第十話 『私たち』の食習慣
結論から申し上げましょう。
彼女は、馬車にて大いなる試練へと
直面いたしました。
理由というほどのこともございません。
紳士淑女と魔女の名誉のために申し上げておきますと
誰が悪かったということのほどでもございません。
ただ、強いて理由を求めるとすれば
巡り合わせが悪かったのでしょう。
魔女の夕べ以来一睡もせず
彼女は歩きとおしで空腹でした。
郵便馬車にしても、
突然のお客さんに暖かいスープを提供できるはずもございません。
悪いことに、と申し上げるべきでしょう。
マスケット銃をもって、突如として街道に立ちふさがる彼女に馬は大いに驚いていました。
神経質になっていたこともあるやもしれません。
運航スケジュールをやや遅れていることもあり
速度を御者があげてしまったことも加味すべきしょう。
馬車は、大層、揺れていました。
止めとばかりに、彼女は反省していたのです。
反省したためにおしゃべりもせず
しょんぼりと馬車の床を見つめていました。
そういう次第で、と申し上げねばなりません。
哀れな魔女の三半規管は、参ってしまったというわけです。
それ以上?
乙女の名誉になんと無粋な問いかけでしょうか。
とはいえ、彼女も回復いたします。
そんな、折のことでした。
「お目覚めになられましたか、エルダー・アナスタシア?」
「ええと、酷い思いをしたことだけは覚えているけれど、うん、なんとか」
酷い目にあったよ、と。
小さくも尊厳の掛かった
壮大な戦いに打ち克った魔女は
思い出したくもないとばかりに
頭を振ります。
グウグウと鳴り始める彼女のお腹の音は
紳士淑女として
気づかぬ素振りをいたしましょう。
ただ、と私はそこで頭を抱えてしまうのですが。
「って、サンドイッチ? 火が通っていない?」
「おいおい、嬢ちゃん。こいつは、馬車なんだ。本格的なディナーじゃないのは、勘弁してもらえないかね」
「あの、缶詰とか瓶詰はありませんか?」
「はぁ? まぁ、あるにはあるが……」
保存食は、好き好んで食べるものでもあるまいに。
御者さんの顔には疑問が
顔面にありありと、書かれております。
「瓶詰のポトフとかあれば、最高なんですが」
「なんだ、食べられない食材でもあったのかい?」
ピントのずれた会話に耐え兼ね
私は思わず逃げ出したくなってしまいます。
はっきりと申し上げねばなりますまい。
『私たち』は、『戦場食』に慣れ過ぎております。
普通の部隊であればなにしろ、戦争でしたのでと
開き直れれば宜しいでしょう。
しかるに、『私たち』は魔女なのです。
「失礼ですが、そうではございません。ええと、その」
「なんだい、使い魔の嬢ちゃん?」
「あの、その」
華やかな魔女が、アケラーレ『ルカニア』の『私たち』が
錬金鍋どころか
調理鍋すら使えないと
よそ様へ口外するのは
忸怩たるものがございます。
しかし、私のささやかな逡巡は
彼女のあっけらかんとした
物言いであっけなく粉砕されてしまうのです。
「安全な食事ってないですか?」
サンドイッチに触れようともせず
彼女が申すではありませんか。
ああ、なんということでしょうか。
「おいおい、毒を盛るみたいな言い方だな」
「エルダー・アナスタシアは、その、ちゃんとした食事を存じ上げていませんでして……」
『私たち』の大半は、お料理すらできなかった。
そう認めることは、私にとっても非常に面子にかかわる次第ではあるのです。
「アフア! そんなことないって。私だって、瓶詰ザワークラフトや、瓶詰ポトフを食べたことぐらいあるよ!」
「……とまぁ、こんな具合でして」
私、取り繕う努力はいたしました。
いたしましたとも。
「いや、本当だよ。私だって、『私たち』の補給状況が良いときには、食べたことあるんだから」
違います、と何度申し上げても聞いていただけないのです。
もう、なんと申してよいことか。
「なぁ、小さな魔女の嬢ちゃん。調理って、知ってるかい?」
「もちろんですよ。製パン中隊のおばちゃんたちがやってくれるやつですよね?」
「……一つ嬢ちゃんに聞きたいんだが……冷たいパンや食材をどう思う?」
「非加熱食材は、食中毒の温床ですよ? このキャベツ、火を通していませんよね」
ですから、マスターと『私たち』の皆々様。
ご容赦くださいませ。
これ以上は、無理でございます。
ちらり、と初老の御者さんがこちらを見て
呟く言葉は予想通りです。
「本気かい?」
「悲しいことに」
私としても、がんばりました。
頑張ったのです。
彼女がマスケット銃を振りかざして街道に飛び出すときよりも
なお一層恥ずかしい思いで認めざるを得ません。
ええ、ええ。
戦争に明け暮れたせいで
『私たち』は『私たち』という魔女の共同体でありながら
錬金術の釜をかき回すどころか
鍋すら使えず
神秘の探求ではなく
攻撃魔術のみに専念していたのですから。
「……使い魔の嬢ちゃん、ここに、グルメガイド本がある」
「ありがたく……」
戦争が終わったんだ、グルメやっていいんですよ(`;ω;´)