見守る影
狛犬の強靱な肉体(興奮)
今回も短めです。
「実は明後日からユリカが通う学園の新学期が始まるんだよ」
何処か学園と言う単語に懐かしさを感じた俺は、心臓をぎゅっと締め付けられる様な感覚にそっと胸を押さえた。
失った記憶に少しでも接点があるとこうして苦しくなるのだ。何時になっても、自分の中身が空っぽなのには慣れない。
しかし、その学園がどうしたと言うのだろうか。
「聞いた話だと君もユリカと同じ年らしいね?」
「そう、なんですか?」
「君と面識のあるセイン君が以前の君にそう聞いていたらしくてさ」
セイン。何度か俺を訪ねて来ているので知っている。確か魔王討伐の勇者に選ばれたアレチェスカ王国一の実力者だとか。
「で、本題なんだけど…ツヨシ君。学園に通ってみないか?」
「え?」
◇
「ツヨシも大変ね。何も知らないまま学園に通う事になるなんて」
「知らないからこそ通うものなんじゃないのか?」
「まあ、そうなんだけどね」
でも流石に断る余地がないのは恐れ入った。通うか否かを問うてきたわりにはちゃっかり手続きも準備も完了していると言う逃げ場のない状況を作り出されていたのだ。穏やかな顔をしてやる事は徹底している。
一応理由を聞いてみたのだが、どうやら学園に通う様になると寮生活が始まって帰って来るのが月に二、三回になってしまうらしい。
そうなると俺の周囲の同年代が殆どいなくなる。親しみやすい同年代がいた方が気も楽だろうし記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないと言うリュカなりの配慮なんだとか。
「で、それ何読んでんの?」
「これ?なんか俺が連れてたらしい喋る本だよ」
「でももう喋ってもないし読んでて何か意味あるの?」
「何かこの世界の事色々書いてあってさ」
前にセインに聞いた話だとこの本、テキストは現在から過去までを全て記録している奇跡の書らしく、俺が知りたいと訊いた事をページに表記するか言葉にするかで伝えていたらしい。そして現在この何十ページ、いや、百を超えているページには様々な情報が書き込まれていた。
しかも他の人には読めない文字で書かれている。俺に読めてしまう理由はこの文字が日本語なる言語であるかららしい。
らしいばかりで確証は殆どない。
「ふうん。そこに自分の事は書かれてないの?」
「自分の事は自分が一番知ってるだろ。他人に聞くまでもないよ」
かく言う俺自身、自分が何で何を成し遂げようとしていたのか分からないのだが。
「別の人から見た自分も大事だと私は思うけどね」
「あー、そう言う考え方も有りか…」
納得して頷く俺を何とも言えない表情で眺めていたユリカは溜め息を吐くと、俺が借りている部屋から出るべく扉の前まですたすたと歩いて行った。
「とにかく、早く記憶取り戻して魔剣頂戴よね」
「図々しいな、お前は」
図々しい台詞を吐き捨てて退室したユリカに聞こえたかは分からないが、俺はそう呟くと再び本に視線を落とす。中々興味深い情報が記載されていて飽きがやってこない。全て新鮮に感じるせいだろうか。
そうして本に夢中になっている俺の背中を別の建物の屋根から窓越しに見つめる人影があった。それは、小柄で黒い髪の少女。
「………」
その少女は特に何かをするわけでもなく、無表情を貫くと目を瞑り雲が陽の光を遮ると共に影となって姿を消してしまった。俺はそんな事には一切気付く気配すらなく、ただひたすら本の内容に心躍らせた。
そう言えば、ずっと目が覚めた時からずっと忘れる事のなかった名前は誰の者なんだろうか。
―――シュラ。それはとってもとっても大事な人の様な気がして。気が付けば俺は、涙を流して本を抱き締めていた。誰でもいい。この胸の空白を、埋めてはくれないものだろうか。
『魔拳士』の加護
女神アルテシア様よりメシアが授かった最上級の加護。
他の人どころか本人すら認識していない為、テキストの記録にすら載っていない特殊な加護。
この加護の所持者は拳からしか魔法を放てなくなると言う難点があるのだが、
代わりに長い詠唱の代わりに技名を叫ぶだけでいいと言う利点もある。
また、喜怒哀楽の感情の変化によって力の本質が変わる。




