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第七話

複雑骨折から退院した日のことだ。

病院から一緒に帰ってきた山根と田中が僕の家に泊っていくことになった。

僕らは仲は良いけれど、三人が一緒に泊るというのは初めてだった。六畳一間の僕の部屋に長身の高校生が三人だ。非常に窮屈だった。ベッドの上は山根が何の遠慮もなく寝転がり、勉強机の椅子は田中が占有、あろうことか勉強机をオットマン代わりにして足をのっけている。自分の部屋だというのに身のやり場のない僕は部屋の隅で柱に寄りかかっていた。おかしい。僕は先ほど病院から退院したばかりの怪我人だというのに、なんで自分の部屋でこんなに肩身の狭い思いをしなければいけないんだろう。


「あのさあ、ここ僕の部屋なんだけど」

「じゃあ、私らの部屋ってことでござるな」

僕の苦情を山根は全く取り合ってくれない。田中にいたっては完全に黙殺だ。

「僕ってさっきまで入院してたんじゃなかったっけ?まだ松葉づえつかないと歩けないんだけど?」

「もううるさいなあ」

山根はさも不満そうだ。

一番、不遇なのは僕だというのにどういうことだ。

「じゃあ、こっち来るでござるか?」

山根はそう言ってベッドの半分に身を寄せる。ぽんぽんと布団を叩いてここへ来いとアピールしてくる。なんで好き好んで山根と同衾しなきゃいけないんだ。すごく嫌だった。

「いい」僕がそう言うと「せっかく空けてあげたのになあ」と言ってくるので悔しかった。

「田中、椅子譲ってよ」僕は田中にターゲットを変える。

「え?やだ」まったく取りつく島もなく田中に却下される。僕が怪我人だということを二人とも忘れている気がする。


そのうち、母さんが僕の部屋にお菓子と飲み物を運んできてくれた。

コンコンというノックの音で二人は即座に佇まいを改める。

「二人ともいらっしゃい。いつも央太のことありがとうね」

母さんがそう言うと、誰よりも真っ先に田中が答えた。

「いえ、こちらこそいつも央太君にはお世話になってます」

椅子に姿勢よく腰かけて頭を下げる田中は誰がどこから見ても好青年以外の何者でもなかった。母さんも田中のことは相当気に入っているらしく、家族の食卓でもよく「また田中君を呼んでよ」と話題に出すほどだった。まったく侵害である。田中の真実の姿を世間に知らしめる必要がある。僕は日ごろからそう思っているのだが、ついぞその機会は訪れないままである。


一方の山根はと言えば、こいつは保育園のときからの幼馴染であり、母さんとも気心がしれた仲だ。

「お邪魔してます」とベッドの上で正座しながら頭を下げると、「いつも通り楽にしてていいのよ」と母さんは言った。

山根の家はうちのすぐ近所、歩いて三分ぐらいのところにある。母さん同士も仲がいいこともあり、小さい頃から本当に一緒によく遊んだ。もう親友を通り越してお互い親戚みたいに思っている節もある。

山根は気安い笑顔を浮かべると、母さんが持ってきてくれたお菓子に手を伸ばす。それは母さんが作ってくれた手作りのクッキーであった。山根はそれを口に運ぶと「美味しいです!」と言った。母さんはとても嬉しそうな顔をした。「たくさんあるから良かったら持って帰って」母さんがそう言うと山根は「ありがとうございます」と返した。

すると田中の方もお菓子に手を伸ばした。「あ、ほんとだ美味しい」田中は落ち着いた口調でそう言った。「甘すぎたりしなかった?」母さんは田中にそう訊く。

「いえ、これくらいの方が好みです。結構運動するので」

「まあ!央太聞いた?田中君、結構運動するんですって」

僕は、ああ、また始まったと思った。どうも母さんは何かと僕に運動をさせたがる。別に太ってるわけでもないのに。

「よかったら、僕が央太を引きずっていきましょうか?」

「え?お願いできる?」

「喜んで!」

田中はそう言うと、僕に得意げな感じの笑顔を向けてきた。だから僕は思い切り舌を出してやった。


僕も母さんのクッキーに手を伸ばした。いつも通りの馴染のある味だ。家族のひいき目でなく美味しいと思う。確かにちょっと甘めかなと思わないでもないが、その分、一緒に持ってきた紅茶を少し渋めにしてバランスを取っている。昔は母さんも一般的な味付けのクッキーと紅茶を好んでいたらしい。だがある日、甘さ控えめのクッキーを食べた後に甘い紅茶で締めるという構成が許せなかったらしい。食事が終わってもまだ甘い味が口の中に残るなんて!という感覚らしい。僕にはよく分からない感覚だ。だがそのため、うちのおやつは甘いお菓子と渋めの紅茶という変わった構成になっている。正直、甘いものの後に飲む渋い紅茶は渋さが倍増するので、当家のお客様には不人気だと思う。でも饗応する母さんがそうしたいのだから僕ら家族に否やはない。実際、慣れてしまえば、渋めの紅茶も味わい深い物なのだ。


「でも今回は本当にありがとうね。お見舞いに来てくれて」と母さん。

その言葉に田中は頭を下げて言った。

「いえ、とんでもないです」

「でも体育館の窓から飛び降りたって聞いてびっくりしました」と山根は続ける。

「ほんとそれな。小学生の遊びを高校生になってやる馬鹿がいるとはね」

そんな風に、田中は僕に強く当たってくる。

「ほっといてくれよ。彼女がやりたいってごねたんだから仕方ないだろ」

僕はそう抵抗するけど三対一の多勢に無勢だ。

「いや、そこを止めるのが年長者の役割だろ」と田中。

「どうせ可愛い子に良いところ見せたかったんでしょ」と山根。

「ほんと可愛い子に弱いのは誰に似たのかしらね」と母さん。

「ほっといてくれ」と僕。


「でもあの子、雪ちゃんだっけ?ほんとに可愛かったわね。お人形さんみたい」と母さんは言った。

田中も山根もそれに同意する。

「あの真っ白い金髪な。あれって校則違反じゃないの?」

田中の疑問に僕は答える。

「なんか病気なんだってさ」

「髪が白くなる病気?そんなのあるの?」

「白血病だと闘病で髪が抜けるとか聞いたことあるから、それに似た病気なのかもしれないですね」と答えたのは山根だ。「それに世の中にはまだ知られていない奇病難病の類もありますからね」

実は山根の将来の夢は医者である。だから普通の高校生よりも、色んな病気に詳しかったりする。昔、なんで医者になりたいのかって聞いたことがある。そしたら、当時、小学生だった山根は世の中の変な病気を治したいんだと答えた。世の中の難病を「変な病気」という一言で片づけるなんて、今思うとまったく剛毅な子供である。

そう言えば病院に山根がお見舞いに来てくれた時、同じ話をした気がする。もしかして山根なりに雪さんの病気について考えてくれたのかもしれない。


「結構、重い病気なのかな?」田中は心配そうに言った。

「病気の症状なのか、薬の副作用なのか分からないけど、あれだけ真っ白になるってことは結構重いんじゃないですかね?」と山根が答える。

「よく漫画とかで、恐怖で髪が真っ白になるとかあるじゃん?ああいうのって本当にあるの?」

「マリーアントワネットなんかは一夜で髪が真っ白になったって言われてますね。でも実際にはどうなんでしょう?素人考えでは恐怖で髪が真っ白になるというのはデフォルメだと思いますが」

僕の部屋の中に沈黙が満ちた。

「でもあの年で髪が真っ白になっちゃったんなら可哀想よね」母さんがそう言った。

僕を含めた三人が同意とばかりに頷く。

「まあ、正直、似合ってるけどね」しんみりとしたムードを嫌ったのか、田中がそんな風にお茶らけた。「確かにあれだけ可愛ければねー」とそれに乗っかったのは母さん。にわかに部屋の雰囲気が明るくなっていく。


「そういえばさ、央太はどうやってあんな可愛い子と知り合ったの?」田中が僕の方に話題を振ってくる。

「彼女が転校初日に駅で迷子になってたんだよね。そこで縁があって学校まで連れてった感じ」

「へー。あんな可愛い子だったら親切のしがいもあるよな」

「なんか嫌だな。その言い方」

「仕方ないだろ。男なんだから。それに好きな女の子に優しくできたんならラッキーじゃん」そう言って田中は笑う。

僕を除いた三人は口々にそうだねと言いあう。もう僕が雪さんのことを好きになのは既定の事実らしい。確かに僕は病院で雪さんのことを好きだとは言った。でも母親の前で僕が誰を好きだ嫌いだの話をされるのは非常に気恥ずかしいのでやめてほしい。

「確か玄関前の雪かきも一緒にやってたんじゃなかったでしたっけ?」山根は会話のかまどに他の火種をぶち込んでくる。

「へー、そうなんだ。央太も意外と陰でこそこそやってるんだな」

「やってないよ!駅も偶然だし、雪かきも偶然。体育館の裏口なんて、こっちが呼び出された側だし」

「え?央太が呼び出されたの?」田中は聞き捨てならないといった様子で身を乗り出す。

「別にそんないやらしい意味はないよ。彼女が告白されてるところを目撃しちゃって、それが彼女に知られて呼び出されたってだけ」

「まあ。でも央太もあんな可愛い子とうまくやれてるんならよかったわ」


「いや、全然うまくいってないよ。彼女、好きな人ができたっぽいし」

「え、そうなの?」

「うん。二年生のイケメンだってさ。知らないかって聞かれたけど、心当たりが無かったから答えられなかった。あんまり僕、友達いないからね」

山根と田中は顔を見合わせる。


「別に大丈夫じゃないの?そんなイケメンならもう彼女いるだろうし、たぶんうまく行かないって」田中は軽く言った。


でも正直、僕としては田中が言うように「僕と彼女がうまくいく」ことを望んでいない節があった。というのは僕と彼女はどう見ても不釣り合いだ。彼女ははたして僕と一緒にいて幸せだろうか、と考えるとどうも積極的に彼女とうまくいきたいと思えない。それよりも彼女自身が自分が幸せになれる場所を選んでほしいと思う。まあ、こんなことを言うと「好きな人は自分の力で幸せにするんだよ!」と田中辺りが力説するので、僕は絶対にこれを田中の前では口にしないけど。


「でも彼女の病気は心配ですね」山根が突然、そんなことを言う。「重い病気じゃないといいんですけど」

「それな」田中も同意する。

母さんも暗い表情をしていた。

「今回の複雑骨折みたいにちゃんと治る怪我ぐらいならいいけど、病気となるとね。それこそ一生付き合っていかないといけない病気なんてザラだし。まだ若いのにそんな重荷を背負わせたくないわ」


「山根、調べることとかできないの?」僕は山根に聞いてみた。

「もう調べました。でもネットのどこにもそんな症状は見当たりませんでした」

「いわゆる山根いうところの『変な病気』ってやつか」田中がそう言うと山根は恥ずかしそうに顔をゆがめた。

「央太、田中に『変な病気』のこと教えたんですか?」

「別にいいじゃん。恥ずかしい話じゃないでしょ。むしろカッコいい部類」

「小さい頃の話はあまりされたくないもんでしょ!」山根はそう言って顔を真っ赤にする。

「別に恥ずかしいことじゃないと思うんだけどなあ」そう言うと山根は身をよじった。


「でも彼女の病気のことを知りたいんだったら、やっぱり彼女自身に聞くの一番だと思いますよ」冷静さを取り戻した山根はそう言った。

「央太、一回聞いてみたら?」

「一応、聞いたよ。なんか都会からこっちに引っ越して来たら、急に発作が起きなくなったんだってさ」

「急に?」

「うん。病院で看護士さんも言ってたんだけど、環境が変わったことで病状が良くなったのかもしれないって」

「そんなことあんの?」田中は山根に向かって訊いた。

「さすがに分からないよ。静養のために環境の良いところに移り住むって話はよく聞くけど、そこまで劇的な効果を産むものなのかな?それよりももっと他の要因のほうがありえそうだけど…」

そう言うと三人は暗い表情をする。

「他の要因?」

僕は山根に聞き返す。それに誰も答えない。

「ねえ、央太」と山根が訊いてくる。「彼女、発作はもう完全に消えたって言ってた?それともまだちょっとは起きるって言ってた?」

「もう全然起きないって言ってたよ」

山根の表情が一気に曇る。

「まったく?全く起きないの?」

「そう言ってたけど…。どういうこと?山根、何か知ってるの?」

「いや、分からないけど…。ちょっと父さんに聞いて調べてみる…」

山根の父さんは新興住宅地近くの件の病院で医者として働いている。山根が医者を目指すのには、山根のお父さんの影響もあったのだろう。


急に部屋の中に沈黙がわだかまった。それを嫌うように母さんが立ち上がった。ちょうどお菓子と紅茶がなくなったところだった。「おかわりいる?」努めて明るく振舞ったような口調がわざとらしく感じられた。


もしかしたら彼女の病気は相当重いのかもしれない。不意に心配が黒い布となって僕の心に覆いかぶさってくる。心臓が破裂しそうなくらいに締め付けられる。

きっと彼女のことを想像したせいだ。僕はそう思った。

バクンバクンと破裂しそうな音が心臓から響き始める。その音は今や自分自身の耳でもはっきりと聞こえるほど異常にデカい音だった。


「アァ…、グアァ…」

不意に、絞殺されるガチョウの鳴き声が耳に届いた。それが呼吸ができずに呻く自分の声だとはすぐには気づけなかった。僕は胸元を抑えながらその場に崩れ落ちる。


「おい!央太!どうした!しっかりしろ!」田中の叫び声が聞こえる。田中の筋肉質な腕が僕を抱え上げる感触が伝わってくる。

「え?央太!央太!!」動転した山根がわめき散らかす。山根は普段は冷静なふりをしているが、いざとなると案外テンパり気味だ。

「山根!何してんだ!救急車呼べ!」

田中は割と泰然とした男なのだけど、今日はなんだかこいつもテンパっているみたいだ。こんなの放っておけば治るのに。だってこんなの、()()()()()()ことだから。


あれ、でもおかしいな?周りが暗くなってきた。さては山根ビックリしすぎて照明のスイッチ消しちゃったんじゃないだろうな。

僕の意識は闇に沈んでいく。山根のキンキンした叫び声だけが最後まで聞こえていた。

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