その15:セラくんと、空(1)
うつらうつらと、舟を漕ぎながらもわたしは懸命に起きようと努力する。舟漕いでるように見えなくても、スライム的に漕いでるんだお。
魔物も人間と同じでちゃんと寝るんだよー。アイドルスライムとしては、寝不足はたいてきなんだお。
でもまだ寝ないのー。セラくんが起きてるからね。
今わたしはセラくんの部屋の机の上に置かれた籠の中にいるんだよ。ふかふかのタオルが敷かれてて快適ー。その分襲いかかる眠気も半端ないお。むふん、負けない。
セラくんはと言うと、机に向かってお勉強ちゅー。よしゅうと言うやつだね。毎晩やってるセラくんはすっごーいのだよ。さっすがセラくん!
学園の寮は一人部屋だから、相部屋のおのこに迷惑をかける事なく自由に過ごせるんだお。わたしがびゅんびゅん跳んでも、セラくんにぐわしっされるだけで済むの。ぐわしっはご不満ですけどもー。
寮の部屋の広さは、へいスライムのわたしから見たら、一人部屋としては十分な広さがあると思う。学園、ふとっぱらー。
カリカリとペンの走る音が一定で、それを聞いてると眠気が猛威をふるってくるから、視覚範囲をぐるぐる回して眠気を追っ払う。頑張るわたし、素敵? 可愛い? 誉めてもらえる?
視覚範囲をずらすと、セラくんの綺麗な横顔が見える。セラくん、素敵。かっこいー! ひゅー!
「……」
お。おおお。セラくんの手が止まった。じっとセラくんを見つめていると、セラくんの顔がわたしの方を向く。わたしはぴょんっと跳び跳ねた。
なになにー、セラくーん。遊んでくれるのー?
わくわくしながら、セラくんの近くに行こうとしたら、掌で押し止められましたー。なんでー。
ぷにょりと、セラくんの掌がわたしの上を滑っていく。ん? おお? こ、これは!
セラくんに撫でられているおーーー!
ぷにょりぷにゃりとセラくんの掌の動きに合わせて、わたしの身体も形を変える。
ほあー、セラくんに撫でられるなんて久々ー。しあわせー。うっとり。
ちらりと見上げたセラくんの顔はいつも通り無表情だけど、その瞳はすごーく優しい。
ああ、セラくんのその瞳、わたし大好きなんだよ。すごく、たくさん、いっぱい大好きーーー!
「……僕に付き合う必要はないから、もうお眠り」
優しいセラくんの声。おお、わたしがおねむなのバレてましたかー。バレバレ?
優しく撫でられて、セラくんの温かい掌にわたしの眠気がまたじわじわと襲いかかってくる。うぬ。今度ばかりは負けてやろうだお。セラくんのなでなで好きー。
ふかふかのタオルに埋もれて、わたしの視覚範囲もだんだん狭まっていく。
セラくーん。わたしが寝ちゃっても、まだなでなでしててね。良い夢見られそう。
ぷふん。セラくん、大好きー。何度でも言うけど、ずっと昔から大好きー。
「おやすみ」
おやすみセラくん。夢の中でも会おうね。
ころりと、転がったのが生まれて初めてのわたしの記憶だお。
大草原の中で、風に揺れる草にくすぐられながら、わたしは覚醒した。
周りには誰もいなかった。『おかあさん』の姿はどこにもなくて、わたしは独りぼっちで転がってた。ーー核の姿で。
魔物にはいっろーんな種類がいて、雄と雌でつがう魔物もいれば、わたし達スライムみたいに単体で子孫を残す魔物もいるんだよ。たんいせいしょくって言うんだって。黒スライム先輩から習った。ちゃんと覚えてるわたし、かしこーい。
で、スライムはまず体内で子どもの核を生成して、圧縮空間の中で身体が出来るまで育てるの。『おかあさん』と同じ大きさになったら、ぽんぽんから出されて独り立ちだお。
ーーだから、わたしは異常。
『おかあさん』に何があったのかは分からないけど、身体が出来る前に放り出されちゃったんだね。いくじほうき、はんたーい! わたしまだ、赤ちゃんにすらなってないのに、せちがらいね。
スライムは一見して石みたいな核が、生命線なんだお。身体はあくまでも核を守る為に、作られてるんだよ。鎧なんだよ。それがない状態でお外に放り出されたら、わたししゅーりょーだお。
身動き出来ない状態で転がるわたしは、ぼんやりと風に吹かれるしかない。なんにも出来ない。短いスライム生である。スライムにすらなれてなかったけど。
その内、魔物が核の匂いを嗅ぎ付けてやって来るに違いない。美味しくいただかれちゃうのかもしれない。
でもその時のわたしは、人間で言うところの胎児。難しいことは分かんないお。転がること以外に出来ることがないのだ。
迫り来る危機にも気付かずにいた。あのままだったら、今のわたしはいなかったね。
そんなひさんな未来を覆したのは、たった一人の人間の男の子だった。
最初の異変は核に影がさしたこと。
視覚範囲を上に固定すれば、キラキラ光る瞳が見えた。碧に輝く瞳。不思議とわたしには光って見えた。
当時のわたしはまだ、自分以外の魔物も人間も見たことがなくて、その瞳の持ち主が人間の男の子だと言うことも理解してなかった。仕方ないね。胎児だもんね。胎児が全部理解してたら、それはすごーく怖いお。ぶるぶるだお。
碧のおめめ以外見えなかったけど、すぐに全容が見えた。男の子がわたしの核を手にして、空に掲げたから。
薄い金色のふわふわした髪に碧のおめめの、可愛らしい男の子が見えた。人間の年齢では幼児である。
男の子は眩しそうに目を細めてわたしの核を見つめて、嬉しそうに笑っていた。陽に透かしてたんだと思う。
「うわあ、きれー」
おめめをキラキラさせて、男の子はそう言うと核を小さな掌に乗せた。
「きっと、かみさまの落とし物だ」
魔物とは対極に位置するカミさまの落とし物扱いされても、胎児のわたしには文句が言えないのー。それに、その時のわたしは、男の子の手を通して核に伝わってくる温かな何かにうっとりしていたのだよ。文句言えない。めろめろだお。
男の子は核をぎゅっと握ると、パタパタと駆け出した。身体がなくて良かったお。もしも身体があったら、むにゅりと潰れてたお。ぷりてぃぼでぃが潰れてたお。良かった。身体がなくて良かったね、わたし!
「おかあさーーーん! すごいよ、見て見てーーー!」
「どうしたの?」
興奮した男の子に、優しい声がかけられたのを、わたしは男の子の手の中で聞いていた。
おかあさん。おかあさんって、なんだろう。
なんにも知らないわたしは、ただ暢気に男の子の手から伝わる温もりにうっとりするだけで。なんにも考えてなかった。しょうがないね。何回も言うけど胎児だもんね。
これが、男の子ーー究極天使セラくんと、わたしの出会いだったのであった。