エーデルワイスの横恋慕
ルシアンはAPP18です。
フェリシア第三王女殿下が、また恋をなさいました。
しかし貴族の恋は、私事では済みません。
誰に微笑まれたか。誰と何度言葉を交わしたか。
誰の贈り物をお受けになったか。そのひとつひとつに家の思惑が絡み、まだ芽も出ぬうちから、勝手に物語へ仕立て上げられてしまいます。
花など、その最たるものにございました。
この王城では、好意も慰めも牽制も、みな花に包んで差し出されます。
美しくて上品で、たいそう厄介な慣わしでございます。
ましてや王族ならば尚のこと。花粉に乗じて、あらぬ噂までも飛び交い放題。
まことに恐ろしい世界であります。
当の本人は、そんな自覚など、最初からお持ちでないご様子ですが。
「エルザ、あちらの方はどなたかしら」
フェリシア様が扇の先でそっと示された先に、一人の青年がおりました。
綺麗な黒髪に、濃紺の上着は控えめで、飾りも多くはございません。
まさに眉目秀麗といった容姿の殿方ですね。
「彼の方は、宮廷書記官補佐のルシアン・ド・ヴァルモン卿にございますね」
「まあ、文官ですのね」
「はい、詳しい出自までは調べてみないと分かりませんが」
妙に目を引くのは、お顔立ちが整っているからだけではないのでしょう。
目立ちすぎぬ加減を知っておられる方は、ご自分の見え方もよく分かっているものです。私の第一印象も、まさにそのような感じでありました。
「素敵なお方ですわね」
「……そうでございますね」
しかし殿下は違う印象を受けたご様子。
まだお名前くらいしか申し上げておりませんのに、それだけで十分なようで。
フェリシア様はいつもこうであらせられます。つまりは今回も一目惚れ。
「顔がいいからでしょう?」
まるで、私の内心を読んだかのようなお言葉が聞こえてきました。
背後からそうおっしゃったのは、ヴィオレーヌ第二王女殿下でした。
「お姉様」
「違うの?」
「そういう言い方はなさらないで」
「だって本当でしょう、それに、彼の方にはもうお相手がいるわ」
この言葉に動揺したのか、フェリシア様が目をみはられます。
「まあ、そうなのでございますか?」
「アルヴェール伯爵家のセレスティーナよ」
その名を聞いて、フェリシア様はわずかに口をつぐまれました。
伯爵家のご令嬢が婚約されたという話を、耳にしておられたのでしょう。
「……では、噂は本当なのですね」
「噂というより、ほとんど家同士の話でしょうね」
ヴィオレーヌ殿下は、面白そうに扇を傾けられました。
「それでも欲しいというなら、奪うくらいの気概を持ちなさいな」
「お姉様!?」
「できないのでしょう?」
「そんなこと、したくないわ」
「だったら半端な憧れで一目惚れなんておよしなさい」
なんとも刺のあるお言葉でした。
けれどヴィオレーヌ殿下は、止めておいでなのではございません。
むしろ逆です。本気でないなら手を出すな。本気なら尻込みするな。
そういう焚きつけ方なのでございました。
そして、フェリシア様もそのような煽りに弱いのです。
「横から入り込むなんて、良くないことだわ」
「良いも悪いもないでしょう」
「……と言うと?」
ヴィオレーヌ殿下は涼しいお顔でおっしゃいます。
このお方はいつもこうです。
「欲しいのなら略奪する、その気が無いなら諦める、それだけのことよ」
「お姉様ったら」
「憧れて夢見るだけなら、怪我をする前にやめておきなさいな」
「怪我など恐れていません、私は恋する時はいつも本気ですもの」
「そう、なら当たって砕ければいいわ」
「ヴィオレーヌ様!?」
「ええ、見守っていて下さいまし、お姉様」
「……フェリシア様まで、そのような事を」
そう言われて本当にやめられるくらいなら、恋など始まりません。
かくして、フェリシア様の控えめな“横恋慕”が始まったのでございます。
止められないと分かった以上、私のすべきことは、この恋を見守るのではなく、せめて怪我を浅くすることだけでした。
砕けるほどの失恋など、フェリシア様には不要でございますから。
◇
第三王女殿下からの誘いを無碍に断れるわけもなく、ヴァルモン卿との秘密の交流会という名の、最初のお茶会が行われました。
フェリシア様は紅茶の温度を気にするふりを二度なさり、扇を開いては閉じてを三度なさってから、ようやくルシアン様へお声をかけられました。
「先日は、ご挨拶もできませんでしたわね」
「ええ、私にとっても残念なことでございました」
「あら、そんなふうに仰るのですね」
「王女殿下のお側で仕えるだけでも光栄でしたので、まさかお言葉まで賜れるとは思っておりませんでしたので」
「まあ」
「顔を合わせた際に、こちらからお声をかけるべきでしたかね」
「ええ、是非次からはそうして下さい」
「……御意に」
答えの速さがちょうどよろしいのでございます。
軽薄に見えぬほど慎重で、間延びして見えぬほどには早い。
相手が喜ぶ言葉は差し出すのに、責任までは負わぬよう余白を残す。
実に手慣れたものでした。とはいえ下級貴族ふぜいが殿下に対して気軽に声を掛けるなど、本来あるまじきことですが。
そうは言っても、断るに断れない状況もございましょう。
お茶会を終えたの後に、フェリシア様はたいそうご機嫌でした。
「自然だったかしら」
「少し肩に力が入っておいででした」
「わかってますわ、でもあの綺麗なお顔を見ていたら、緊張しましたわ」
「左様ですか、ですが、殿下も愛らしくはございました」
「愛らしく、ではだめでしょう」
「そこは相手にもよります」
「ずるい答えだわ」
狡いのは、わたしではなく、お相手でございます。
フェリシア様は、貴族という生き物をよく理解しておりません。
下級貴族など、所詮は羊の皮を被った狼なのでございます。
既にフィアンセがいる事を、向こうも理解しているでしょうに。
耳触り良い言い訳でもして、殿下を傷つける前に身を引くべきなのです。
その後も、何かと交流する機会を見つけ、観劇会で感想を交わし、図書室で偶然を装って顔を合わせ、舞踏会では声を掛けられ一曲だけ踊られました。
どれも少しぎこちないのに、きちんとときめいて見えるのですから、恋とは本当に不思議なものでございます。
一方のルシアン様は、見事なものでした。
近づきすぎず、離れすぎず、礼を欠かす事なく、それでいて自身の事を少しずつ殿下に伝えて、忘れがたい余韻だけを残すのでございます。
三度目の図書室での密会で、フェリシア様が何気なくお尋ねになりました。
「家のことも大変なのでしょう」
「いえ、大変というほどではございません」
「あら、そうなのですか?」
「ただ夢ばかり見ていられる身分ではない、という程度で」
「まあ、夢を?」
「ええ、人には其々、分を越えて望んではならぬことがございますから」
ルシアン様は、その時だけ少し笑われました。
何を諦め、何を望み、誰を想っておいでなのか。
肝心なところは少しも仰らない。
それなのに、聞いた側が勝手に物語を足したくなる。
語らぬことで情を誘うというのは、ずいぶん便利な才覚にございます。
厄介なのは、彼がまるきり空疎ではないことでした。
ヴァルモン家の懐事情が苦しいことも、彼が下級貴族の三男であることも、本当のことなのでしょう。
宮廷で足場を得ねばならぬ焦りも、本物であるに違いありません。
切実さが本物で、自分の見目が武器になると知っていて、他人の好意までも利用することを躊躇わない。そういうお方が、いちばん始末に負えません。
なんとも腹立たしい事です。
◇
夕刻の回廊で、ヴィオレーヌ殿下に呼び止められました。
「あなたも気づいているのでしょう」
「何にでございますか」
「ルシアン・ド・ヴァルモン卿のことよ」
ごまかしても無駄だと分かっておりました。
「少々、危うい関係かと」
「とんだ狐だったわね」
「小賢しいお方だとは思います」
「あら、あなたも結構な言い分ね」
「私はフェリシア殿下の侍女ですから」
「ふふ、そうね」
それはもう、心配に決まっておられますとも。
「お相手の方も、少し火遊びが過ぎるかと」
「まあ、わたくしから焚き付けておいて、今更ではありますけどね」
「後悔しておられるのですか?」
「そんな事はないわ、フェリシアが自分で決めた事だもの」
ヴィオレーヌ殿下は、わずかに笑われます。
「セレスティーナは、わたくしより出来のよい学友だったわ」
さらりとした口調でしたが、その奥に別の色があることくらい分かります。
「伯爵家の末娘だとしても、令嬢としての気概は、申し分ないでしょうね」
「左様でございますか」
「ええ、だからこそ腹も立つのよ、自分の将来の旦那になる男なのだから、ちゃんと手綱を握っていて欲しいものだわ」
「わざと泳がせていると?」
「どうかしらね、少なくとも見て見ぬ振りはしていそうだけど、あまり大きな声で話す内容でもないでしょうから」
「賢明な方なのだと見受けられます」
「ええ、忌々しいほどにね」
それは悪口ではなく、古い棘の名残のように聞こえました。
セレスティーナ・フォン・アルヴェール伯爵令嬢。
第二王女殿下がそこまで評価してるなら、既に状況も把握しておられるはず。
「フェリシア様には、お伝えになりますか」
「あら、もう伝えてあるでしょう」
「十分ではございません」
「そうでしょうね」
ヴィオレーヌ殿下は扇を閉じられました。
「だったら、きちんと分からせてあげればいいわ」
「……分からせるとは、つまり」
「自分が今、どんな場所に立っているのかを、よ」
その時にはもう、この方が止める気など少しもないのだと、はっきり分かっておりました。妹の恋を折るのでもなく、応援するでもなく、自分で踏み出して、自分で痛みを知れと背中を押しておいでなのです。
「殿下、お願いがございます」
「あら、改まって、何かしら?」
「セレスティーナ嬢へ、話を通していただきとうございます」
「構わないわよ、あの子ならくだらない感傷よりも話が早いわ」
「助かります」
「助けるのはあなたではなくて、フェリシアよ」
「さもありなん、でございます」
その後、王国が抱える暗部にヴァルモン家とアルヴェール伯爵家の繋がりについて探らせますと、思った以上に話はきな臭うのでございました。
準男爵相当とはいえ、あの家の強みは血筋より商いにございました。
蚕の養殖と絹織物で財を成し、上位貴族の贔屓を受けて広げてきた家です。
そうして得た地位は、繋がりを失えばすぐに細る類いのものでございました。
とりわけアルヴェール伯爵家との縁談は、単なる恋の噂ではございません。
伯爵家に見初められた三男坊の出世話としては、確かに出来すぎております。
けれど、出来すぎている話には、たいてい裏があるものです。
報告によると交易品の中には、ご禁制の種なども含まれているとのこと。
そして伯爵家の向こうには、さらに大きな家の影がちらついておりました。
無論、悪名高いベルヘルム公爵家の名は、表立っては出てはきませんが。
そして流通も利も、いずれはそちらへ吸い上げられる形になるのではないかと、そう見る者もいるようでした。
まさに今のルシアンのように。
家のためには伯爵家との縁を切れない。
でも、その先でより大きな闇に呑まれるのも避けたい。そこでグランベル王家との細い縁でも手元に残せるなら、それに越したことはない。
なるほど、そう考えれば筋は通ります。
フェリシア様の恋心は、好意として欲しかったのではなく、いざという時に捨てずに済む切り札として惜しかったのでございましょう。王家の後ろ盾があれば、いずれ訪れるかもしれぬ危機を回避出来るとでも考えたのでしょうか。
その挙げ句、今の足元が見えてないというなら本末転倒だというのに。
下劣というほど露骨でもなく、誠実というにはあまりに身勝手。
そういう半端さが、いちばん質が悪いのです。
その夜、私はフェリシア様へ、調べた内容の一部をお伝えいたしました。
「ルシアン様と伯爵令嬢のお話は、単なる噂ではないようにございます」
「やはり、そうなのね」
「ええ、家同士の利権も絡んでおります、軽いことではございません」
フェリシア様はしばらく黙っておいででした。
「……それでも」
「フェリシア様」
「あの方がご自分のお口で何も仰らない以上は、わたくし信じたくないですわ」
ああ、まったくその通りでございます。ヴァルモン卿は、婚姻を結んでいる相手がいることを、何故フェリシア様に伝えないのか。
そんなの隠し通せるわけがない。
既に周知されているなら言う必要がないとでも? 真っ先に露見する事だからと、相手に判断を委ねて、それで筋が通るとでも思っているのだろうか。
そんなわけないだろうに、だからこそ許せないのでございます。
◇
王城主催の夜会の当日、フェリシア様は淡い真珠色のドレスをお召しでした。
銀糸の刺繍が光を受けるたび、やわらかくきらめきます。
愛らしいお方ほど、大人びて見せたい夜があるものでございます。
「エルザ」
「はい」
「今夜は、ちゃんとお話しするの」
「左様でございますか」
「ええ、ずっと曖昧なままなのは、いやだもの」
その瞳には、強い意志が宿っておりました。
夢を見るばかりでは終わらないと、ご自分で決められたのでしょう。
「だから、二人きりで話せる場所と時間が欲しいわ」
「……承知いたしました」
「エルザも控えていてくださいまし」
「それは承諾いたしかねます」
「もう、融通が利かないわ」
「離れたところで見守っておりますゆえ、ご容赦ください」
「むぅ、分かりましたわ」
今宵の夜会は、ただ華やかに踊るためだけの場ではございません。
もちろん、本来は浮気心を出した殿方を糾弾する場でもないのですが。
ですから大抵の殿方は、仮にフェリシア王女に見染められても、もし先に約束のある身ならば、もっと早く、もっと穏当に身を引かれます。
既に婚約者がおりますのでご容赦を、その一言で済むことでございますから。
ゆえに今回の騒動も、フェリシア様がどなたかへ夢を見られ、ヴィオレーヌ殿下がそれを後押しする、最初はその程度の、いつもの一幕かと思ってました。
それがいつもとは違う流れになり、手を打たざるおえなくなったのです。
暫くして、フェリシア様はルシアン卿をバルコニーへお誘いになりました。
私は少し距離を置き、ヴィオレーヌ殿下も離れた場所で扇を傾けておいでです。
「こんばんは、ルシアン」
「これはフェリシア殿下」
「今宵の夜会は、ずいぶん月が綺麗ですわね」
「殿下のお姿に比べれば、月も霞みましょう」
「あら、お上手ですこと」
「本心にございます」
よくもまあ、そのような言葉をすらすらと。
その容姿ならこれまでさぞかし異性を魅了したでありましょうに。
手慣れているのか、軽薄に見えぬ程度に甘く、誠実に聞こえるぎりぎりを選ぶのが、実にお上手でいらっしゃいます。
「ですが夜風がございます、お身体を冷やされませんよう」
「ふふ、まるで侍女のようなことを言うのですね」
「差し出がましかったでしょうか」
「いいえ、そういう気遣いは、わたくし嫌いではなくてよ」
フェリシア様は、少し頬を染めておいででした。
ルシアン卿もまた、やわらかく目を細められます。
ここまでは、見慣れた光景でございます。
問題は、ここで相手がどのように退くかでした。
「ルシアン、今夜はわたくし、お伝えしたいことがあるの」
「……奇遇にございます」
「まあ」
「私も、殿下に申し上げねばならぬことがございます」
さあ、どうなさいます。ここで伝えればまだ傷は浅い。
いえ、浅くはございませんが、少なくとも致命傷は避けられます。
「でしたら、わたくしから申しますわ」
「殿下」
「わたくし、あなたとお話しする時間が好きでしたの」
「それは、身に余るお言葉にございます」
「そんな世辞ではなく、友として、いえ、それ以上の相手として、もう少し近しくしていただけたらと、そう思っていましたの」
控えめで、けれど真剣なお言葉でした。
社交の作法に守られた、精一杯の差し出し方でございます。
ルシアン卿は一瞬だけ目を伏せられました。
その沈黙は逡巡というより、どこまで曖昧に返せるかを測る間に見えました。
「殿下のお心が、そこまでとは存じませんでした」
「……ええ」
「私はただ、無礼のないようにしていただけでございます」
「そう、だったのですか」
「ですが、私も殿下との交流会は、とても楽しく思っておりました」
「まあ」
「殿下のお近くにいられたなら、と思わぬ日はございません」
「それでは」
「ですが、私には選ばねばならぬことが、多すぎるのです」
ああ、やはり。
ここまで来てもなお、はっきりとはおっしゃらないのですね。
王女との縁も惜しい。伯爵家との縁談も切れない。どちらも捨てられない。
そんな板挟み状態でさも苦しんでいるような態度をよく出来たものです。
自分が今いかに瀬戸際に立っておられるか、理解するといい。
「そうですか、もしあなたが、わたくしを少しでも特別に思ってくださるのなら、このまま、もっと親しくなれたらと、そう思っておりましたのに」
ああ、なんとも、まっすぐなお言葉でございましょう。
飾り気がなく、疑いを知らず、若さゆえの勇気まで込められております。
ルシアン卿は黙っておいででした。
ここで申し上げるべき言葉は、本来ひとつでございます。
殿下、実は私には家同士で進んでいる縁談がございます。
たったそれだけでよろしいのです。
「今宵の月は、少々危険でございます」
「あら、どうして」
「人の分別を鈍らせますので」
けれど男は、目の前に差し出された好意に勝てなかったのでございます。
今夜はセレスティーナ様がご欠席だと聞いていたはず。
そしてこの場には見ている者もいない。
ここで少し好意を返しておけば、まだ繋ぎ止めておけるのではないか。
そんな浅知恵が、額に書いてございました。
それはもう、実に読みやすく。
言葉を濁しつつ、好意だけは残しておくおつもりなのですね。
「ルシアン」
「殿下、私は」
そしてルシアン卿は、その場で跪かれました。
フェリシア様が息をのまれます。
差し出されたお手を、ルシアン卿は恭しく取られます。
ここで離せば、まだ見苦しいだけで済んだものを。
けれど、そのまま手の甲へ口づけなさったのでございます。
フェリシア様のお顔は、夢を見る少女そのものでした。
ええ、ここだけ切り取れば、ずいぶん絵になる場面だったでしょうとも。
ルシアン・ド・ヴァルモン卿、たいした役者ですこと。
あるいは、たいした三文芝居とでも言うべきでしょうか。
好意はある、だが確かな言葉にはしない。
その場しのぎとしては、なかなか器用な一手でした。
その小賢しさと見た目だけの誠実さを、もっと別に使えれば、もう少し見どころもございましたでしょうに、惜しいことでございます。
ですが、ここまでのようですね。
「ルシアン」
「!?」
ですので、そこで割って入る声もまた、たいそうよく響いたのでございます。
「ずいぶんと、お見事なお芝居ですのね」
フェリシア様がはっとなさり、ルシアン卿は弾かれた様に振り向かれました。
そこにいらしたのは、セレスティーナ様でございました。
薄青のドレスに、冷えた月光のようなお顔。
お可哀想に、とは申しません。
この方は今宵、哀れまれる側ではなく、取り立てる側においでですもの。
「セレス!?」
「ごきげんよう、ルシアン様」
「な、なぜ、君がここに」
「なぜ? それは私が居たら何か不都合でもあるって意味かしら?」
「うぐっ!」
その一言だけで、十分に刺さりました。
ええ、それは見事なほどに、言葉の刃がザックリと、致命傷です。
フェリシア様は、ルシアン卿とセレスティーナ様を見比べておいでです。
この時点では、まだ全部は繋がっておられないご様子。
けれど、悪い予感というものは、だいたい正解でございます。
予定調和とはいえ、修羅場は見ていて気持のよいものではないですね。
「ルシアン様、これはどういうことですの?」
「フェリシア殿下、これは」
「ええ、どういうことか、わたくしもぜひ伺いたいところですわ」
セレスティーナ様は、ひどく穏やかに微笑まれました。
あの微笑みを穏やかと呼んでよいなら、ですが。
「ヴァルモン卿とわたくしの間には、家同士で進んでいるお話がございます」
「……え」
フェリシア様の頬から、さっと色が引きました。
まあ横恋慕を仕掛けている身としては既知の事実ではありましたが、まさかその婚約者に内情を明かされるとは、思ってもみなかったことでしょう。
たいそう困惑しておられます。おいたわしい事です。
「あら、その反応を見るに、どうやらそれを伏せたまま」
「セ、セレスティーナ!」
「正式な誓約ではないと、そうおっしゃるおつもりかしら」
「……」
「王女殿下のお心を引くには十分な沈黙でございますね」
実にもっともでございます。
ルシアン卿は悲壮感と失望感を浮かばれた、フェリシア王女殿下のお顔を見て、慌てて釈明なさりました。
「フェリシア殿下、お聞きください、私は」
「ただの戯れでしたとでも、おっしゃるつもりですの?」
しかしその言葉をセレスティーナ様が遮ります。
「決して、決してそのようなつもりでは」
「では、どのようなおつもりでしたの」
ルシアン卿は、ほんの一瞬だけ、笑おうとなさいました。
もしかして、ドッキリ企画とでも思われたのでしょうか。
それとも上手く受け流せば、まだ体面だけは保てるとでも?
残念でしたね。
今夜の共演者は、あなたに花を持たせるための方々ではございませんの。
「……殿下に好意がないわけではございません」
「その言葉を信じろと?」
「ですが私は、家の事情もございます、どちらも軽んじたわけでは」
どちらも失いたくない。なんとも浅はかで甘い考えでしょう。
遠回しに言い換えるための、お得意の理屈にしか聞こえませんね。
「どちらも、ですの」
フェリシア様のお声が、すうっと冷えました。
「わたくしも、失いたくないものの一つでしたのね」
ああ、そこは正しくお取りになりました。
たいへん結構でございます。
これでもし正室だの側室だの言い出してたら、目も当てられませんでした。
ルシアン卿は、そこでようやく狼狽を隠せなくなられました。
さすがにまずいと思われたのでしょう。
既に遅うございますけれど。
「わ、私はただ、全てを損なわずに済む道があるのではと……」
「そう思ったと?」
セレスティーナ嬢が、その言葉を引き取られます。
「ルシアン、賢しい貴方のことですもの、きっとお一人で、深くお悩みになったのでしょうね」
「……セレス」
「家も惜しい、伯爵家との縁も惜しい、王女殿下から向けられるご好意も惜しい、ですから、バレるまでは黙っておこうと」
「……っ」
「そういうことでございますでしょう」
流石です。丁寧に逃げ道が一枚ずつ剥がれてゆきます。
ルシアン卿は否定なさいませんでした。
いえ、否定できなかった、と申すべきでしょうか。
「申し開きもございません……ですがどれも、私には必要だった」
「まあ」
「失えば立ちゆかぬものばかりでした」
とうとう本音がこぼれましたね。
フェリシア様は、唖然となさっておいでです。
無理もございません。恋の告白の返事に期待していたら、その相手の棚卸しの中へ自分が並べられていたのですから。
「では、わたくしは、あなたにとって、札の一枚でしたのね」
フェリシア様がおっしゃいます。
ルシアン卿は答えられません。
沈黙が時に雄弁に語るよりも、強い肯定となることもあります。
「お可哀想に」
そうおっしゃったのは、セレスティーナ様でした。
けれどそれは、フェリシア様へ向けた言葉ではございません。
「ルシアン、賢しい貴方のことだから、きっとお一人で、あれこれと都合のよい道をお考えになったのでしょう」
「……セレス」
「でも、もうよろしいですわ」
そして一歩、近づかれます。
ここからはもはや恋愛劇でも愛憎劇ではなく、ただの回収劇でございます。
「そこまで愚かではないと、わたくしは信じておりましたのに」
「……すまない」
「ええ、本当に」
セレスティーナ様は、そこでふわりとお顔を和らげられたのでございます。
「それでも、お戻りになるのでしょう」
「……僕のことを許してくれるのか?」
「ええ、ですから、ここで取りこぼしなく、お戻りなさいませ」
そうして、躊躇うルシアン卿を、自身の胸に抱き寄せられました。
このシーンだけ切り取ると、まるで映画のワンシーンのようでございます。
ですが、これはそんな見栄えの良い感動の場面ではございません。
二人だけで勝手に幕を下ろしている、言うなれば茶番でございます。
ですが、こういう茶番こそ人前ではよく効くのです。
浮ついた男を、自分の腕の中へきちんと回収した形になりますから。
「セレスティーナ、僕は、僕は、っ!」
「ええ、分かっておりますとも、さぞかしお辛い立場だったでしょう」
「うわぁぁん」
予想外でした。社交界の場で大人がこうもみっともなく泣きじゃくるとは。
周囲も観衆たちも、流石に何かあったのかと、騒めき立っておられます。
セレスティーナ様も、いささか困惑したご様子。
抱き寄せられたルシアン卿のほうはと申しますと、ひどく安堵なさったようなお顔でした。助かったとでも思っておいでなのでしょうか。
それは結構。今後の主導権がどちらの手に渡ったかまで、お考えが回っていない辺りが、なんともこの方らしゅうございます。
そして私は、その時になってようやく思い至ったのでございます。
これまでの秘密の交流会で、私が向けていた睨みを、この方はまるで違う意味に受け取っていたのではないかと。
婚約者がいるなら、これ以上深入りする前に、きちんとお断りなさい。
私が込めていたのはその程度のつもりでした。
けれど相手からすれば、まさか殿下のご好意を退けるつもりではありますまいねと、そう迫られているように見えたとしても、不思議ではございません。
なんということでしょう。
私は牽制していたつもりで、向こうに圧をかけていたのでございますか。
この醜態を見るに、なんとなく合っている気がいたします。
その一方で、セレスティーナ様は見事なものでした。
刺すところはきちんと刺しながら、ご自分の男の値打ちまで下げきらない。
いや、下がってはいそうですが、今の嗚咽交じりの嘆き声のせいで。
なるほど、手綱とはこうして握るのでございましょう。
さすがはヴィオレーヌ殿下のご学友、といったところでしょうか。
そして我が主人、フェリシア様は、完全に唖然となさっておいででした。
「……なんなんですの、これは」
それはそうでございましょう。
さっきまでご自分の恋物語の只中においでだったのに、気づけば別の二人が勝手に盛り上がり、最終幕を始めているのですもの。
ふと視線を感じて振り向けば、ヴィオレーヌ第二王女殿下が少し離れた場所で、優雅に扇を傾けておいででした。
止めるでもなく、嘲けるでもなく、ただ見届けておいでになるお顔でした。
ええ、最初はまたこの流れかと眺めておられたのでしょうが、途中からはもう、盤面を読む側のお顔でいらっしゃいました。
「……もう、よろしいわ」
フェリシア様は、ようやくそれだけおっしゃいました。
声は震えておりませんでした。さすが王女殿下でございます。
「フェリシア王女殿下」
「申し開きは結構ですの、もう、十分見せていただきましたわ」
それからセレスティーナ様をご覧になります。
「あなたは最初から、ご存じだったのね」
「ええ」
「では、見誤らないでくださいまし」
「分かっておりますわ、今後はこのようなことが起きぬようにいたします」
その返答の早さが、またなんとも。
「あなたたち、とてもお似合いですわ」
「ありがたきお言葉です、王女殿下」
「皮肉なのですから、言葉通り取らないでくださいまし!」
「あら、それは大変失礼いたしました」
フェリシア様はそのまま無言で、くるりとお背を向けられました。
傷ついても崩れず、涙は人前に置いていかない。
そのあたりの矜持は、さすがに王家の血筋でございます。
私はすぐに後を追いました。回廊へ出ますと、夜気が少し冷たく、先ほどまでの茶番の熱をちょうどよく冷ましてくれました。
「エルザ……わたくし」
「はい」
「いったい何を見せられていたのかしら」
「私も、だいたい同じ感想にございます」
フェリシア様はそこで、少しだけ泣いて、少しだけ笑われました。
泣き笑いの理由が失恋だけでなく、あまりの馬鹿馬鹿しさにもあるのが、今夜の救いでございましょう。
「エルザ」
「はい」
「わたくし、あの方を本気で好きだったのよ」
「存じておりました」
「なのに最後、あんな……」
「ええ、ずいぶん器用に台無しになさいました」
慰めとしては、あまり上等ではございません。
けれど、妙に効いたようでした。
少し遅れて、ヴィオレーヌ殿下がおいでになります。
「あら、泣いてたの?」
「泣いてなどいませんわ」
「そう」
「お姉様は、ご存じだったのでしょう」
「ええ、だって私が提案して仕込みを手伝ったのだもの」
「ひどいわ」
「そうね、でも、自分で見るのが一番手っ取り早いこともあるわ」
相変わらず容赦のないお方です。
もっとも、だからこそ盤面をお作りになれたのでしょうけれど。
今回の首謀者が、私であると明かさないあたりに、優しさを感じます。
ヴィオレーヌ殿下はそのままお話を続けられました。
「それにセレスティーナは、今夜であの男の手綱を取ったわ」
「あれで?」
「そうよ、人前で婚約者を取り戻した形は強いの、あなたが考えるよりずっと」
「……そういうものですか」
フェリシア様は、なんとも言えぬ複雑なお顔をなさいました。
ええ、分かります。恋に夢を見る年頃に、統治の理屈を見せられても、そう簡単には飲み込めませんもの。
それでも広間へ戻る頃には、涙の気配をきれいに隠しておいででした。
音楽は何事もなかったように流れ、客人たちはそれぞれの思惑で杯を傾けております。貴族社会の夜会とはそういう場所でございます。
若い王女の失恋ひとつで止まるほど、社交界は情に厚くできておりません。
今宵はもとより、フェリシア様のための交流の場でもございます。
王家との繋がりを望む方は、ルシアン卿おひとりではありますまい。
もっとも、今夜の一件を間近でご覧になってなお、軽い気持ちで近づこうとなさる方はそう多くはございますまい。
傍に怖い侍女がいる、などという不名誉な噂までございますし。
まったく、どこのどなたがそんなことを言い出したのやら。
「エルザ、見て」
広間へ戻った途端、フェリシア様が扇の先で示しになったのは、長身の若い紳士でした。立ち姿はすっきりとして、たしかに見映えのよい殿方です。
「どなたかしら」
「彼の方は確か、オズワルド・フォン・ハーベスト子爵様にございます」
「まあ、素敵」
立ち直りがお早い。急かしすぎではないですかね。
いえ、そのくらいでこそ王女殿下でございましょう。
もっとも、そのお隣には若いご婦人がしっかり寄り添っておいででしたけれど、フェリシア様のお目にはまるで映っておられないご様子でした。
恋は盲目とはよく言ったものです。
「今度は顔だけで選ぶのではなくてよ」
「ええ、今回はわたくしも身に染みましたわ」
その様子を見ていたヴィオレーヌ殿下がそう聞くと、謙虚な感じでそうお答えになりました。その一言に、胸の奥がふっと軽くなりました。
恋に懲りないことと、人を見る目を覚えることは、きっと両立いたします。
今夜の騒ぎも、いずれはよい思い出になるのでございましょう。
◇
後日、殿下のお部屋には夜会の余韻のように、いくつもの花束が届きました。
淡桃の薔薇。深紅の薔薇。青紫の薔薇。どれもこれも、好意や憧れや、少々気の早い求婚めいた意味を、いかにも上品に包んで差し出したものばかりです。
その中でひとつだけ、妙に目を引く花束がございました。
白いエーデルワイスを中心に、やわらかな黄色のミモザがふわりと寄り添っております。慎ましいのに目を惹く取り合わせでした。
けれど添えられた札には、送り主の名も家名も記されておりません。
「まあ、綺麗」
フェリシア様は花束を抱え上げ、目を細められます。
「これは何のお花かしら」
「エーデルワイスにございますね」
「では、この黄色い花は?」
「……ミモザかと」
「可愛らしいわね、ほかの花束より、ずっと好きかもしれないわ」
そう仰ってから、フェリシア様は札を裏返し、もう一度表へ戻されました。
「差出人のお名前がないのね」
「そのようでございますね」
「どうしてかしら」
「名乗れぬご事情でもおありなのでは」
「まあ、そんな言い方をすると、余計に気になるわ」
ええ、存じております。
こういう曖昧さに、フェリシア様はたいそうお弱いのでございます。
フェリシア様が花束の向こうからこちらをご覧になります。
「もしかしたら、夜会でお会いした、あの子爵様からかしら」
「オズワルド様にございますか」
「だって、あの時、少し目が合ったもの」
「左様でございますか」
「わたくし、やっぱりあの殿方が気になるわ、落ち着いていらして、笑い方もとても穏やかでしたし、ルシアンとは違う、大人の魅力がありましたわ」
「それはそうでございましょうね」
「あら、どう言う意味かしら?」
「申し上げにくいのですが、調べたところ、既婚者であらせられました」
フェリシア様が、ぴたりと花束を抱く手を止められました。
「まあ、そうなのですね」
「それと奥方様がご懐妊とのことです」
「……」
わずかな沈黙のあと、フェリシア様は花束へ目を落とされます。
そして、ひとつ小さなため息を吐かれました。
「良い殿方には、やはりすでに良いお相手がいらっしゃるものなのね」
「左様でございますね」
「世知辛い世の中ですわ」
「ええ、本当にそうでございますね」
同意すると、少しだけ唇を尖らせてそうおっしゃるお顔が、もうすっかりいつも通りで、私はようやく息をつくことができました。
「ですが、フェリシア様には私が居るではないですか」
安堵から油断していたのでしょう、思わず口から漏れてしまいました。
その一言に、フェリシア様はきょとんとなさってから、ふふっと笑われました。
「エルザ、あなたも冗談を言うのね」
「喜んでいただけたなら光栄です」
「では、これはどなたからなのかしら」
「……さあ」
「分からないままなのも、素敵ね」
「そうでございますか」
「ええ、だって、勝手に物語を考えてよいのでしょう」
そこにヴィオレーヌ殿下が、ちょうどお部屋へ入ってこられました。
「また夢を見ているの?」
「……少しだけですわ」
「結構なことね」
フェリシア様が目を丸くなさいます。
「お姉様」
「夢を見るのは自由よ、ただし次は、眺めるだけで終わらせないことね」
「まあ」
「半端な憧れで終わるくらいなら、最初から惚れないこと、惚れるなら、もう少し本気でなさい」
相変わらず、ずいぶん乱暴な励まし方でございます。
それに対してフェリシア様は、柔和な笑みを返しました。
「では今度は、誰にどう笑いかける方なのか、ちゃんと見ますわ」
「それなら前よりは幾分、マシですわね」
「それに見てくださいまし、こんなに沢山の花束が贈られて来たのです」
「社交辞令じゃないかしら?」
「またそう意地悪なことを」
「でも、このミモザは主張し過ぎてなくて綺麗ですわね」
「ええ、わたくしもたいへん気に入りましたわ、それに見てくださいまし、送り主の名前が書かれてないのですわ」
「あら……本当ですわね」
「きっと奥ゆかしい殿方なんですわ」
「ふふっ、そうかもしれないわね」
ヴィオレーヌ殿下、なんでそんな意味深な視線を、私に向けるのでしょうか。
本当に勘の鋭いというか、油断も隙もならぬお方です。
「わたくし、今度こそ、真実の愛を見つけてみせますわ」
「程々にしてくださいまし、フェリシア様」
その笑い方は、もうあの夜会での出来事を感じさせないものでした。
きっとこのお方は、恋を探しておいでなのではなく、素敵な出会いや素敵な恋がこの世にあると信じていたいのでございましょう。
見目のよい方に弱く、ちょっと目が合ったくらいで胸を弾ませる。
とても難儀で、愛らしいお方です。
送り主の分からぬ花束など、本来なら不審に思うものにございます。
それも名も書かず、意味だけをそっと置いてゆくようなやり方は、いささか臆病で身の程を弁えていて、あまり褒められたものでもございません。
それでもフェリシア様は、そんな花束を少しも不審がらず、ただ綺麗だの可愛らしいだのと笑って、お部屋のよく見えるところへ飾っておしまいになるのです。
まったく、用心が足りないのか、お優しすぎるのか、判断に困ります。
本当に屈託がなく純真無垢で、理想のお姫様であらせられる。
とはいえ、私から余計なことは申し上げません。
この世界は、世知辛い世の中でございますから。
了
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
もし面白いと感じたら☆★★★★評価してもらえたら、大変嬉しゅうございます。
クラウディア様と世界観が繋がっているので、興味があればそちらも読んでね。
エゴサ勇者パーティとの、クロスオーバー要素も少しだけ含まれております。




