~薄紅色の風吹く頃~ 1話
風が心地よく通り過ぎる。
まだ春と呼ぶには少し早いが、それでも風は暖かさを含み、冬は終わりを告げ春の訪れを知らせるかのようだ。
小高い丘の上でルーミスは遠く霞む海の向こうを眺める。
その瞳は霞んだ景色の、さらにその向こうを見つめるかのように。
しばらくその景色を見続けた後、徐に立ち上がり、その景色に別れを告げるかのように背中を向けると、自転車に歩み寄る。
スタンドを起こし、自転車を押しながら歩き始める。
少し歩いたところで、優しく吹く海からの風に呼ばれたかのように、また振り返り午後の、柔らかく暖かさを含んだ光に照らし出された景色を見つめる。
そして、遠くに流れる雲に別れを告げるように前を向き、自転車にまたがると、一気に丘を駆け降りる。
肩に掛かるくらいのその赤茶色い髪をなびかせ、村までの道を一息に駆け降りる。
小さな村、ルーミスはそこで生まれ、その村の外の事などほとんど知ることもなく育った。
自転車で駆け降りたルーミスは、その勢いで自分の家にまで戻り、自転車を納屋の中にしまい込むとすぐに家の中に入る。
「お帰りなさい、ルーミス」
母親のリサがルーミスに優しく話しかける。
「お母さん! 私、明日旅に出る!」
ルーミスのその言葉にリサは少し驚きながらも、優しく微笑んで答える。
「ルーミス、まだ儀式も何も終わってないのよ? だから明日出発するのはまだダメよ」
「でも、早く出ないと……」
「ルーミス、あなたの気持ちは解るけど……」
ルーミスは旅に出たくて仕方なかった。そしてその気持ちをリサも十分に理解してはいる。だが、やはり旅立つ前の儀式というのは村の決まり事でもあり、どうしてもそれを行わずに旅に出すことはリサには出来なかった。
「ルーミス、今から急に旅に出ても、支度も何も出来なくて旅の途中で困ってしまうわよ。だから、しっかりと準備をして旅に出なさい」
ふてくされたような表情をしながらもルーミスは「はーい」と、返事をして自分の部屋に戻る。
自分の部屋に入り、机の前の窓を開ける。
海から流れてくる風は少し潮気を含んでおり、その風を部屋の中に満たし、しばらく頬杖を付いてその景色を見ていたが、立ち上がりベットまで行くと仰向けに寝転がる。
そして今、旅の途中であろうタリスの事を思い出す……
『タリス、何で行っちゃうの? 旅になんか行かないでよ!』
記憶の中のタリスにルーミスは話しかける。
『ルーミス……仕方ないだろ? これは村の決まり事なんだ』
タリスはそうルーミスをなだめる。
『だったら私も一緒に行く!』
タリスは少し困った顔で微笑み、ルーミスの頭を軽く撫でる。
『ルーミス、無理なことは解ってるだろ? ちゃんと一年経ったら帰ってくるよ。だからそれまで待っていてくれよ』
まだ幼さの残るルーミスをタリスは宥める。
『一年後には戻ってくる。だからそれまで待っていてくれよルー……』
「……ミス……ルーミス、ご飯よ。ルーミス」
いつの間にか寝ていた事に気づき、リサの声で起こされたルーミスは機嫌が悪そうに答える。
「今行くー」
少し冷たい風が部屋の中を通り抜ける。
家の前に植わっている桜は少しずつ蕾を膨らまし、後少しすれば、春の訪れを知らせてくれるだろう。
その頃にはルーミスの旅も始まる。だから、今は旅の準備をしよう。そして、タリスのいる所に追いつこう。
「あの方向音痴、今頃どこにいるんだろ……」
少し冷たい風がルーミスの髪をくすぐる。
ぶるっと、寒さに身体を震わせ、ルーミスは窓を閉めて部屋を出て食卓に向かう。