第17話 「初任」
照りつける日光が、屈んだ背中を焼き焦がす。
暑い。目の前にいる雑草達には、私に後光が差して見えているのだろう。
その姿は神にでも見えるだろうか。はたまた自分達を刈り取ろうとする悪魔のように見えているのだろうか。
わたしは雑草の根元の土をかき分け、根元を掴み、優しく上へ引き上げた。
深い緑色をした雑草は、身に纏った土を振り払いながらその全容を表す。
引き抜いた雑草を見て、わたしは溜息をついた。
「思ってたのと違う……」
「ほら手を止めるな」
わたしが弱音を吐くと、背後から喝を入れられる。
そういう自分こそ少しは手伝ったらどうなんだと、背後にいたヘレスさんに思う。
ヘレスさんは頭に布切れを巻き、抜いた雑草を入れるための麻袋を持ってわたし達を見ていた。
監視役だそうだ。見てるだけなら力を貸してくれればいいのに。その方がはやく終わるだろう。
ヘレスさんに対する愚痴を発散するには足りないが、わたしは雑草を握った手に力を込め、思い切り引っこ抜いた。
「暑いし、手は汚れるし……。"対帝国対抗部隊"も、立派な名前して実際は普通のお助け隊と同じなのかな……」
すると、それを聞いていたディアンの声が、横から聞こえる。
「普通のお助け隊でも街の清掃の仕事ってのはあんまり聞かないがな……」
「えっそうなの」
初仕事とあって、もう少し名誉のある仕事をしたいなどと思ってはいたが、これも町の人々が心いい生活を送れるためと考えたら致し方ない。
初仕事は能力を使わない平穏なものであった。ちなみにこの場にはクロエさんともう一人、屈強な男性教官もいた。二人はヘレスさんと違い、地にひれ伏し、雑草を引き抜く作業を真剣に繰り返している。
筈だった。
「……ぬああああ!! なんでこんな雑用こなさなくちゃなんないのー!?」
クロエさんがもう耐えきれないといった様子で不満を爆発させた。屈強な男性教官の方は、しゃがんだまま急に立ち上がったクロエさんを、困った表情で見つめている。そこにヘレスさんが、メガネの位置を整えすかさず言い放つ。
「騒ぐな。口を動かす前に手を動かせ」
「わたし達教官でしょ!? 折角、エレナちゃんやディアンくんとか、"対帝国抵抗部隊"に新人さんが入ってきたんだし、もっとこう……。新人教育とかしてみたい────」
「クロエがしたいだけじゃねえか。それもしなくちゃいけないが、後でな」
ヘレスさんはクロエさんのことを名前で呼んでいるのか。いや、そこじゃない。クロエさんは深々とかぶった、尖った帽子の先を触覚のように揺らしながら、その不満をぶつけると、ヘレスさんは面倒臭そうな態度を全開で対応した。
確かにこの単純な作業の繰り返しは嫌になるときもある。そこは、わたしもクロエさんに共感していた。
すると、ヘレスさんの背後から野太い声が聞こえる。
「もう随分と綺麗になったんじゃないか」
その声を聞くなり、わたしの右隣で草むしりをしていたディアンが立ち上がり、周囲を見渡した。その顔は、達成感に満ちた清々しい表情をしている。ディアンの汗に日光が反射して、キラキラと輝いている。
屈強な男性教官は、ディアンのその姿を見ると、にこりと笑みを浮かべた。
ここはお助け隊の拠点前の大通り。日が昇る前にここにきたが、今はもう人の姿がぼちぼちと見える時間になっていた。街行く人は皆、わたし達には、目もくれない。
そのことを少し、寂しく感じる。
ふとディアンの方を見ると、ディアンは眉を歪めて不思議がるような顔をしながら、先程まで背後に立っていた屈強な男性教官のことを見つめていた。
「あんた、誰だっけ……」
本当にディアンはもう少し慎みを覚えたほうがいいと思う。一緒にいるわたしまでひやひやしてしまう。
わたしに対してならまだいいのだけど、教官相手とは……、と心の中でそう言った。
ディアンのその言葉を聞くなり、ヘレスさんはメガネの位置を整え、不機嫌そうな態度を表してディアンの方を向いた。見たというよりはディアンのいる方角の方へ向いたという感じだ。ヘレスさんは声を少し低くして呟いた。
「ジェラルドさんだ、ジェラルドさん。教官の名前くらい覚えておけ」
ジェラルドと呼ばれた教官は、気の良さそうな笑顔を浮かべた。
「いや、俺は試験の時にはいなかったんだし、仕方がないよ」
その笑顔は落ち着いており、褐色の肌のおかげも相まってか、ジェラルドさんにとても温かみを感じた。
「ジェラルドはそれでいいのか……」
ヘレスさんは納得のいかない様子でそう言った。
私はそこでふと、第二次試験のことを思い出した。あの時見た後ろ姿は、おそらくジェラルドさんのものだった。第一次試験を共にしたアリシアらしき人物と共に、試験会場を後にするのをわたしは目撃している。
そのことを尋ねてみることにした。わたしは立ち上がり、ジェラルドさんの近くに歩み寄る。
「そういえば、アリシアちゃんってどうなったんですか……?」
「ん」
ジェラルドさんは何かを思い出したかのように、顔をハッとさせた。恐る恐る尋ねたわたしの方を見て続ける。
「あぁ、アリシア隊員のことを知っているのか」
「第一次試験のときに一緒だったのよ」
そう言ったのはクロエさん。
「そうだったのか。もしかして、最後会場から出てくるのを見られてしまったのかな」
ジェラルドさんは気の良さそうな笑顔を浮かべたまま、表情を変えることはなかった。
「じきに会えるよ」
ジェラルドさんがそう言ったあと、クロエさんが拠点に戻ろうと提案し、ヘレスさんとジェラルドさんはそれにのった。
わたしとディアンは、三人の教官について拠点へ戻った。昨日の夜に隊員用の部屋を分け与えてもらったが、自室には戻らずに、ルキウスさんのいる長官の部屋へ向かうことになった。
「まぁ……初っ端から雑用のような仕事を任せてしまってすまない。王都の清掃員が足りていなかったものでな……。話は変わるが、君たちには本格的に"対帝国抵抗部隊"の仕事について知ってもらう」
長官の部屋で待ち構えていたルキウスさんは、部屋の奥で椅子に座っていた。わたしとディアンが長官の前に整列すると、白いヒゲで覆われた口を動かす。
「盗賊達の話について知っているか」
ルキウスさんの視線はわたしとディアンの方へ向いている。わたしは少しの心当たりはあったが、あまり詳しく知らないので、知らないという旨を伝えると、ディアンもわたしに習ってそうした。
するとルキウスさんは「そうか」と一言言い、続ける。
「最近出てきた盗賊の集団が、今王都の中で勢力を拡大しているのは王都の住民にも広く知られていることなのだが、盗賊のややこしい部分は、盗んだものの取引相手にある」
「取引相手?」
ディアンが食いつくと、ルキウスさんはにやりと笑ったが、すぐに表情を戻し話を続けた。
「帝国の闇商人のようだ。この情報は我々が秘密裏に手に入れたものなのだが、どうやらその取引は王国の郊外で行われているらしい」
「王国の中で……!? もしかして……」
私がそう呟くと、ルキウスさんは若干顔の角度を上げ目を細めた。
「心当たりでもあるのか?」
ルキウスさんにそう問われて、わたしは王都の外と、王都の中で追い剝ぎに襲われたことを思い出す。
「はい、実は……。わたしは王都の外から来たのですが、ここに来るまでに二回、追い剝ぎに襲われて……もしかしたら盗賊の仲間だったのかもって」
「追い剥ぎか。盗賊の下っ端共が王都周辺で人を襲っている話は聞いている。おそらく君が遭遇したのもそれだろう。国の憲兵と結束し我々はそいつらを殲滅するわけだが、今回、対帝国部隊に任された仕事は大仕事だ。盗賊と闇商人の取引現場をおさえる」
ルキウスさんが、少し声を大きくして言うと、わたしの隣にいたディアンが肩を揺らす。
「取引はどこでやるんですか?」
ディアンは普段より心なしか低い声で聞いた。
少し間を置いてからルキウスさんは続ける。
「王都の外、北の郊外だ」
「北の郊外……」
ディアンはなにかを思い出したような表情を見せる。
「北の郊外って、破落戸達の……」
「なんだ、知っているのか。そうだな……。まだあそこには王政の統制が行き渡っていない。治安も最悪でまさに無法地帯だ。破落戸どものせいでお助け隊もなかなか足を踏み入れることができてない」
この部屋には三人の教官もいたが、ここまで口を開くことはなかった。ルキウスさんが言い終わると、背後からヘレスさんが眼鏡の位置を整える音が聞こえる。
その音以外は、衣服の擦れ合う音と、燭台の火が燃える音が部屋の中で響いていた。
「今回、取引が行われる場所が割り出せたのは盗賊側のある出来事に関係する。それは、盗賊の棟梁の世代交代だ」
「世代交代?」
わたしが反復して聞くと、ルキウスさんは「うむ」と一言言って、尚続ける。
「理由はわかっていないが、棟梁が入れ替わったことによって内部で新しい棟梁に反発する者もいたらしい。我々はそのような盗賊と繋がりを持つことに成功した」
そこでディアンが一瞬驚いたような反応を示したが、すぐに平常を装い、神妙な面持ちでルキウスさんに問いかけた。
「こちらに加担する盗賊もいるんですか」
「そういうことになるな」
「…………」
顔を少し俯かせるディアンに対して、ルキウスさんは背を丸め、今まで椅子の肘掛を掴んでいた左手を、自らの顎をおさえるように移動させる。
「もう盗賊業からは身を引いた者達だが、やはり犯罪者達の仲間の協力は不服か?」
「いえ、大丈夫です。これも盗賊を叩くためなら」
「うむ」
ディアンの返答を聞くとルキウスさんは、白い髭の中から純白の歯をのぞかせ笑ってみせた。
「盗賊を捕らえれば、帝国の闇商人と接触できるかもしれない。王国と帝国が戦争をし、当時のお助け隊……。その名残が今の我々なのだが、彼らが休戦協定を結んでから数十年。ようやく王国が帝国からの支配構造を覆す希望がやってきたのだ」
「今、王国は帝国に支配されているんですか?」
わたしが思ったことを率直に話すと、ルキウスさんは顎を、支えていた手から少し浮かせて唖然とした表情をした。
「エレナ。もしかして君は王国の情勢について疎いな?」
「えっ」
ルキウスさんに言われたことに間違いはなかったので頷いた。ルキウスさんは両手を顎の前で組み、わたしの顔に視線を向ける。そのときルキウスさんの表情には笑顔が含まれていたが、すぐに眉が下がる。
「今から百年程前、王国と帝国が戦争をしていたのは知っているか?」
「祖母から少しだけ話は……。はい」
「当時から王国よりも広大な地を持っていた帝国は、さらに領土を広げようと隣国であるこの国を侵略しようとした。兵力でも勝っていた帝国に、王国は歯が立たなかった。しかし、王国は同時期に"超人"という存在を発見していた。超人を知らない当時の人達にしてみれば、超人はまさに人知を超えた存在であったであろう」
「超人って、昔はいなかったんですね……」
「いや、現存している文献では、古代にも超人のような存在はいたらしい。だが彼らは独自の種族形態をとっていた。"超人の血族"。名前からもわかると思うが、超人の力は血を媒体にして伝染する」
血。それが、祖母とわたしを繋いでいたものだったのか。祖母以外力が使えなかった疑問は残るが、故郷にいる祖母の血が、わたしの中にも流れていると思うと安心感があった。
「戦争をしていた頃は今ほど超人がいたわけではない。おそらく、王国が把握することのできた超人は数えられる程だ。王国は彼らを兵器として使った。王国から帝国に対しての未知の力の襲来だ。これまで帝国から侵略されていた約九割の地を、約六割まで奪還し、帝国に休戦協定を結ばせることに成功した。それが今の王国だ。対帝国抵抗部隊は、当時の超人小隊の名残だ」
ルキウスさんは真剣な表情で話してくれた。彼の口からは、祖母から聞いていなかったことも聞くことができた。
「えっと、取り返せたのが約六割ってことは……残りの三割はまだ侵略されたままなんですか?」
「ああ、そうだ。しかもそれだけではない。休戦協定を結んだと言っても、帝国の支配から完全に逃れることができたわけではない。王国は帝国に、いくつか不平等な条約を結ばせているようだ。それらを全て払拭し、本物の平和を手に入れるために身を賭して戦うのが我々の役目だ」
ルキウスさんはそこまで言い終えると、顎の前で組んでいた手を再び椅子の肘掛へと戻した。
説明を受けたディアンは真剣な表情をルキウスさんに向け、硬直している。そうしたディアンが思い出したように口を開いた。
「それで、盗賊の取引はいつ行われるんですか?」
ディアンにそう聞かれるとルキウスさんは、今度はディアンの方を見て、少しだけ眉を上げる。
「明日の深夜だ」
話が終わるとルキウスさんはわたしとディアンや教官達に、明日のために休息をとるようにと言い、わたしは長官の部屋を後にした。
地下にある長官の部屋から出て、居館の三階にある自室に入ると、長官に謁見した疲れからか、わたしはそのまま寝台へ倒れこんだ。
目を閉じると、完全な静寂がわたしを包み込む。
ディアンとは部屋が分けられているため、この部屋はわたし専用の部屋になる。
扉は施錠することもできる。この部屋の鍵はわたしが一つと、教官が非常用に一つ持っている。
目を瞑ったまま、自分の鼓動を聞いていると、緊張で高まっていたのが徐々に落ち着いてくるのがわかる。
やがて鼓動が緩やかになると、わたしはゆっくりと目を開ける。
目の前には、廊下の白色の煉瓦とは違う、優しい色合いの木目の天井がある。壁にも同じように、乳白色の木材が敷き詰められている。床には冷たい小石が隙間なく並べてあるが、その上から柔らかく白い絨毯が敷かれているので、寒さを感じることはなかった。
窓からは、透明感のある日光が差し込んでいる。
とても居心地がいいので、わたしはこの部屋をすっかり気に入ってしまった。
改めて、お助け隊のことを教えてくれた祖母には感謝しなければいけないと思う。
今では窓際に置いてある観賞用の小さなサボテンでさえ愛おしく見える。
この部屋では、明日盗賊の取引現場へ乗り込むというのが嘘のように安らぐことができた。
このまま時間がただただ過ぎていくのは惜しいため、外を歩こう。わたしは寝台へ預けた体を起こすと、まだ見ることのできていない王都の風景を見るために、わたしは部屋を後にすることにした。
黒紅梅色の扉を閉め、外側から施錠をしていると、背後から声が聞こえる。
「……もしかして、エレナちゃん……!?」
その可憐な声には聞き覚えがあった。振り返ると、やはり彼女がいる。
葡萄色の髪をして、白色の上衣を身に纏い、髪に近い色の、控えめな彼女には少し短いかな、と思わせるスカートを身につけている。
焦げ茶のブーツの隙間から見える肌は白く、透き通っていた。胸を覆う胸当ては薄く寂しかったが、胸元につけた装飾品は彼女の整った容姿を引き立てている。
また会えた。
わたしはただただ驚いて、彼女の名を呟いていた。
「アリシアちゃん……」
アリシアは、わたしの口から発せられた自身の名を聞いて微笑んでいた。
新しい教官が一人出てきましたゴリマッチョです。
もうすぐエレナちゃん達の、お助け隊としての本当の仕事がはじまります。