序:春匂フ卯月ト我ガ身ノ安息
序:春匂フ卯月ト我ガ身ノ安息
春には独特の匂いがある。
そう始めて感じたのは中学1年の卯月のことだ。4時限目の授業を終え、まだ慣れぬ学校の中を一人で、俺が食堂に向かっている途中のことである。
うちの中学は食堂に向かう際、一旦外に出て、外に設置されている渡り廊下を通っていかなければならない。夏は暑く、冬は寒いという、まさしく公立学校の設備の悪さを具現化したようなこの渡り廊下を、俺はいつも通り、ただ一人、何も感じること無く歩いていた。
ふと、生暖かい風が、俺の顔正面にふわりと当たった。それまで人をかき分ける様にスタスタと歩みを進めていた俺は、その瞬間、ピタッと、その足の動きを止めた。
「なんて、甘い匂いなんだろう…。」
俺は自然とそう呟いた。
なんとも言えない、その匂いは、心の何処かで疼いていた不安の心を、少し、和らげてくれたような気がした。なんという包容力というか、とても安心する…、そんな匂いだった。俺は深く、スッ…と深呼吸をして、しばらくこの香る風を堪能した。
"春匂う風"
俺はそう名付けた。結局俺はこの経験以降、この"春匂う風"と出会うことはなかった。中学卒業の時も、高校入学の時も、それ以降ずーっと、会わなかったのだ…。
高校3年生、学生生活最後の、その年の春を迎えるまでは…。