俺の人生
俺は市川隼人。地元で一番の進学校を出て、一流大学に見事合格し、更にその上一流企業に就職した。
人生は順風満帆だ。そう思っていた。しかし、違っていたのだ。俺の人生は全然イケてなかった。企業に入って、それがはっきりわかった。
元々田舎者の俺は、大学でも自分の訛りを気にするあまり、親しい友人を作る事もできず、サークル活動も部活動もしなかった。その分を全て勉強に注ぎ込み、「一流企業に就職するために」と思い、行動した。自ら人との接触を極力断ち、只、自分の将来のためだけにその日その日を過ごしていた。
その甲斐もあってか、俺は企業の面接を次々にこなし、内定を貰って行った。
「是非、我が社で」
そう言ってくれた面接官もいたほどだ。
でも、そんな扱いを受けていられたのも、入社するまでだった。三ヶ月の研修の間、俺は何度も恥を掻いた。一度しくじると、俺はミスを繰り返した。更に悪い事に、そんな時に限って、出ないようにと気をつけていた訛りが強くなり、同僚に失笑される。彼らの笑い声にまた動揺し、ミスをし、訛りを笑われる。その繰り返しだった。
それでも決して諦めなかったのは、今までに費やした時間を考えたからだ。それを全て失ってしまうような事だけはしたくなかったのだ。
しかし、俺の努力は報われなかった。焦れば焦るほど俺は失敗を繰り返した。
ある日、俺は新人研修担当の営業課の係長に会議室に呼び出された。
(ああ、とうとう、来るべき時が来たな)
いくら自分で頑張っているつもりでも、周囲がそれを認めてくれなければ、企業では不要なのだ。
「失礼します」
俺は緊張してドアを開き、中に入った。係長は窓から外を眺めていたが、振り返って、
「来たか。まあ、かけたまえ」
「はい」
俺は背筋を伸ばして返事をし、すぐ前の椅子に座った。係長は俺の正面の椅子にゆっくりと腰を下ろした。
「何故呼ばれたか、わかるかね?」
係長が尋ねて来た。俺は何と答えるのがいいのか、必死になって今までの経験を思い出した。
「考えるような事ではないと思うが?」
係長の声が大きくなった。俺はビクッとして係長を見る。係長は哀れむように俺を見ていた。
「君の悪いところは、わからない事をわからないと言わない事なんだよ。しかも、それに気づいてすらいない。重大な欠点だ」
俺は係長の言葉を聞き、口の中がカラカラに渇いた。握りしめる拳が湿っぽい。
「君は確かに面接の印象も抜群に良かったし、入社試験の成績もトップクラスだった。しかし、他人との連携や協調となると酷いものだ」
「……」
他人との連携? 協調? 俺は心臓が凄まじい速さで動いているのを感じた。
「社会人としての適格性を君は著しく欠いている。これは由々しき事だよ」
係長の言葉は更に続いていたが、俺は自分の心臓が心配で、それどころではなくなっていた。
「以上の事をよく考え、自分なりの対処法をまとめ、報告書にして提出する事。期限は来週の月曜の午前十時まで。いいね?」
途中から俺は係長の話を聞いていなかったので、返事はしたが、どうすればいいのかわかっていなかった。
会議室を退室し、誰もいない廊下を歩く。
(クビだ。俺はクビにされる……。終わりだ……)
そう思った瞬間、何も見えなくなった。誰もいなくなった。俺は一人きりだった。日本でもトップクラスの企業の社員だと思っていたが、そうではなかったのだ。俺は誰ともつながっていなかった。
(今までして来た事は、何だったんだ? 俺は何のためにこの会社に入ったんだ?)
突然、喉が渇き出した。さっきまでは緊張していて意識しなかったが、全身に大量の汗を掻いていた。俺は廊下の先にある自販機に向かった。
「どうしたの、怖い顔して?」
間延びした声が聞こえた。同期の鈴村早苗さんだった。彼女も俺と同じ地方出身者で、訛りが抜けていない。
「いや」
俺は何も話したくなかったので、彼女を見ないで自販機の前に立った。
「何よお、その態度。市川君、いつから大都会の住人になったの?」
「え?」
鈴村さんの妙な言葉に、俺は思わず振り返った。
「訛りを笑う人は笑わせておけばいい。そう言って私を励ましてくれたの、忘れたの?」
そんな事を言った気がする。人と関わるのを制御して来た俺が、只一人気を許したのが、鈴村さんだった。
「しかめっ面をするくらいだから、嫌な事があったんだろうけど、そういう時は誰かに話すとすっきりするって、バッチャが言ってたよ」
笑顔で話す鈴村さんを見ていたら、何だかどうでもよくなってしまった。そして、思い切って言ってみる。
「鈴村さん、今度の日曜日、暇?」
「何よお、それ……」
顔が紅潮する鈴村さんを見て、俺はようやく居心地のいい緑地に辿り着けた気がした。