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人生の片道切符

作者: りおかうし

日本人として、人として生まれてきた私。

女性として生まれてきた中で私探しの旅はエンドレスなものだった。

1981年、私は妹としてこの世に生を受けたはずだった。

兄は、12歳の私をこの世に置き去りにした。

「小雪、そのままじゃ、これから先やっていけないよ。逃げてばかりじゃ、やっていけないよ。」

まさかこれが兄の、最後の言葉になるなんて。

私の時間は、この日から狂った。

私は、兄の最後の言葉を噛み締めながら、今も嫌なことから逃げて生きている。



ブラコンだった私は、小学校6年の頃、いじめられっ子だった。

学校に、私の味方なんていなかった。

つけられたアダ名は、“小便小僧”


始まりは小学校で行われた健康診断の数時日後、

「山方、お前検尿再検査になってるぞ、明日持って来い」

担任のデリカシーにかけた言葉。

クラスメイトは一斉に私を見た。

これから、壮絶ないじめは始まった。

掃除の時間は、意味もなく殴られ蹴られ・・・。

私の机や持ち物に触れただけで、

「うわ、汚ね~。触ってしまった」

とお騒ぎしながら、バイキン扱い。

そんなに私は汚いのか・・・


私は生きるのが分からなくなった。


勿論、担任の先生には、相談した。

「そんなのは、自分で解決しない」

見放された。


学校トイレや一人の時間に、左手首の傷は増えていった。

生きてる実感が欲しかった。

私はそんなに汚いのか・・・。


次第に、仮病を訴えるようになった。

「学校に行って保健室に行って帰っておいで」

この母親の言葉に救われた。

学校や大嫌いなクラスに行かなくていいんだ。

そう何だか嬉しかった。

心配かけたくなくて、いじめられてるなんて一言も言ったことなかったのに。

母は、気付いてたのだろうか。

私は、毎日保健室に行って、水銀体温計をこすり37℃にして帰る、そんな毎日を繰り返していた。

毎日、包帯ぐるぐる巻の人が助けてくれる夢をみるようになった。


別に、小学校低学年の頃から、友達といえる人なんていなかった。

だから、学校にいる意味が分からず、授業に参加せず、学校から何度も脱走していた。

それでも、私の中では平凡に過ごしていた。

"小便小僧”になるまでは。


一年生の頃から忘れ物をすると、兄が貸してくれた。

だから時には、わざと忘れ物をした。

4歳上の兄は、私とは真逆で、人気者だった。

その姿を見たかったからだ。


「あっ、山方くんの妹さん、こんにちは~」

そう言って優しく話かけられたり遊んでくれた。


兄は、背が高くてカッコいい、学校の人気者。

町内リレーでは、ゴボウ抜きのヒーロー。

学校の先生達からも必要とされている、生徒会長。


私にとっての兄は、スターだった。

次第に恋心も抱いていた。

いつでも、兄の傍にいた。

兄の気が私に向く為には、何でもした。

ピアノを弾くのを求められたら、弾いてみたり、

兄の友達が遊びに来ている時は、ワザと、兄の部屋の入り口でリコーダーを吹いていた。

両親が出掛けていない時は、チャーハンを作ってくれていたし、

私が指切断した時も必死に病院に自伝車こいで連れて行ってくれた。

初めてのCDラジカセの使い方、教えてくれた。


そんな兄は、突然、死んだ。

兄の中学卒業式一週間後、もう高校の制服も準備した、そんな時だった。

父は出張中。

私は、早退してベットに潜っていた。

『小雪、そのままじゃ、これから先やっていけないよ。逃げてばかりじゃ、生きていけないよ。」

そう言い残して、兄は、おじいちゃんの家へ泊まりに一人、泊まりに行った。


あの頃のことは、忘れられない。


とあるドラマで、出張中の旦那が事故死するというドラマを見終わったばかりだった。

電話が鳴り、母の叫ぶ声が響いた。

「お兄ちゃんが・・・、死んだ・・・かもしれない、今すぐじいちゃんの家に行くから、着替えなさい」

私は話が理解できていなかった。

どのようにしてじいちゃんの家に行ったか覚えていない。

けど、じいちゃんの家は燃えていた。

まだ、火事の真っ最中だった。

そこには、泊まっていたはずの兄だけがいない。

しばらくすると、これが兄なのか、夢でみたことのある、包帯ぐるぐる巻きの人の形をした物体が、お棺の中にあった。

みんな泣いている、みんなこれが兄だとないている。

確かなのは、どこを探しても、兄がいないということ。

私は受け入れられなかった。


葬儀は、雨の中行われた。

お経が泣き声とともに鳴り響いていた。


「一番上になったんだからしっかりせなんよ。妹がいるんだから」

この言葉、一番きつかった。


死ぬ人が間違ってる、なぜ私じゃなかったんだろう。そう思った。


地元の新聞に、そこそこ大きく掲載された。

急遽、告別式が追加で行われることになった。

人気者の兄の最後に、会いたい人達が絶えなかったからだ。

「山方くん、こんなに早く逝ってしまうなんて、想像もできませんでした」

そう、送辞が読まれた時には、死ぬべきは私だったのに、って・・・。


葬儀が一段落して、私は学校に行った。

今度は、私の小学校卒業式があるからだ。


これまでのいじめっ子達は、いななっていた。

急に、みんなが優しくなっていた。

あの夢に出てきていた包帯ぐるぐる巻きの救世主は、兄だったのか・・・

同情からかみんな優しくなっていた。


それから、私は中学校入学式を迎えた。

兄の同級生が高校が終わると私の教室に来てくれた。

兄の後輩も、沢山声をかけてくれた。

困ったときは、助けてくれた。守ってくれた。

兄が、『今度、俺の妹が入学してくるから、よろしくね』と言っていてくれてたということは、後々に知った。

おかげで、中学校3年間は、粋がった楽しい学校生活だった。

兄に守られた、3年間だった。

けど、生きた心地はなかった。

それは、兄の姿がなかったから。


中2の時、同級生と初めてタバコを口にしてみたり、中3の時、大学生の男の人に温もりを求めてみたり。

いつでも兄を探していた。

だから、高校は家族の元を離れてみることにした。

兄のいない思い出一杯の所から離れたかったからだ。


高校卒業しても家族のもとには帰らなかった。

両親は、一度私を強制的に家に連れ戻したけど、すぐに家出して、音信不通状態にした。


まだ、どこか、兄が死んだと、受け入れられなかったからだ。

離れていれば、また兄に逢える、そんな気がしたから。


でも、心はズタズタになっていった。

生きていくのはそう簡単ではなかった。

誰かの気を引くため、ベランダからの飛び降り自殺をほのめかしてみたり、いつでも死ぬことを考えて生きてきた。

高校卒業しての進学先で大量の睡眠薬を飲み、人前で倒れるということを繰り返すようになっていた。

その頃知り合った彼氏が、いつも傍で優しく笑っていてくれていた。

私は、兄と重ねるようになった。

ずっとずっと傍にいないと私がおかしくなりそうなくらいに、彼に依存していた。


一度目の妊娠はきっと、女の子だった。

激痛で、病院のトイレで気を失った時、

「ママ、ママ起きて」

真っ白な世界の中で、優しく可愛らしい女の子の声が聞こえた。

目を覚ますと、ベッドの上で、淡々と医者から、お腹の子がもういないことを告げられた。

気が狂うくらいの感情を覚えた。

この時彼はそばに居てくれなかった。浮気相手と過ごしていたから。

気持ちはもう、私から離れようとしていたから。

分かっていたけど、私は手放せなかった。

もう兄と勘違いしていたから。


この流産も乗り越えて、再び彼の気持ちが、私に戻った時、再び妊娠した。

どんなことがあっても、この子だけは守らないといけない、そう思った。

彼の浮気癖も我慢できるようになっていた。


家出して初めて、家族に連絡した。

久々に話す母は電話先で泣いていた。

彼と挨拶しに実家へ帰った。

その時既に、妊娠5ヶ月。

父は彼のことをあまりよく思っていなくても、妊娠してしまった以上、結婚を許すしかなかった。


里帰り出産。久々の故郷。

居心地が良かった。

無事に男の子出産。

出産してもしばらく彼は会いに来てくれなかった。

私は、随分と現実をみるようになっていた。


子供の名前も自分一人で決めた。

自分でしっかりとしあわせを掴んでもらいたいとそんな願いを込めた。


彼が会いに来てくれた時には、生後3ヶ月は過ぎていた。

「お前があきらくんかい」

満面の優しい笑顔で彼は、我が子に話しかけていた。

一度彼と家族として三人の生活をしてみよう、そう思った。


あきらと彼との生活は、しんどかった。


どんなことがあっても、あきらのお風呂は入れる、休日出勤の時はあきらと一緒に出勤する。

良いパパっぷりだったのに。

そんな姿に、私は満足しなかった。

まだまだ、女だったからだ。我が子にヤキモチに似た感情がフツフツとこみ上げてきた。

こんなんじゃ、私はダメになる。

はっきりそう思った。

そんな矢先、再び妊娠が分かった。

彼は、中絶を望んだ。

望み通り、気が進まなかったけど、中絶を受け入れた。


実家に帰ろう、帰りたい。はっきりそう思った。

あきらを連れて、彼がいない時に家出した。

あきらだけは、手放すことはできなかった。


しばらくすると、離婚成立。

丸々一年の結婚生活だった。


地元に帰ると、離婚したこと後悔した。

彼の優しい笑顔が見れなくなったからだ。

初めはあまり付き合うなんて思ってなかった。タイプではなかった彼だったのに。


離婚してすぐ、大量に下血。中々止まらなかった。病院で流産を告げられた。何だか心は複雑だった。

流産と同時に左卵巣嚢腫が発覚。開腹での核出術を受けた。


それから、毎年のように秋くらいから春にかけて、声をかけてくれた人とお付き合いをし、私が春先になると別れたくなるため、別れを告げる。

そんなことを繰り返していた。


あきらは、父と母が我が子のように育ててくれたので、問題なくすくすくと成長した。

私はあきらが3歳になってから度々、長期休暇のたびに親子旅行を楽しむようになっていた。

母があきらに対しては、兄と重ねている、そう感じていた。

私自身なぜだか、あきらが15歳を超えることがないような感じがしていた。

だから、私ができる精一杯をしてきた。


シングルマザーとしては、恵まれていると思う。

それは分かっていたけど、満足していなかった。

どこか心のトンネルから抜けだせないでいた。

誰と一緒でも。


あきらは、大好きだった彼にちょっとした笑い方や寝顔が、会ったこともないのに似てくるようになっていた。


私は、摂食障害を繰り返していた。


33歳になった時、右の卵巣腫瘍が発覚。

基本的に、父母へは相談しなかった。

心配症の母の過保護を避けたかったからだ。

境界型の悪性腫瘍で、すぐに手術したけど、腹腔内のどこに癌が再発するか分からないと説明を私一人で聞いた瞬間、どうにかなりそうだったが、一人で受け止めたかった。5年間再発なしならもう大丈夫だと、頭では理解しても、心が壊れかけた。


そんな中、一回り下の子から交際の申し込みを受けた。

リストカット歴のある、どっか暗いオーラを持つ今までにない感じの男の子。

寂しさ故に、オッケイして付き合いが始まった。

外見も中身も全くタイプではないのに。

次第に依存心が蘇ってきた。

その子をなんとかしてみたいという気持ちになっていた。

でも、付き合いはそう長くなかった。約9ヶ月の付き合い。

別れる前は、あまり会いたくなかったのに、いざ別れようとするとものすごく、別れる気持ちが消えていた。

『子供ができない女はいらないんだよね』

そう言われたのに、別れ話の時、その子の前で自殺未遂をほのめかす行為をしてしまったりして困らせてしまった。

別れを受け入れてからは、ずっと一緒にいようと約束は、“ごめん”の一言で消去されるんだと、心に穴があいたような、何にも手に付かないそんな日が続いていた。


私はどうしたら・・・

もういない兄に、何度も何度も私が生きている意味を問う日々が続いていた。


人は、絶対ということに対して、ごめんで片付ける。

誰を信用すればいいのだろう。


そんなことを考えているうちに、人付き合いが面倒になった。

誰を信じて・・・

そんな日々から逃げ出したくなった。

環境を変えたかった。


私は生かされている。


これだけは、事実だ。


人の善意はどこまでが本気なんだろう。


私は知りたい。


生きている限り、知りたいのだ。


私が生きている意味を。


もう一度、学ぶことから始めようと思った。

シングルマザーの再出発がしたくなった。

一人で生きていけるのか、学びたくなった。


どれくらいの人が私を必要としてくれるのか。

私が私でいられる場所、探してみようと、そんな風に思えるようになった。


4月、35歳シングルマザーの奮闘記の再出発の手始めに、精神分野を学ぶため、大学に通うことにした。

18歳下の人達と紛れて。

私はどこまでやれるんだろう。


しかし、体は私の思い通りにはいかなかった。

子宮がん発覚。

私の女の子出産の希望は消えた。

なんだかまた、生きていくことに疲れてしまった。

治療はしないことにした。

15歳の愛息子・あきらはきっと大丈夫。

きっときっと立派な大人になってくれるはず。

だから・・・。


次第に円形脱毛症がひどく髪の毛もなくなっていった。


家族には、もう何も言いたくない。


少なくても残りの命は、私と関わってくれた人達の笑顔を守るためだけに専念することにした。


みんなが幸せで笑顔でいてくれるなら、私の存在価値はあったって考えるようになった。

私はそれだけで幸福感を覚えるようになった。


そんな中、自ら初めて好きな人ができた。

私が好きになってはいけないのに。

出会ってすぐからの私の感覚。ファーストインスピレーションの好感度は半端ないものだった。

優しい気配りのできる、笑顔の素敵な男性だった。

そんな反面、孤独感も兼ね合わせているような。でも、決して自分の辛さを表には出さない人。

あと少しだけ・・・こんな気持が、ズルズルと私の片思いの切なさを募らせていった。

この人には、ハンデのある私なんて受け入れてもらえるはずがないのに。

傍にいたい・・・でも・・・体力勝負の日々、癌は隠せても、脱毛は隠しきれなくなった。


きっとこれが私の限界なんだろう。

諦めよう、その人の前から消える覚悟を決めた。


あと残りの命。やっと生きることから卒業できるその日までに、やりたいこと。

それは、私の想いを少しでも、誰かに分かってもらいたかった。


そんな気持ちが、文章力のない私をパソコンに向かわせた。


この物語で、私はどんなふうに写ったのだろう。

感想を知りたいが、もうお迎えはすぐそこに来ているみたいだ。


私と知り合ってくれた人達に感謝を。

何よりも大切な愛息子に、私の子どもとしていてくれたことのありったけの愛を。


お兄ちゃん、また会えますね。

楽しみだな~。


Peace begins with a smile.


さようなら~。


ブラザーコンプレックス。これが最大の私の闇だったのかもしれない。


そう言って笑ってた小雪。

真の人の優しさや温もりを、あの小雪は見つけることはできたのだろうか。

人としての人生、何かの忘れ物が会った時に、また、小雪の笑顔に会える日が待ち遠しい。


笑顔は平和な世の中を作る。

粉雪さんは、このマザーテレサの言葉が心のお守りだった。


私は小雪に聞きたい。

幸せって、なんだったのかを。

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