第15話 「適正」
「これより、今回の適性判断最後の試合を執り行う。両者とも、準備はいいか」
そう言ったのはメガネをかけた赤髪の男性、第二次試験を受け持つ教官であるヘレスさんだ。
第二次試験では能力を使った試合を行う。
伝えられたのは、試験の合否は試合の勝敗ではなく、戦い方を見て判断するということ。
第一次試験は難なく合格したわたしだが、今回の試験は不安でしかなかった。
今までの人生でわたしは戦ったことがあるか? 少なくとも記憶にはない。
わたしの記憶力が乏しいだけだとしたら、もしかしたら過去は戦闘狂だったのかもしれない。
だとすれば少しはからだが覚えているのだろうが、当然そんなことはない。
故郷が平和すぎたのだ。
唯一"あの夜"を除いて。
忌々しい記憶を思い出して嫌な気分になりたくないので、回想はしない。
そんなことより、第二次試験で他の志願者達が戦火を散らしている側で、ディアンが戦い方を教えてくれたような気がするが、今から戦うと思ったら、緊張ですべて吹っ飛んでしまった。
ごめんなさい、ディアン。
「おい、赤いの。準備はいいのか聞いているんだ」
「へっ!? わたしですか?」
気がつくと、ヘレスさんは呆れ顔でわたしの方を見ていた。
見ていたというよりは視線をこちらに向けていたと言ったほうが正しいかもしれない。
この男は今「赤いの」と言ったが自分も赤髪だろ。そう言ってやりたかったが言える筈もないので堪える。
「は、はい! 大丈夫です」
そう言っても、ヘレスさんはこちらに視線を向けたまま、表情を変えない。
すると今度は、わたしの横に立っている淡い髪色が揺れるのが視界に入った。
「本当に大丈夫か?」
先程のわたしの声が若干裏返ってしまったことには触れずに、ディアンは心配そうな顔をこちらに向けている。
わたしが足を引っ張ることになったらディアンに申し訳ない。
わたしは自身の中にある不安をディアンに悟られないように、なるべく調子のいい声で返す。
「ディアン、助けてください」
ディアンはお得意の「はは」という笑い方をした。いや、顔は苦笑いを浮かべていたが。
「俺がもう続ける必要はないと思った時点で、試験は終了させてもらう。まぁそれまで、俺の印象に残るよう、せいぜい頑張ってくれ。応援するつもりは毛頭ないがな」
いちいちはなにつく喋り方をする教官だ。そんな嫌味な彼の「初め」という声によって、戦闘は開始された。
今まで関心になかったが、改めて対戦相手の方を見るると、そこには高身長の、外套を深く被った、骨格から察するに男性が2人、立っていた。
わたしやディアンよりもひとまわり大きい彼らの顔は、深く被られた外套により表情をうかがうことができなかったが、その目はこちらを見下していることはここからでも十分感じ取れる。
教官に戦闘開始が告げられてからものの数分が経ったように感じるが両者とも、動く気配はなかった。
今動いたら確実に返り討ちにあう。そういう確信があった。
「さっき言ったことをよく思い出せ。いいな」
ディアンはわたしに向けて言ったのだろうが、依然わたしに背を向けたままだ。
凍りついた空気が背中を突き刺すようだ。
その頃には、ざわつく群衆から、神経は切り離されていた。
次の瞬間。
ディアンと、ディアンの正面に立っていた方の男が、目の前の標的めがけて駈け出す。
わたしがそれに視線を奪われると、今度はわたし側に立っていた男が動き出す。
後者の男はどこへ向かっている。紛れもなく、わたしだ。わたしの方へ向かってきている。
今この瞬間、数秒が長く引き伸ばされている感覚を味わっている。これが戦うということか。
そんなことを考えている暇もなく、視界の右端で空気が炸裂した。ディアンの能力だろうが、そちらに気を向けていれば、わたしがやられてしまう。今回ばかりは、ディアンに助けてもらうわけにはいかない。
わたしが後ずさりをすると、目の前の男は床を強く蹴ることで、わたしとの距離を一気に詰めた。
やばい。
男の勢いに押されて仰け反り姿勢を崩してしまうわたしに、男は強く握りしめた右の拳で第一撃を放った。
その拳は咄嗟に発動した炎をもろともせず、わたしの腹部へと潜り込む。
「うぐ……ッ」
瞬間。衝撃と共に強い吐き気がこみあげる。わたしは口を押さえながら、精一杯の出力の炎で男を薙ぎはらう。
すると男は前進を止め、体制を持ち直した。
「エレナーー!」
わたしが炎を放出しながら後退していく最中に、男は横からの攻撃に仰け反る。
「俺もいることを忘れるなよ」
ディアンだ。ディアンの真っ直ぐに伸びた脚が、まるで突き刺さんばかりに男を襲う。
炎を消して右前方を見ると、ディアンの相手をしていた男が吹き飛ばされるのが確認できた。
やっぱりディアンは強いんだな。戦闘の真っ最中だが、そんな安心感を覚えてしまう。
しかし、だからと言って気を緩めるわけにはいかない。わたしは男との距離を再度縮めると、ディアンとは逆方向から、炎で男の退路をたった。
わたしの能力じゃ、せいぜい足止め程度が精一杯だろうが。
そのとき、ディアンが吹っ飛ばした方の男の声が響く。
「サイモンーー! 能力を使っていいぞ!」
サイモンと呼ばれた高身長の男は、身を大きく翻し、ディアンの蹴りを受け流した。
ディアンがわたしの方へ飛び込んでくる。ディアンはわたしの目の前の空中で方向転換した。
空気が振動している。ディアンの能力にはこういう使い方もあるのか。
わたしが感心していると、サイモンは自身の頭部を包み込む外套を剥ぎとった。
色素の薄い頭髪に白い肌。切れ長の目はわたし達を見ている。
サイモンの気迫に押されたのか、わたしとディアンは動くことができない。
「俺はそこにはいない」
眼前には第二次試験会場の白い床があった。
背中が熱い。なにがあったのかわからない。
「攻撃を受けた……!?」
わたしは先程ディアンに吹っ飛ばされた男の方を見たが、彼は着地点に立っており、そこから動いていないようだった。
「じゃあ誰が……」
わたしはふとディアンの方を見ると、ディアンも同じく動揺した様子だった。
「ディアン……?」
「エレナ、気をつけろ。もう一人いる」
「なに言って────」
そこまで言いかけると、大きく視界が揺れた。遅れて肋骨に、鋭利な痛みが走る。
わたしは宙に浮いている。慌てて足場を探そうとするが足に触れるものが見つからない。
そのまま、わたしは呆気なく床に衝突し、転がった。突然の出来事に、わたしは僅か一瞬、呼吸の仕方を忘れてしまったようで、喉が詰まる。
直後、からだの中にあった空気が全部放出される。
「かはッ。……なにが……あったの……?」
「エレナ! どこから来るかわからない! 起き上がれ、攻撃に備え」
ディアンの声が途切れたと思うと、ディアンは床に崩れ落ちていた。
「ディアン! ディアンも攻撃を受けたの? まさかあの男の力……」
対戦相手の男の方を見てそう言うが、男は怪しい動きはしていない。
わたしと目が合った瞬間、男はディアンの方へ走り出した。
ディアンが起き上がろうとしている姿の前に、全体的に色素の薄い切れ長の目をした男が立っていた。
思い出した。
サイモンだ、サイモンは捨て台詞を吐いた後、わたし達の意識の中から完全に消えていた。
おそらく、それが彼の超人の力。
「お前達は錯覚した」
気づけば、ディアンの元には、先程彼が吹っ飛ばした男がいた。
サイモンはひれ伏すわたしを背に、ディアンと男の方へゆっくりと歩いて行った。
そんなサイモンの後ろ姿を見てわたしは、この上ない屈辱を覚える。
「どうやら残るはお前だけのようだな、ディアン」
男の声がする。何故ディアンの名前を知っている。
ディアンも同じことを思ったらしい。
「どうして俺の名を……?」
「久しぶりじゃないか。俺のこと忘れちまったのか?」
空気が振動し始めた。
男に距離を詰められたディアンが、能力を発動させようとしているのだろう。
しかしそんなことは御構い無しに、相手の2人はディアンに向かってゆっくり歩いていく。
「久しぶりだよ。久しぶり。お前はいつまでも変わらないな。ディアン。俺だよ」
そう言った男は、サイモンと同じく外套を剥ぎ取る。
男の素顔を見たディアンは、驚愕というか今にも泣き出してしまいそうな子供のような表情を浮かべていた。
しかし、そんな表情もすぐに憤怒の炎に塗り替えられる。
「何しにここに来た」
ディアンの声は、怒りによるものなのか震えていた。
しかし、なおも男は態度を変えずに、落ち着いた様子で、まるで何かを懐かしむようでいた。
「なにしにって、人助けをしに来たんだよ。あの時みたいにな」
男が落ち着いた口調で言おうとも、ディアンの怒りが静まることはなかった。
「ふざけるなよ」
空気の振動はだんだん大きくなり、振動はわたしの服を揺らした。
「お前がしたことは人助けなんかじゃない!! お前が死なせたんだ! お前が!」
ディアンの周囲の球体状の空間が歪む。次の瞬間、わたしを衝撃が包み込む。
衝撃は床を削り、破片は肌をきる。
「あのままじゃみんな死んでいたし、ああするしかなかったんだ。お前のおじいさんが死んだのは仕方がないことだったんだよ」
ディアンの祖父。おそらくディアンがお助け隊を志すようになった要因になった人だ。
となると男はディアンの古い知人ということか。
男とサイモンはディアンの能力を喰らっているにもかかわらず、動じていない様子だった。明らかに傷は負っているようだったが。
「スペンサーが俺を助ける必要はなかったんだ! 俺も戦っていればなにか変わっていたかもしれないじゃねえか」
どうやら男の名はスペンサーというらしい。
能力を弱めないディアンにわたしは少しの心配を感じていた。
ディアンの能力は決して弱くないと思う。
あんなものをまともに喰らえばどれだけ強靭な肉体を持っていたとしてもひとたまりもないだろう。
しかし、そんなわたしの心配を汲み取ったのかはわからないが、ディアンの能力による衝撃が消えた。
「余所見しすぎなんだよ」
そう言ったのはサイモンだ。
またサイモンが能力を使ったのだろうか。
ディアンは地面にひれ伏しているのが見える。
「もういい。十分だ」
ふとヘレスさんの声が聞こえる。久しぶりに聞いたように思えるその声は、戦闘終了の旨を告げていた。
「エレナ、ディアンペア」
どうすることもできず、唖然とするわたし達をよそにヘレスさんは淡々と読み上げた。
「適正なしだ」
外套を血で滲ませたスペンサーが、不敵に笑っていたような気もするが、よく覚えていない。
お助け隊の拠点の外には、青く澄んだ空がそこにあった。
数時間後。
夕焼けが歩いていくわたし達の背中を照らす。
日中は白色の王都が一面夕焼け色に染る景色は、実に絶景だった。
ディアンには迷惑をかけまいとしていたが、お婆ちゃんとの約束を守れなかったことが、お婆ちゃんを裏切ってしまったように思えて悲しくなる。どうしようもない程に。
「ごめんね……ごめん……ごめっ……。ごめんね……」
堪えようとしても涙が溢れ出てくる。嗚咽を押し殺しながら歩くわたしを、たようにディアンは優しく包み込むようにして抱いた。
振り払う元気など今のわたしには残っておらず、わたしはディアンの腕の中で泣いた。
それから、数人の男性がわたし達に追いついたのは何分後のことだろうか。
紋章を胸につけた彼らはどうやらお助け隊の隊員のようだ。
わたしは咄嗟に泣きはらした目を隠す。
「エレナ様とディアン様ですね。一緒に来てください。国家安全保障支援部隊、長官より直々に話があるとの言伝を承りまして、参りました」
「お助け隊長官……!?」
隊員から告げられた言葉にわたし達は藁にもすがる思いで、彼らについていくことにした。
今回長めです。次回、ようやく物語が動き始める予感。