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秘密

作者: 満島エリオ

 冴島羽鳥と冴島美鳥は双子だった。

 二人は人形のように美しい双子で、同一の存在が分離したかのようによく似ていた。男女の双子であるにも関わらず性差を感じさせないほど二人がそっくりだったのは、どちらかと言えば羽鳥のほうが、男の子らしさのようなものをごっそりと欠落して中性的だったためだろう。

 七歳のときに二人は母親とともに雪の深いこの町にやってきて、町はずれにある廃墟のような空家に棲みついた。その時から父親の姿はなかった。双子とよく似た美しく人間味のない母親の伴侶がどこにいるのか、死別したのか別居なのか、子供ながらにタブーを感じて直接たずねたことはない。

 閉鎖的で後進的なその町で、いかにも洗練された雰囲気を持つ三人の親子は幻であるかのようにいつまでも浮いていた。異端でありながら、どことなく神聖さを匂わせるその容姿のせいか、彼らが村八分に遭うことはなかったようだ。どちらにしても、地元の人間は冴島の人間をどう扱ったらよいのか分からず、遠巻きにするばかりだった。古ぼけた二階建ての家屋の軒先で、そこだけ妙に新しい『冴島』という表札が、彼らの町での立ち位置をそのまま示しているようだった。

 けれど、同じ小学校に転入してきた双子と、いつしかぼくは一緒に過ごすようになっていた。見た目の印象に反することなく社交的でも友好的でもなかった二人と、どうしようもなく内向的だったぼくは、余り者同士が一纏めにされるという消極的な磁力によって引き合わされたのだ。

 三人で特になにをしていた、という記憶はない。ぼくらは屋外で走り回って遊ぶことを好まなかったし、誰ひとりとしてお喋りでもなかった。一体なにを話して、どうやって陰気で退屈な時間をやり過ごしていたのだろうと、後になって思う。


   *


 五年生のときだ。終礼のあと、女子だけが教室に残るように言われた日があった。しつこく理由をたずねる男子生徒を、はぐらかしながら担任が追い立てていく。窓際の席で、じっと外を見つめる美鳥の後頭部を横目に、ぼくも教室を出る。最後の一人の男子が追い出されたのと入れ違いに、女の保健医が教室に入って行った。

「女子だけって、なんの話なんだろ」

 校庭の隅の木陰にしゃがみこんで、ぼくらは美鳥を待っていた。

 校舎の二階にある自分たちの教室を見上げてぼくはつぶやく。

 空調のない教室の窓は開いていて、時おりカーテンが風に揺れるのが見えた。

「知らない」

 拾った小枝で蟻をつつきながら、羽鳥はそっけなかった。蟻にも、今教室で行われている「何か」にも、これっぽっちも関心がないのが見てとれた。

「気になるなら後で美鳥に訊けばいい」

 足元に視線を落としたまま、切り捨てるような羽鳥の言葉を最後に、ぼくらはしばらく無言だった。七月の太陽は容赦なく照りつけて、ぼくは不思議な気持ちで羽鳥の額に汗が浮くのを見ていた。羽鳥も汗をかくのだ。

「あのさ」

 ふいに羽鳥が口を開いた。

「生きてる人間と死んでる人間って、どう違うんだろう」

 ぼくは驚いて、蟻の巣を崩し始めた羽鳥を見た。

「全然違うよ。死んだ人間は喋らないし、ごはんも食べないだろ」

「ちひろ、死んでる人見たことある?」

 ぐいい、と妙にぎこちない動きで羽鳥はぼくを見た。球体関節人形のようで、不気味だった。色素の薄い瞳は茶色で、丁寧に色づけしたビー玉のようだった。

「去年の冬にじいちゃんが死んだんだ」

 ここよりもっと雪深い山奥の方に、双子の祖父母が暮らしているというのは知っていた。けれど、祖父が亡くなったというのは初耳だった。一年前の冬を思い返してみても、羽鳥も美鳥もそんなこと一言も口にしなかったはずだ。狭い田舎町では、冠婚葬祭は共有事項だ。そういう中で、祖父の死を隠しおおせた冴島家は、やはり異端だ。

 羽鳥は続けた。

「雪が多くて、寒くて、じいちゃんはこたつに入ってた。声かけたけど返事がなかったから、寝てるんだと思って袢纏かけてやったんだ。おれも眠くて、気づいたら一緒に寝てた。目が覚めたら母さんとばあちゃんが慌ててばたばたしてて、じいちゃんが死んでるって言うんだ」

 アブラゼミが鳴いている。Tシャツが汗で背中に貼りつく。校庭には、ランドセルを投げだした生徒たちがボールを追いかけている。七月の見慣れた学校にいる、はずなのに、行ったこともない羽鳥の祖父の家で雪に埋もれた冬にたたずんでいる気がした。

「母さんとばあちゃんがいろんなとこに電話かけたり、医者が来たりして、みんな急にばたばた騒がしくしてた。布団に寝かされて、顔に白い布かけられたじいちゃんだけが死んだみたいに静かだった。いや、本当に死んでたんだ。その顔見ながら俺はずっと考えてた」

 羽鳥は、僕を見た。人形のような美しい顔で、温度を感じさせない白い無表情で。

「――俺が袢纏かけてやった時、じいちゃんは生きてたのかな。それとも、もう死んでたのかな?」

 冷たい汗がこめかみから流れるのを感じながら、昏いガラス玉みたいな羽鳥の瞳に、ぼくは息ができなかった。


   *


 春が二回来て、ぼくらは同じ中学校に入学した。

 ぼくと美鳥が同じクラスになり、羽鳥だけが別のクラスに振り分けられたとき、羽鳥が悪目立ちしたり、孤立したりするのではないか少なからず心配した。けれど実際学期が始まってしまえば、美鳥は徐々にクラスの女子と打ち解け、羽鳥は羽鳥で問題もなく自分のクラスに馴染んでいき、杞憂だったことを知った。ぼくが知らなかっただけで、双子も人の間で生きることを覚えていたのだ。ぼく自身も音楽部に入ってみたりして二人以外の友達と過ごす時間が増え、ぼくらはなんとなくばらばらになっていった。もう居残っている誰かを残りの二人で待つこともなかったし、三人揃うこともほとんどなくなった。

 そんな風に時がすぎていった二年生の十一月のある日、昼休みの終わりごろ、教室に向かって歩いているところを誰かに呼びとめられた。

 振り返ると、昇降口のすぐそばに美鳥がうずくまっていた。

「ちひろ」

「美鳥?どうしたの」

 ぼくが驚いて近づこうとするのを片手で制し、目を合わせずに早口に美鳥は告げた。

「女の先生を呼んできて、お願い」

 しゃがみこむ美鳥の足のあいだに、赤いものがぱたりと落ちる。リノリウムの黄ばんだ床に落ちた赤は、ぼくの瞳に焦げ付くように鮮明に映った。

 血だとわかった瞬間後ずさるように二歩、美鳥から離れ、それからぼくは転がるように階段を駆け降りた。途中、授業の開始を告げるチャイムがなった。いつもよりやけに長いそれを無視して、保健室の引き戸を乱暴に開ける。若い保健医がばねのように顔をあげて驚いた目でこちらを見た。

 奥のほうから中年の女の保健医が出てきて、なにがあったの、と聞いた。しどろもどろのぼくの説明をじっと聞いたあと、引き出しからタオルやらなにやらを取り出して、彼女はすぐに保健室を出た。

 保健医を案内して美鳥のところへ戻ると、驚いたことにそこには羽鳥がいて、サバンナを監視するライオンのように目を細めて背筋を伸ばして立っていた。美鳥の背には羽鳥がいつも着ている紺のブレザーがかかっていて、カーディガン姿の羽鳥は相変わらず無表情だったが、ひどく寒々しく見えた。

 思えば、双子がそろっているのを見るのはずいぶんと久しぶりだった。久々に並んで見る二人は、その肩幅や顔つきに性差をにじませ始めていた。そっくりだったはずなのに、もう羽鳥は男の子にしか見えないし、美鳥はしなやかな体を持つ女の子だった。そのことに、僕は少なからず動揺した。

 保健医は美鳥に近づいて二言三言話しかけ、肩を抱いて立ち上がらせると、ぼくら二人に教室に戻るように言った。

 それでも、保健医が美鳥をトイレに連れていくまで、ぼくらは二人でそこに立っていた。羽鳥にはもうさっきまでの張りつめた感じはなくて、ポケットに手を突っ込んで、伸びていた背筋もいつもの猫背に戻っていた。その肩の位置を見て、羽鳥が自分より小さいと思っていたことが錯覚だったと知った。本当はもう身長も伸びて、とっくに美鳥より大きくて、とても二人同じではなくなっていたのだ。今のいままで、全然気づかなかった。そのことに、どうしてかぼくはひどく動揺した。

 二人がトイレに消えたのを見届けると、ふいと羽鳥は背を向けて教室に向けて歩き出す。追いすがるようにぼくは羽鳥に話しかけた。

「美鳥、どうしたのかな」

「生理だよ」

 羽鳥はそっけなく言った。え、と間抜けな声を漏らすと、羽鳥は振り返らずに続けた。

「初潮。まだきてなかったんだ」

 いつのまにか羽鳥の教室の前だった。

「なんでそんなこと」

 ぼくの言葉を聞かないで、グレーのカーディガンに包まれた丸い後姿は教室に消えた。

「……おまえが知ってるんだよ」

 頼りない言葉は、冷たい廊下の空気に所在なく沈んでいった。


   *


 明くる年、美鳥が死んだ。

 唐突だった。なぜ死んだのか、どのように死んだのか、詳しいことはぼくには一切知らされなかった。普段なら口さがない住人達も、異様なほど重く口を閉ざしており、子供たちに詮索させることも暗に禁じていた。やはり冴島家は普通ではないのだと、ぼくはまたしても思い知った。

 双子の母は、葬式のために足の悪い祖母を遠方まで迎えにいかなくてはならなくなった。彼女は当初、生き残った息子を連れて行くつもりだったが、羽鳥の方がそれを拒否した。その結果、羽鳥が双子の片割れの遺体と一晩二人きりになると知ったぼくの母親がお節介を発揮し、ぼくはその日羽鳥の家に泊まることになった。羽鳥も彼の母親も、さすがにぼくも嫌だろうし、そこまでしてもらうのは悪いからと遠慮したけれど、子供を一人で死体と一晩なんて考えられないとうちの母に押し切られて、僕はものみたいな扱いで冴島家に献上されることになった。本当は母も一緒に冴島家に泊まるつもりでいたのだが、うちには母親がいなければ眠れない年の離れた妹がいて、ぼくが自分で断った。

 学校が終わった後、一旦帰宅して一晩ぶんの着替えをスポーツバッグに抱えて町のはずれの羽鳥の家に向かう。玄関でいつもの学校指定のグレーのカーディガンを羽織った羽鳥が出迎えた。丸い背中に眠たそうな冷たい目をした羽鳥は普段と変わらず、双子の片割れを亡くしたばかりの少年には見えなかった。いつもと違うところといえば、カーディガンの内側にアビーロードのジャケットがプリントされた白いTシャツを着ているところくらいだった。

 冴島家は外観こそ古びているが、中は清潔に整えられている。冷蔵庫にはメモがマグネットで止められていて、双子の部屋には男女の制服がそれぞれ吊るされている。小学生のころ、数えるくらいだがこの家には来たことがあって、家のそこここに生活感は感じ取れるのに、それでもいまだにこの家に人が暮らしていたとは信じられなかった。この家のどこかに死体があるということが、余計現実感を奪っているのかもしれなかった。

 茶の間のこたつには湯呑みが二つと、たぶんぼくのために羽鳥の母親が用意したのだろう、口の開いていない大袋のお菓子が並べられている。お茶を入れると言って、羽鳥が急須を持って台所に消えた。

こたつに足を潜り込ませると、スイッチが入っていなかったようで布団は冷たかった。台所の方から、やかんがかたかた鳴るのが聞こえた。

 しばらくして、急須と白い給湯ポットを手に、羽鳥が戻ってくる。あぐらをかいて座ると、こたつから身を乗り出してポットをコンセントにつなぎ、急須にお湯を注ぐ。伏し目がちに黙々と手を動かす羽鳥を、ぼくもじっと観察する。いつの間にかずいぶん髪が長く伸びて、うなじを覆い隠すほどになっていた。

 色がついただけのお湯のようなお茶は、それでも体を温めてくれる。人心地つくと、脳が美鳥の死について思考しはじめる。ぼくはまだ、美鳥が死んだということをうまく認識できていなかった。まだ近しい人の死を経験していないからかもしれない。真相を覆い隠されて、「死」という結果だけを与えられたせいかもしれない。

 羽鳥はどう思っているのだろう。美鳥の死の理由を知っているのだろうか。

「そこに寝てるから」

 ぼそりと羽鳥が言って、ふすまに締め切られた先に視線をやった。

「……美鳥。の死体」

 ぼくは目を見開いて、羽鳥を見た。隣の部屋に死体があることに驚いたのではない。家の間取りから考えれば、隣の和室に美鳥の遺体が寝かされていることは容易に想像がついた。ただ、それを告げる羽鳥の言葉はあまりに淡々としているように思えた。眠たそうな目をしながら羽鳥はなんでもないことのように続ける。

「寝るときは俺の部屋で寝て。美鳥のほうの布団嫌だったらおれそっちに寝るから言って。あと風呂沸いてるから入りたかったら入って」

 双子の部屋には二段ベッドがあって、たしか上段に美鳥が寝ていたはずだ。もう中学生だし、そろそろ部屋を分けることになるだろうという話を以前に羽鳥から聞いた記憶があるが、まだ同じ部屋で寝ていたらしい。

 時間は十時を過ぎた所だった。羽鳥が宿題をするというので、ぼくは先に風呂を使わせてもらうことにした。

 風呂あがりに、双子の部屋の扉が開いていたのでのぞくと、勉強机に突っ伏して寝ている羽鳥のカーディガンに包まれた背中が見えた。

「……はとり」

 乾いた小さな声で名前を呼んだが、返事はなかった。僕は扉をそっと閉めた。

 居間に戻ると、すっかり冷たくなった湯飲みが二つ、こたつの上に残されていた。立ったままそれをじっと見つめた後、ぼくは隣室のふすまに目をやった。そのわずかな隙間から、冷たい風が流れ込んでくるような気がした。ぼくはふすまのそばに忍び寄ると、静かにそれを引いた。

 甘いような眠たいような、冷えた空気と静寂が淀むその部屋の真ん中に、美鳥はいた。

 部屋の中央に敷かれた布団に、首まで布団をかけられて寝かされていた。

 ぼくは後ろ手にふすまをしめ、美鳥の顔のそばまで寄って座った。足を崩すのははばかられて、無意識に正座になる。

 死体、というものを見るのは初めてだ。変わり果てた姿だったらどうしようかと思っていたのだけど、驚くほど綺麗で、生きているのと変わらないように見えた。美鳥の顔をこんなに間近で見るのも随分久しぶりだ。思えば最後にまともに会話したのはあの学校の昇降口付近に美鳥がうずくまっていたときだった。綺麗だ、とぼくはもう一度思った。ずっと見つめていたいくらいに。触れたくなるほどに。

 ふすまはさっき閉めたとおりぴたりと閉ざされている。

 自分の指先を握りしめると、それは冷たくこわばっていた。

 目を閉じている美鳥は普段より幼くて、双子がそっくりだったころに似ていた。

 家の中はひどく静かで、呼吸をするだけで胸のあたりがぎしぎしと軋むのが響くような気がした。

 ぼくは身を乗り出し、美鳥の顔の脇に手をついた。布団が沈んで、前髪が額から流れ落ちる。

 全身の神経がびりびりとざわめくのを感じながら、息をつめて、ぼくは美鳥のくちびるに顔を寄せた。体を支える手が、重みと恐怖で震える。吐息がかかる距離。長いまつげ。

 美鳥が目を開けた。

 呼吸を忘れて、心臓が止まった。

 ぼくが気づいたのと、死体がささやいたのは同時だった。それは死体ではなかった。

 それは羽鳥だった。

「わかんなかったろ?」

 生きてるって。

 ぼくを見つめる羽鳥は、いつものけだるい眠そうな瞳ではなく、らんらんと輝く生きた眼をしていた。

 そのまま乱暴にぼくの襟首をつかんで引き寄せ、羽鳥はぼくに口づけた。

 すぐにくちびるは離れたが、鼻が触れ合いそうな距離で、羽鳥はぼくを見ていた。ぼくは身動きひとつ取れず、まばたきも忘れて、ただ形のよいくちびるがささやくのを見つめていた。

「秘密、な」

 そう言って、羽鳥は光る目を細めた。


      <了>

 

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