現状維持
「恋」とは、今の自分を壊す劇薬だ。
誰もが口にする「彼女が欲しい」という言葉。けれど、いざ目の前に「運命」の輪郭が現れたとき、僕は恐怖で足がすくんだ。
踏み出せば、二度と今の自分には戻れない。
寮の食堂、騒がしい夕食の時間。親友・晴也の鋭い指摘に、僕は「勇気がない」という盾で自分を守ることしかできなかった。
逃げているのはわかっている。それでも、僕は僕のままでいたいんだ――。
変わりゆく季節の中で、立ち止まることを選んだ少年の、臆病で、切実な恋のプロローグ。
「夕陽っ、お前、後輩女子とデートするってマジかよ?」
ガタンっと音を立てて、夕食の乗ったトレイが僕の目の前に置かれた。
「え?あぁ、由香里さんのこと?別にデートってほどじゃあ……。」
興奮冷めやらぬ、そんな感じで鼻息を荒げているのは友人の晴也だ。
同じ寮住みでオタク趣味、仲良くなるのに時間はかからなかった。
「男女二人きりでカラオケだろう?それをデートと言わず、なんて言うんだ?」
「……うっ。でもさ、友達同士で遊びに行くってだけの可能性もあるだろ?
決めつけはよくないよ。」
近づいてきた彼の顔を、引きはがすように言い放つ。
そうして、一旦落ち着こうと、手元の味噌汁を一気に飲み干した。
「まぁ、それは別にどっちでもいいや。」
とうとう観念したのか、晴也の方も食事に手を付け始めた。
しばらくして。
「んで、結局どうすんの?付き合うの?」
「ブフォッ!!」
突拍子もなく彼が言うものだから、危うく口内のワカメを吹き出すところだった。
「おいおい、汚いぜ。」
「そっちが急に、変なこと言うからだろ!!ってか、
さっきの話聞いててどうしてそうなる?」
「いやだってそうじゃん。」
むせて涙目になった僕を見ながら彼は続ける。
「前に夕陽、可愛いオタクの彼女が欲しいって言ってたろ?」
「いや、言ってたけれども……。」
「高身長に高ルックス、おまけに性格も良いときた。
どうだ?なかなかの良物件だろ?」
まるであざ笑っているかのような晴也の態度に、若干の苛立ちを覚えた。
―――が、何も言い返せなかった。
「ハッキリ言って遠くからでも、その子、お前に気があるって分かるぜ。
こんなチャンス他にないんじゃねーの?」
「……」
そう言われて、僕はふと考える。
《確かに、由香里さんは所謂運命の人ってやつなのかもしれない。
それでも僕が拒む理由は―――》
「……現状維持。」
「……へ?」
「僕はこれでいい、このままがいいんだよ。」
聞いている晴也はきょとんとしている。
まるで、信じられないものでも見ているみたいに。
「いや、お前。彼女欲しいんじゃなかったのか?」
「そりゃあもちろん欲しいさ。いたらきっと、人生楽しいだろうなってつくづく思うよ。」
「だったら―――」
「でも、ダメなんだよ。」
彼の言葉に被せるようにポツリ呟いた。
「僕には……誰かと付き合う勇気なんて、持ち合わせていないんだよ。」
これが僕の本音だった。
「一度でも付き合ってしまえば、僕は多分、前までの自分に戻れなくなる。
それがたまらなく怖い。」
絞り出した声は、風に吹かれてしまいそう。
そのくらい、か細くて不安定なものだった。
「……“大人になる” か。そんなの遅かれ早かれ、誰もが通る道だろ?
気にしたってしょうがないぜ。」
机に指先を滑らせながら、彼が静かに諭してくる。
「頭では分かってるんだ、いつかは受け入れなくっちゃいけないって。
でも、そうだとしてもさ。」
自嘲気味にくしゃりと笑う。
「無理なんだよ。今日も、明日も、この先もずっと……。」
瞬間、僕らの会話がピタリと止まった。
うるさいくらいの彼の声が、いくら待っても聞こえてこない。
「……」
まっすぐ僕を見ている。
その顔は、呆れ?怒り?それとも同情か?
言葉と言葉の空白に、晴也は何を思っているのだろう。
《分かるわけないか、こんな僕じゃ到底……。》
空の皿を乗せた、トレイを持って立ち上がる。
「ごちそうさま。それじゃあ、お先に失礼するよ。」
そのまま彼の隣を過ぎていく―――
「……だから“勇気がない” か。」
晴也の言葉に、ふと足を止める。
「逃げてるだけじゃねえのか?」
次いで二言目が浴びせられる。
「……幻滅した?」
「どこまで行ったって僕は僕さ。……そういう自分が何よりも嫌いだよ」
それだけ言って、僕は食堂を後にした。
初めて投稿させていただきます。
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