その16:セラくんと、空(2)
きゅっ、きゅっ、リズミカルに布が動く。
なんにも出来ないわたしは、それを視覚センサーで追う。みぎ、ひだり、みぎ。うむ。きそくてき。
男の子ーーセラくんに核が拾われてから、もう一月が経つ。わたしの扱いは「拾った綺麗な石」として、丁寧なものであるよ。今も磨かれてるからね。
生まれて一月。最初はなんにも考えたり出来なかったわたしだけど、それなりに分かってきた現状に、わたしは満足しているお。
なんせこのセラくん、魔力を持ってるんだよー。にんげんも魔力を持ってるんだね。びっくり。初めて会った時にセラくんから流れ込んできた温かい何かは、魔力だったんだよ。
「ふふふ」
なにか楽しいことがあったのか、ご機嫌でセラくんは鼻歌交じりにわたしを磨いている。いいなー。楽しそうなのいいなー。わたしもなにか楽しいことしたーい。転がるとか? 自分では動けないのがくやまれる。
セラくんはわたしがお気に入りらしく、どこに行くにもわたしをズボンのぽっけに入れて持ち歩く。そのおかげでわたしにセラくんの魔力が流れ込んで、少しはしこう出来るようになったんだよ。魔物のえいようは魔力だからね。わたし、せいちょーしてるね! えらい? まだ核だけど。
この一月で分かったこと。セラくんは、おかあさんと二人暮らしで、スライムから見たら大きなお家に住んでるんだお。迷子になる自信あるよ! スライムちいちゃいからね! 核のわたしには関係ないけども。
「……よし、おーわり!」
セラくんはそう言うと布をテーブルに置いて、座っていた椅子から立ち上がった。わたしはそのままズボンのぽっけに入れられたお。毎日のしゅうかん。
「お母さん、遊びに行ってくる」
「夕暮れまでには帰って来るのよ? あまり遠くには行かないでね」
「はあい」
ぽっけの中だから音声のみ。おかあさんの優しい声に、セラくんは弾んだ声で返してる。
おかあさんに触れられた回数は少ないけど、おかあさんも魔力を持ってるんだよ。セラくんの方がずっと多いけど。そこが不思議。魔物は基本的に親の方が魔力が多いんだよ。幼体は親より弱いのが当たり前なのに、にんげんの子どもであるセラくんはおかあさんより魔力が多い。なんで? わかんない。にんげん、不思議。
にんげんは、セラくんとおかあさん、それとたまに会うセラくんのともだちしか知らないから、まだよく分からないことの方が多い。セラくんのともだちも魔力を持ってるのかな。セラくんはともだちにわたしを見せたことが無いから、分かんないお。触られれば魔力があるかどうか分かるんだけどね。にんげんはみんな魔力持ってるのかな。だったら、魔物とおんなじだね。わたしとおそろいー。きゃー!
セラくんはお外に出ると、ごそごそと何かを探った。
多分、釣竿とバケツを探してるんだと思う。一月も一緒にいれば色々と行動パターンも分かってくるお。ぽっけの中からだとなんにも見えないから、全部すいそくだけど。
釣竿と言うことは、今日はともだちとは遊ばないのかな。セラくんが釣りに行く時はたいてい一人なんだよ。
カチャカチャと音がして、再びセラくんが歩き出した。行き先は近くの小川かな。ぽっけから出されたことがほとんどないから、小川を見たことはないんだけどね。いいのいいの。ぽっけに入れられてても、セラくんの魔力にうっとり出来れば幸せだからね。
小川に着くと、セラくんは早速釣りを始めた。
こうなるとわたしは大層暇である。
暇であるから、現状整理でもしてみようと思う。あれ、なんかかっこいい!
核であるわたしは、今はなんにも出来ない。じりつ行動は不可能なのである。しこうすることしか出来ないお。
セラくんとは意思の疎通は出来ていない。セラくんの中では、わたしは綺麗な石である。綺麗な、と言うところがポイントだね。わたし、きれー。
セラくんからの魔力の供給のおかげで、わたしは自我を持てた。それまではただの石ころである。
魔物としての本能と、魔物に備わる知識もちゃんと目覚めてくれた。セラくん、ありがとうー!
で、その本能で分かったことは、セラくんとは会話が出来ないと言うこと。
魔物は魔物語を話すんだけど、音としてにんしきはしないんだよ。魔力を介して意思の疎通を図るの。
セラくんやおかあさんは魔力を持ってるから、何を話しているかは魔力を介してわたしには分かるんだけど、セラくん達は魔力を介して会話をすることが出来ないから、わたしが何を言ってるかは理解出来ないの。ざんねん。にんげんは不便だね。
だから、いまだにわたしは石扱いなのだよ。
「やった! 釣れた!」
はしゃぐセラくんの声に、わたしはしょんぼりする。セラくんと一緒に遊びたいなー。楽しそう。
セラくんの魔力をもらっているせいか、わたしはセラくんに対する警戒心だとか敵がい心だとかはみじんもない。
今はただの石ころでしかないわたしなのに、セラくんは大切にしてくれてる。嫌えと言うほうが難しいお。
あーあー、せめて動けたら良かったのにー。世の中ままならないお。
しかし、わたしのその願いはすぐに叶うのだった。
「うわあああっ!」
翌朝、わたしはセラくんの悲鳴に起こされた。核でもちゃんと眠るんだよ。
なになにー。セラくん、どうしたのー。
寝ぼけた状態で、わたしはセラくんを探して身体を起こした。そう、起こしたのだ。
あれ、あれれ。なんか身体がおかしいお。
視界には、籠が見える。セラくんはいつも机の上に置いた籠の中にわたしをしまっていて、それが見えるのはおかしいことじゃない。おかしいのは、その視界の高さ。
あれ、あれれ。あれれ。なんか、いつもと違う。
セラくーん。おめめ見開いてどうしたのー。
ずるりと、わたしの身体が動いた。動いちゃった!
「す、スライム……」
セラくんがぽつりと呟いた。わたしから視線が外れない。
そう。そうなの! ふおおお! 身体がある! スライムの身体が出来ちゃってる! びっくり! 昨日までは核しかなかったんだよー! わたし、ばくたんだお! もしかして、セラくんの魔力をもらってたから? だから、わたしばくたんしたの?
感激するわたしをよそに、セラくんは恐る恐るわたしに近づいてきた。もっとだいたんに来てもいいんだよー。
セラくんは、まず、おずおずとわたしを人差し指でつっついた。ぷるんとなる。ほほう。スライムの身体はぷにぷにぼでぃなんだね! 知識はあっても、実感はなかったから、我ながらふっしぎーな感触ー。
セラくん、たんのうしてるかい?
「……か、噛みつかない?」
ま! スライムに歯はなくってよ! それ以前にわたしがセラくんを噛むなんてあり得ないお。ぷんすこぷん。
抗議しつつ、セラくんの指に短い触手を巻きつけ……られないから、触れてみた。赤ちゃんスライムの触手、短いー。不便ー。
セラくんは、びくりと震えたけど、わたしの触手をはね除けることはなかった。触れ合ったまま、時間が流れていく。
わたしがセラくんに危害をくわえないと分かってもらえたのか、セラくんはゆっくりとわたしを両手で持ち上げてくれた。セラくんの手は、セラくんの魔力とおんなじで、あったかだね。
「き、きみは、あの石、から生まれたの?」
ちょっと違うお。元々核はわたし自身だから、すでに生まれてたんだよ。伝わんないもどかしさー。だけど、セラくんはセラくんで何か納得したらしく、徐々に表情から緊張が消えていく。
「そっかぁ、生まれたんだ……」
じわじわと笑顔を浮かべて、セラくんはそっとわたしを撫でてくれた。瞬間、わたしの中の何かが膨れ上がって爆発した。
小さな触手を何本も下に生やして、一気にばびゅんと跳び跳ねると、セラくんの顔面に飛びかかった。
「うわあっ」
悲鳴を上げるセラくんの顔にぽにょんと張り付くと、すりすりと身体全体で甘える。ずっと我慢してたんだおー!
「いた……くないけど、つめたいよ。くすぐったい!」
かまうものか、かまうものかー! 赤ちゃんスライムは温もりにうえてるんだよー! セラくん、かくごー!
「セラ? どうしたの」
優しい声と共におかあさんがセラくんのお部屋に入ってきた。
そして、くすぐったそうに身をよじるセラくんと、顔面に張り付くわたしを見て、おめめを見開いた。おかあさん、おはよー。
「あら、あらあら、もしかして、空スライム……?」
空スライム。そう、わたしは空スライム。スライム界最弱の空スライムさまなのだよ。びっくりしたかい、おかあさん!
おかあさんは最初は警戒したみたいだけど、わたしが空スライムだと分かると、すぐに警戒を解いてくれたみたい。空スライム弱いもんね。にんげんの幼児にだって勝てないもんね。いいの、いいの。愛でてくれればそれでいいの。最弱でもかまわないお。
セラくんはぷにょりとわたしを剥がすと、興奮した様子でおかあさんを振り返った。ほっぺたまっかだお。
「おかあさん、この子、うちの子にしてもいいでしょ」
おかあさんが反対しないと信じてる様子のセラくんに、おかあさんは苦笑した。
おかあさん、おかあさん、わたし、ここの子になってもいいー? だめ? 野生にかえされちゃう?
わたしも期待のまなざし……おめめないけど、期待をこめて視覚範囲をおかあさんに固定した。
おかあさんは、わたしとセラくんを見比べたあと、静かに嘆息する。仕方ないなあ、みたいな顔で。
「……ちゃんと、お世話出来る?」
「できるよ!」
即答するセラくんに近づいて、おかあさんはセラくんの頭をそっと撫でた。
「ただのお世話じゃ、だめよ? ちゃんと、家族として、愛情を持って一緒に暮らすの」
「あいじょう……?」
セラくんが首をかしげた。わたしも真似して身体をかしげたら、ころんと転がった。失敗失敗。
幼いセラくんとわたしには、おかあさんのお話はちょっと難しいお。
「そう、愛情。お母さんがセラを愛してる様に、セラもこの子を愛するの。出来る?」
おかあさんは、真摯にセラくんに語りかける。セラくんも真面目な顔になって、わたしをじっと見つめた。わたしも見つめ返す。セラくんからはもう興奮は消えていた。
セラくんの手が、わたしを撫でる。やがて真剣な表情で、セラくんは顔を上げておかあさんを見た。
「……できるよ! ぼく、家族としてこの子をあいして、たいせつにするよ!」
わたしも! わたしも、セラくんをあいして甘えるよー!
おかあさんは、セラくんの答えに優しい笑顔を浮かべた。
「そう。だったら、この子は今日からうちの子ね」
セラくんの表情がぱあっと輝いて明るくなった。
「ありがとう! おかあさん、だいすき!」
「わたしもセラが大好きよ」
セラくんはおかあさんの言葉にはにかんだ笑顔になって、わたしを見下ろした。そして、目線の高さまでわたしを持ち上げる。
「今日からぼく達は家族だよ!」
かぞく! わたしたち、かぞく!
わたしは小さくぴょんこぴょんこと跳ねて、喜びを表現した。
最弱の空スライムは、こうしてにんげんのかぞくを得たのだった。わたし、しあわせもの!