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古びた手紙

作者: 夕猫

 少女は走る。



 息が絶え絶えになりながらも、足に痛みを感じながらも。



 少女は走る。



 転んで膝を擦りむいても、段差に引っかかって足を挫いても。



 少女は走る。



 とある住所が書いてある小さな紙切れと、古びてぼろぼろになった一通の手紙を胸に抱いて。



∞∞∞



少女が住所を頼りにたどり着いたのは、少し寂れた喫茶店。


肩で息をする少女が深呼吸をした後、遠慮がちに扉を開く。


薄暗い店内の奥には、コーヒーカップを丁寧に磨く店主の姿があった。


「おや、随分と若いお客さんだね。こちらへどうぞ?」


 店主は、少女の姿に気づいたと思ったらカウンターから出て椅子を引き、座るように促した。


紳士的な男性のようだ。


 少女は無言で座り、ずっと俯いていた。


 店主は、そんな少女の行動に疑問を持ちながらも、甘いカフェオレを少女の前に置いた。


「熱いうちにどうぞ? お嬢さん」


 少女は目を見開いて驚いたようだったが、カフェオレの入ったカップを両手で持ち、ゆっくり口にする。


「甘い……」


 少女の顔が笑顔になる。


 それにつられて店主も笑みを浮かべる。


「おいしいかい?」


「ええ、とても」


 少女の身なりや振る舞いから、教養のあるしっかりした子どもであることがわかる。


その子どもが顔を上げたとき、店主は目を見開いて子どもの顔を凝視していた。


「どうしたの?」


「いや、君が昔の知り合いに似ていてね。懐かしくなってしまったよ」


 店主は笑みを浮かべるが、少女には心から笑っているようには思えなかった。


「ここであったのも何かの縁、お嬢ちゃんにおじさんがひとつ昔話をしてあげよう。聞いていただけるかな?」


「ええ、もちろん」


 少女が笑ってそう言うと、店主がゆっくりと口を開き、話し始める。


むかしむかしのお話を……



∞∞∞



時は、数十年前に遡ります。


ある男が、とある裕福なお屋敷に執事として勤めておりました。


そこの家は大手企業の社長のお屋敷で、家族は娘が一人、奥さまは数年前に病気で他界。


男はその一人娘の世話係でありました。


娘はとても笑顔の素敵な優しい方で、男のような使用人にも気軽にお声をかけるほど。


そんな娘は、男の淹れる甘いカフェオレが大好きでした。気分を落ち着けたいときには、どんな時でも必ず飲んでおりました。


男は自分の淹れたカフェオレを、いつも美味しそうに飲む娘の愛らしい笑顔が大好きでした。


この感情は紛れもない恋で、それを男は娘にも他の人にも隠していました。理由は立場の違い。自分はしがない使用人、娘は大手企業の社長令嬢。しかも許嫁までいては太刀打ちできない。


男は早々に諦めていました。


だが、娘は違いました。娘は男を愛し、男にそれを告げたのでした。


男は最初、自分の気持ちに素直になっていましたが、愛が深まるにつれ、喜びと共に不安が生まれていたのです。


自分はただの使用人。たとえここから娘を連れ出せても、娘を不幸にするだけではないかと考え、悩みに悩んだ末、男は辞表を出したのでした。


そして、娘には何も告げずに屋敷を去ってしまいました。


彼はこの行動を男は後悔していません。


 自分が我慢するだけで、娘が幸せになれるのだ、男はそう考えました。


 愛する人が幸せならそれでいい、ただそれだけで……と。


 男は万が一でも娘が追ってこないように、様々な都市を移り歩いた。まるで逃げるように……。 


 娘がその後どうなったのかは男にはわかりません。



                      ∞∞∞



「はい、これでお終い。お嬢さんには難しかったかな?」


「いいえ、使用人の殿方。そのお話は昔、母がしてくれましたから」


 少女の言葉に、店主はしばし唖然としていた。


「母はあなたを心から愛しておりました。これが証拠です」


 少女は店主に一通の手紙を差し出した。


「これは?」


「あなたに宛てた母からの手紙です」


 店主は手紙にある自分の名前を確認し、封を切る。


 少女はそれを黙って見ていた。


「……ああ、確かに彼女の書いたものだ」


 店主は少し寂しそうな、悲しそうな表情で手紙を読み進めていく。


 しばらくして、手紙を置いて店主は少女に尋ねた。


「彼女は今、どうしているんだい?」


「……先日、父と共に交通事故で亡くなりました」


 少女は淡々と言っているが、その顔は悲しみに染まっている。


「そうか、亡くなったのか。お気の毒に」


 店内の空気が重く、そして暗くなった。


「お嬢さん、彼女は……君のお母さんは幸せだったかい?」


 店主は幸せであってほしいと願い、少女の言葉を待つ。


「母は……私といるとき以外、幸せなときはないと言っていました。父を愛してはいなかったようですし、私と二人っきりになるとあなたのことばかり話していましたから」


 店主は静かにそうかと言って、少女の隣に座った。


「私は、彼女を幸せにはできなかった。彼女自身の本当の幸せに気付くことができなかったからね。彼女に申し訳がないよ、本当に」


 少女が店主の顔を覗き込むと、その瞳からは涙が零れ落ちていた。


「すまない、本当にすまない」


「……母から手紙の他に伝言を預かりました」


 少女のその言葉に店主は顔を上げる。


「私とあなたの愛する娘をお願いします、だそうですよ」


 少女は笑顔で店主の手を取り、そう告げた。


「……嘘だろう?」


「いいえ、本当ですよ。お父さん」


 少女の言葉に偽りはないようだった。


「彼女と私が愛し合った証が君なんだね。一生かけて幸せにするよ。彼女の分まで……」


「母もそれを望んでいると思いますよ。それに、私も」


 二人は泣きながら、そして笑いながら抱き合っていた。


 なにせ、数年の時を経て本当の家族となれたのだから。


 その中には、もちろん彼女も入っている。


 二人は彼女が空の上で笑っているような気がしていた。



                                    終わり


この小説を読んでいただき有難うございます。

私の作品で皆様方が少しでも楽しい時間を過ごしていただけたのなら幸いです。

また、今後の作品の参考にさせていただきたいため、何か感想や意見がありましたら遠慮なくお願いいたします。


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