わったと同時に壇上に学年主任らしき人物が現れる。
どうやらこれから簡単な説明を行うらしい。
文章をそのまま言葉に出したような形式的な言葉を発する先生。
あの学年主任は頼りにしない方が良いなと心の中で格付をしておいた。
無味乾燥な注意を聞き流しながら俺は決意する。
そう、始めが肝心なんだ。
異世界転生でのテンプレのように。
才能やチートといった開幕ブーストに加え、幼少期から走っていれば多少の逆境などどうにでもなる。
けど、凡人は頭で理解していても実際に行動しようとしないんだよな。
だからこそ、大勢の凡人達は両親から必死に勉強しなさいと忠告されているにも拘らず反発して怠け、結局は凡人の山に埋もれる。
「まあ、それも一つの選択だ」
この世界は凡人が主人公。
凡人が認めるものだけが存在する素晴らしい世界。
その主役の一部分になっているのだから、正しいといえば正しい。
けれど、俺は違う。
凡人と同化はしない。
俺は俺を保ったまま好きにやらせてもらう。
俺は決して主役になれない。
凡人の意のままに動かない存在など悪役こそなれ正義にはなれない。
正義は必ず勝つ。
言い換えれば、凡人の願いは確実に実現する。
ならば俺に出来ることは凡人達の視界に移らないよう隅の方で静かにしていよう。
「はい、これで諸注意を終わります」
俺が意識を現実世界へ戻すと同時にそんな声が耳に届いた。
入学式のリハーサルを二、三度繰り返した後、本番に入る。
「新入生、代表挨拶」
「はい」
進行役の言葉に俺は立ち上がる。
初っ端から目立ってしまう俺。
この高校にはユニークな制度が多々あり、成績優秀者授業料免除もその一つ。
入学試験を含め、十番以内なら授業料免除、三番以内なら加えて月五万の報奨金が支給される。
報奨金狙いの生徒に負けてはなるまいと必死に頑張った結果、首席合格。
こんな結果になると知っていればもっと少し手を抜いたかもしれないが、あの当時は不可能だったと思う。
何せ俺は授業料免除の特待生扱いにならなければ中卒扱いで社会に放り出される状況でそんな器用なことを求めても仕方あるまい。
まあ、十番以内にさえ入れなかったという状況よりはましだな。
俺はネットでコピペを繰り返した産物を読みながら頭の隅でそんなことを考えていた。
無難に挨拶を終え、入学式もつつがなく進行していく。
最後に校歌斉唱を終え、順に退席していくことになった。
入るクラスはもう決まっている。
高校の合格証と同時に配布されたプリントにクラスと番号が書かれているからだ。
ここに越してきたばかりの俺は待ち合わせをするほど仲を深めたクラスメイトはいない。
だから俺はさっさと校舎に入ろうとしたのだが。
「少しお待ちなさい」
「うん?」
俺の目の前にある女子生徒が仁王立ちしていた。
背は平均女子より少し高いぐらい。
顔立ちは整っている方だが、吊り目で怖い印象を与えてしまうのがマイナスポイント。
もう少し笑えばいいのになと思う俺だが、彼女の初対面の様子から無理だろうなと思う。
「貴方、名前は何でしたっけ?」
随分と高圧的な態度だな。
そんなお高く留まった態度は凡人に嫌われるよ。
「時宮悟だよ」
彼女は俺の名前を知りたがっている。
もったいぶったところで何の得もないため、俺は素直に述べた。
「ええと、華鳳院麗香さんだっけ? よろしく」
確かそんな名前だった気がする。
「……何故私の名を?」
そりゃあ、もう。
華鳳院さんは俺が目をかけた六人のうち一人だからね。
名前など、聞き耳を立ていれば勝手に入ってくるよ。
「先ほど、挨拶をした際に偶然耳に入ったから」
「うん? 何時私に挨拶を?」
……覚えていないのか。
華鳳院さんは細い顎に人差し指を当てて首を傾げる仕草をする。
とても上品で絵になるポーズだが、言っていることは酷い。
俺は全力をもって引き攣りそうになる顔を抑えた。
「アハハ……」
俺は意図的に声をあげて笑うことで華鳳院さんの注目を逸らす。
さっき向こうが覚えていなくてもいいと俺自身が誓ったじゃないか。
すぐにぐらついた自分の弱さに内心自己嫌悪に陥る俺。
「ふうん、それで時虫さん」
時宮です。
すぐに間違えないでください。
「時宮だけど」
「あら、ごめんなさい」
その謝罪はどこまで本当なのだか。
表情を見る限り全然申し訳なくないよね?
俺は段々イラついてきた。
今後、こんな失礼な人とは関わらないでおこう。
情報は集めるけど基本は回避の方向で。
と、俺は華鳳院さんを見限り始めた時。
「貴方、首席合格なのに何故あんなふざけたスピーチを行ったのですか?」
「……」
俺は一瞬硬直し、華鳳院さんの眼を見る。
その眼には侮蔑と怒りが満ちていた。
「由緒ある光洋学園の首席合格であろう貴方がどこにでも転がっている内容をスピーチするとは……侮辱しているのかしら?」
「いや、そんなつもりはないよ」
そう答えるのが精一杯。
「何も知らないようですから教えて差し上げましょう。この光洋学園は次代のリーダーを育成する目的で作られ、現に多くのリーダーを輩出している名門校です。果たして貴方のあれは歴代の卒業生の前で発表できるものなのかしら?」
「……」
俺はどう反応すべきだろう。
降参とばかりに謝る選択肢もあるが、俺的にはこんな高慢女に頭など下げたくない。
非を責めるのであればまずは下手に出るんだな。
そんな、自分こそ正義とばかりに振る舞うからこそ出来る謝罪も出来なくなる。
仮定の話になるがもし、丁寧に指摘していれば俺が謝って終わったんだよ。
俺は顔を上げる。
「どんなに優れたスピーチであろうと万人が理解しなければ文字の羅列に過ぎないよ」
凡人に聖書の一節を説明するよりか、話題沸騰中のベストセラー小説の一節を抜き出した方が聞いてくれる。
相手が受け取ってくれなければ何をやろうと無意味だ。
「難解で偉そうな内容よりも、簡潔でわかりやすい内容を選んだつもりだけど」
「その結果がどこかで聞いたことのあるようなスピーチ?」
「結果的にそうなってしまっただけ、簡潔というのは類似性が多分にある」
誰にでもわかるような簡単なスピーチにした。
その結果、ありきたりの内容に類似してしまうのは仕方ないだろう。
理論としては完璧。
ほら、華鳳院が黙っている。
華鳳院さんは攻め手を間違えた。
正しい手順を踏んできたのなら嫌な思いをせずに済んだのに。
本来なら華鳳院さんは手抜きのスピーチを行った俺を責めたとして株を上げるはずだったのに、結果は全く逆の、誰でも分かるように丁寧なスピーチを行った俺に難癖をつけたという構図になっている。
実際、皆は先ほどより俺と華鳳院さんを見る目が違う。
時が経つことに華鳳院さんは不利な状況に追い込まれる。
時は、俺の味方だ。
「まあ、そういうことにしておいてあげましょう」
現状を不利と悟ったのだろう。
艶やかな黒髪を靡かせながら華鳳院さんは背を向ける。
「けれど時宮さん。私は貴方を認めていないわよ」
うわ、初対面から敵認定か。
けれど、やってしまったものは仕方ない。
もっと上手い方法があったかもしれないけど、それは後悔するだけ野暮というものだろう。
賽は投げられた。
後は続けるしかない。
俺は笑顔を保ちながら華鳳院さんの背を眺めていた。
次回の投稿は3月2日です。