第一八話 朝ごはん
罪業を重ねれば、箒が重くなる。
纏わりつく澱みは粘り気をいや増し
太陽の忌々しい明るさが『私たち』を焼き焦がす。
飛ぶべきではなかったの?
あの忌々しい紺碧の空。
握りしめた箒のなんとか細く、心もとないこと!
息が出来ない。
喘ぎつつ、もがきつつ、吸い込もうとも。
『私たち』は、拒まれる。
『私たち』は、苛まれる。
『私たち』は、どうして?
『私たち』は、どうして?
こんなことに、苦しまなければ、いけないの?
目覚めの瞬間は、最悪だった。
真っ黒い遮光カーテンが微かに揺らぎ
陽光が目を焼かんばかりに飛び込んでくる。
それは遮蔽物の無さ、無防備の象徴。
ぎょっとする間もない。
耳をすませば、ああ、足音だ。
重たい、軍靴の音は聞き違えようがない。
されども、それに聞き覚えはなし。
『私たち』のどれでもない。
意味するところは、明瞭。
敵だ。
識別できるまでは、敵だ。
条件反射、それは、染みついている。
是非を問う間もなく、飛び起きマスケット銃を握りしめ
弾薬袋が見当たらないことで顔面が蒼白になる。
どうしよう?
どうしよう?
半ば恐慌状態になった彼女は
だからこそ、体に染みついている条件反射のまま
咄嗟に音を迎え撃つべく銃床を振り上げる。
港湾都市マルケラス、その一角に小さな宿があります。
その名も、吊るされた黒猫亭。
名もなき一人の店長さんが切り盛りする
影も姿もない『私たち』のための宿。
「エルダー・アナスタシア? 随分と、ドタバタされておいででしたが」
「……なんでもないよ!」
ぷくーと頬を膨らました彼女は、ちょっとだけ不機嫌でした。
使い魔嬢たるアフア嬢は困り顔です。
「エルダー? ……店長さん?」
「ははは、まぁ、バッタンと尻もちついただけさ」
怜悧ながらも、どこか暖かな笑みを携えた店長さんが
くすくすと笑いながらテーブルへ朝食を運んでくれます。
「ほら、朝食さ」
テーブルクロス代わりに
野戦仕様の黒い暗幕が敷かれたテーブルに
ことり、と置かれるのは
白い陶器のお皿。
ビスケット数枚と、ゆで卵が一つ。
後は、煮た豆がわずかな干し肉と一緒に。
お飲み物として、注がれるのは温かな紅茶。
質素、と笑えばよろしいでしょう。
ご存知ない方にしてみれば、それは、味気ない朝食なのですから。
「いただきます」
「はいはい、召し上がれってね」
食事。
食卓での、食事。
「店長さん、格闘技の経験が?」
「軍隊にいたころにね? ま、それなりには使えるのさ」
トントン、と。
台所で何かの下ごしらえを行いつつ店長さんは言葉を返します。
「それなりに?」
「そうよ。それなりに」
じゃなきゃ、と彼女は笑います。
「佳人が旅館を盛り立てていくのは大変なんだよ?」
「港町でございますからね」
「そうそう、アフア嬢はよく分かってる」
ウンウンと店長さんと、使い魔嬢は頷きます。
「えっと……そうなのですか?」
「嬢ちゃんは、ちょっと、世間ってものを知るべきかな?」
ため息と共に店長さんは包丁を下ろし、
手を洗うと立ち上がります。
「えっと、確か……」
「店長さん?」
「この前、古巣が持ってきたのがあったはずで……」
ああ、あった。
そんな呟きと共に店長さんは
小さな小冊子を掲げます。
「荒くれ相手にするの、本当にしんどいんだよ?」
ぱさり、と広げられたのは
軍当局謹製のハウツー本。
主として、前線勤務が長かった魔女やその他の退役兵へ向けて
港湾都市でのトラブルを事細かに記載したソレは
日常へ兵士を復帰させようという
涙まぐしい努力の証左でしょう。
「月報みたいなものだから、食べながら読んどきな」
朝食を食べながら、引き継ぎレポートを読むようなものです。
兵隊ならば、誰だって、手早く食事しつつ物を読むことができます。
『私たち』だって、それは、変わりません。
ビスケットを片手に、お喋りもしました。
フォークでベーコンを突きつつ、愉快なことを聞けばコロコロと笑ったものです。
でも、大体は。
片手にフォーク、もう片手には紙の束でした。
昨日、隣の『私たち』で何人が融けたのかを知って食べる食卓。
味気なく、ぱさぱさしていて、でも、必要最低限の栄養だけが取れるそれ。
だから、食事中に本を読むことも慣れてはいます。
慣れてはいるのですが……慣れ親しんだメニューをパクパクと摘まんでいた彼女は
ハウツー本を受け取るなり固まっていました。
「……なんです、これ?」
店長さんは小さなバスケットに
物を詰め込みながら
溜め息を零します。
「お嬢ちゃん? えっと、後方で見たことない?」
「前線での純粋培養にございますれば」
「『私たち』じゃなくて?」
「……『私』が『私たち』なんですよ?」
「ああ、そうなっていた頃の子かい? やれやれだね。じゃ、慣れるまで呑気にやっていくしかないねぇ」
ですねぇ、と力強く頷く使い魔嬢に比して、彼女はぽかんとしています。
「はい、これ」
ぽん、と投げられるのは手書きのメモが張り付けられたバスケット。
「はい?」
「オススメポイントとランチよ。ま、見てまわってごらんな?」
港町を舞台に、色々とやっていきます。