その6:おべんきょうもできるわたし
学園は、鉄壁の壁に阻まれて存在している、らしいよ。伝聞だから、よく分かんないお。
わたしは学園から出た事ないから、学園の外には街があるくらいしか知らない。セラくんも月に一回くらいにツィオーネ教授と一緒に街に買い物に行くくらいで、行動範囲は学園内が基本。
ここに来た時は、わたしは寝てたから街の外もよく知らない。起きたら、学園の寮のセラくんの部屋にいたし。
学園はおべんきょうの為にあって、遊ぶ場所じゃない。分かってる。
人間には身分があって、セラくんはへいみん。わたしは……へいスライム?
ジョイノくんは中流家庭で、リュオくんはー、きぞく? らしい。
この学園におべんきょうに来る人間には、身分は関係なくて、魔力の才能が関係してるんだって。稀有な才能らしいよ。鉄壁の壁は、才能ある生徒達を守るためにあるんだよ。よく分かんないねー。魔物が食べに来ると思ってるのかなー。わたし達は近寄らないと魔力を感知できないから、そんなに鉄壁しなくてもだいじょーぶだよー。
『ニンゲン、アクイ、アブナイ』
黒スライム先輩が、わたしの身体を触手でピコピコしながら言う。このピコピコは上位スライムの、下位スライムへの身体検査だお。スライムは縦社会なんだよー。学園にいるスライムはみーんな、黒スライム先輩の、えっと、舎弟? なんだよ。舎弟の健康管理も上位スライムのお仕事なんだって。
『マモノ、ト、ニンゲン、チガウ。ニンゲン、アクイ、ドウゾク、オトシイレル』
つまり、人間、面倒臭い、と。
鉄壁が無いと駄目なくらい、人間社会はふくざつかいきなんだね。
魔物は食うか食われるか、人間と生きる事を選ぶかくらいしかないのにね。
今日のわたしはおべんきょうモードである。あまりにも人間社会を理解していないわたしに、黒スライム先輩が危機感を覚えたらしく、強制的に自由時間が無くなっちゃった。クッキーさんとはサヨナラだお。
取りあえず、この学園は最高峰の学府で、ここに通う人間達はヒエラルキーの頂点に近い、と。頭破裂しそう。
主体魔力の意味も理解していないからと、黒スライム先輩は鬼教官と化した。
主体魔力は主体魔力だと思うの。
人間には無い主体魔力は、魔物や動物達の生命線で、これが枯渇しちゃうと死んじゃうし、変容しちゃうとわたしがわたしでなくなっちゃう。主体魔力は人間で言う血液みたいな流れで、心臓でもあるんだよー。
人間だって、血液が無くなれば死んじゃうでしょー? そんな感じ?
分かりやすく言えば、白スライムの主体魔力は、治癒系の白魔法。でも主体魔力が攻撃系の黒魔法になったら、それは黒スライムだ。白スライムは白スライムなんだから、黒スライムにはなれない。黒スライムになれないなら、死ぬしかない。跡形もなく消えちゃう。
この点、人間は楽だ。主体魔力ではなく、複数の属性魔力を体内に持つから、多少変動があってもびくともしない。得意な魔法が変わるだけ。ただし、魔力が枯渇すれば廃人になっちゃうらしい。廃人になった人を見た事ないから、よく分かんないけどねー。
『トニカク、オマエ、タベモノ、キヲツケル、スル』
黒スライム先輩の心配も分かるから、ぴょんぴょん跳ねて了解した。
空スライムの主体魔力は、『空っぽ』だもんね。他のスライムと違って要注意なんだお。
でももう、頭がぱーんするー。
この国のせいじたいせいとか、しょがいこくとか、よく分かんないー。
へちょりと地面に張り付いたわたしに、何となく黒スライム先輩が呆れた気がした。失敬な! スライムに人間社会なんて理解出来ないのー! 黒スライム先輩が特別なのー。
何とか鬼教官から解放されて、自由への脱出を果たしたわたしは、へにょへにょと床を這いずった。もう、精も根も尽き果てたー。チョコチップクッキー様を食べたいおー。
人間みたいに泣けないから、動きで悲しみを表現しつつ、向かうはセラくんのいる中庭。セラくん、委員会中だけど誰かひとりくらいお菓子を持ってると思うのー。
委員長さんが、南のヴェノラ産のしょこらが近々輸入されるとか言ってたし、いつかしょこらさんも食べられるのかなあ。しょこらさんはどんなお菓子だろー。
副委員長さんは、北のクルベンの焼き菓子は、寒すぎるかんきょうを乗り切るためにえいようかが高すぎて乙女の敵とか言ってたー。乙女の敵は美味しいですかー。
海を超えた東の小国の干菓子が、独特とも言ってたー。誰かわたしにくーださーい。
西の海上都市は、お酒が使われたお菓子が大人に人気なんだって。何でも船乗りがたくさん居るから、酒場で提供されたのが始まりなんだって。でもわたしには合わないらしいから興味なーい。
航路の問題で、日保ちしないお菓子はこっちに出店してもらわないと食べられないお。悲しいねー。
東の小国は、他国への渡航には気象じじょーも含めて消極的だから、干菓子以外は輸入できなくて絶望的なんだよー。
お菓子さんのことを考えてたら、余計にお腹すいてきたー。もうおべんきょーしたくなーい。
国は百カ国あるらしいし、それぞれの地域の特色に合ったお菓子がたーくさんあるんだよ。ぜんぶたべたーい。
そう言えば面白いお菓子があるんだよ。
小麦粉をこねてぐるぐる巻いて、中にコリコリした無味の豆を入れて油で揚げたお菓子に、ここあぱうだーをかけたのとか、この間食べたけど美味しかったおー。
昔海賊さんがながーい航海の後に、新鮮なミルクと一緒に食べてたんだって。日保ちしないお菓子を食べる事で、無事の帰還を祝う意味があったって、ツィオーネ教授が言ってた。生菓子の方が日保ちしないけど、生菓子は当時はきぞくのものだったから、へいみん仕様になってたらしいよ。
で、このお菓子だけは世界各国にあって、お菓子の名前が一定してないのも面白いの。
この学園のある街だと『エン・シュガリアン』で、『エン』は、この国では否定の意味。『シュガリアン』は『軍国主義』だよ。言葉は悪くなるけど『くそったれの軍国主義』だって、ジョイノくんが教えてくれたお。
発祥の海賊さん達だと、『ジ・ガッツォーレ』で、意味は『腰抜け海軍』だよ。
祝う意味を皮肉に使って、否定と敵の名前で表すのがどこの国でも主流なんだって。敵を食べてお祝いって、とってもわたし達流で分かりやすーい。
でも、しゅーきょー国家の神聖教国はダメだよ。『フィル・トゥルエリル』って言うから。『フィル』は死者への手向けの意味を籠めた言葉で、『トゥルエリル』は造語。
神聖教国では魔物の事を『ディルエビル』と言って、そのまま使うのは良くないと言う事で、神聖音とされる清音に置き換えて、『トゥルエリル』と。
意味はすごーくきれいな言葉にしてあって、『堕とされた赤子に救いの調べを』だって。つまり、『神の名の元に無知な魔物に死を』なんでしょー。分かるよそれくらい! こわい! しゅーきょー国家こわいー!
この学園では唯一、神聖教国の人間だけは入学出来ないんだよ。親戚に一人でもいる人もアウトー。唯一のこっこー断絶している国が神聖教国。
わたしも、セラくん達から神聖教国由来の物には絶対近付いちゃダメって言われてる。『エン・シュガリアン』も『ジ・ガッツォーレ』も食べて良いけど、『フィル・トゥルエリル』は食べちゃダメなんだよ。一口でアウトだから。わたし、しゅーりょーだから。
神聖教国のお菓子なんか食べたら、主体魔力変容どころじゃすまないもんねー。
しゅーきょーと魔法は相入れない、なっがーい歴史があるんだよー。魔物と魔力の強い人間を同列にあつかってる時点で、神聖教国は頭がかたいお。
聖人とか呼ばれてる人間にだって魔力あるくせに、聖別された力だからなんだとか言って別物あつかいだし!
人間面倒臭い! しゅーきょー家は、もおおおっと面倒臭い!
ぷりぷり進むと、ぽろんとわたしは転がった。障害物にぶつかっちゃった。恥ずかしー!
て、あれー? 障害物は知っている人だったー。
白スライムの契約してるジョナサン先輩だー。うっす! ジョナサン先輩うっす!
「……あれ、君は」
何故か、ジョナサン先輩は膝を抱えて座り込んでた。ここ、廊下のすみっこだよー。風邪引くよ。心なしか、いつも付けてるうさぎのお面もくたびれて見える。なんだいなんだい、人参切れかいうさぎさん。
「……セラ君は一緒じゃないんだね」
何を仰るか。基本的にほーろー中のわたしは孤高ですお。そう言うジョナサン先輩も白スライムと一緒じゃないじゃないですかやだー。
ぴょこぴょことジョナサン先輩の周りを蠢いていると、ジョナサン先輩の掌にひょいと乗せられた。
「君は、《空》なんだよね……」
ジョナサン先輩の言葉に、わたしの身体がぴんと伸びて、慌ててジョナサン先輩が「あ、違う。違うんだ」と訂正した。
うう、背中がぞわぞわしたおー。
「そう言う意味じゃないんだ。大丈夫、僕達は君を壊したりしないから。そう言う話じゃなくて、そう言うのじゃなくて……」
徐々にジョナサン先輩の声は小さくなっていく。泣き出す一歩手前の声。今にも消えてしまいそう。声も心も身体も。優しくわたしの身体を撫でて、ぽつりぽつりと言葉を落としていく。
「……空になってしまえれば、僕も、アイリーンも、静かに、暮らしていけたのかな……?」
きっと人間の持つ心と、わたし達魔物の心は全く違う。
わたしはセラくんとおかあさんに育てられたから、人間に近い魔物だと思うけど、でも自分が人間だと思ったことは一度もない。
使い魔は主人がいるから人間に寄り添って生きていけるけど、根本の部分は相容れない。そう言ってた。こわいひと達が。
じゃあ、なんでわたしの中の何かが、きゅうっとなるんだろうね。こんぽんってなんだろうね。ジョナサン先輩が苦しいって、そう思ってること、ちゃんと分かるよ。
わたしとセラくんと同じだねって、分かるよ。
ジョナサン先輩はうさぎの向こうでどんな顔をしているのか、わたしには分からない。
でも、にょにょにょと触手を伸ばして、ぺとぺととジョナサン先輩の頭を撫でた。撫でてくれたお返しだお。
「……ありがとう」
うさぎの向こうで微かな吐息がした。笑ったのかもしれない。
こわいひと達が言ったみたいに、魔物は人間とは違う。でも、わたし達は単純だから、素直だから、そんなむずかしいお話、知ったことじゃないお。
目の前で知ってるひとが泣いてて、苦しんでいたら、触手の一本や二本くらいいくらでも貸すよ。何なら、一本切り落としてお守りにしちゃう? ずばばんといっとく? いいよいいよ、あげるよ。また生えてくるから、あげちゃうよー。
「それは、良いよ」
何か察したらしいジョナサン先輩に止められた。ちぇー。人助けみっしょん、こんぷりぃと成らず。
ジョナサン先輩はその後、「アイリーンを迎えに行かなくちゃ」と言って去って行った。あの悲愴感は無くなったけど、きっと、押し隠したんだと思う。セラくんと一緒。
ジョナサン先輩は、ああやって白スライムに隠れて泣いたりしてたのかな。セラくんもそうだったりするのかな。やだな。なんか、やだな。
セラくんに会いたくなって、わたしは先を急いだ。
あれ、ところでジョナサン先輩が白スライムを「迎え」に行くって、どこにだろ? 迎えに行くんなら、誰かに預かって貰ってる?
んんん? なんだか、嫌な予感がする。むしろ、悪寒の域。
あれれ? そう言えば、今の時期ってーー
「ああ、ここに居た」
セラくんの声がして、わたしはぴょこんと跳び跳ねてセラくんを探した。飛び付くためにじゃなくて、逃げるためだ。
が、遅かった。
いつの間にか背後に回ったセラくんにむんずと、わたしのぽにゅぽにゅぼでぃが掴まれていたのだ!
「良かったね。アイリーンが大人しかったから、早めに接種受けられるって」
珍しく、本当に珍しく微笑むセラくんに、ないはずの背中がぞわぞわした。
お、おちゅうしゃ、ヤーーーッッ!