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第二話

最近は毎日雪だ。毎朝のように除雪車の音で目を覚まし、歩道に積もった雪の上に道を作りながら通学している。

父さんはいつも僕が起きる前から家の前の雪かきを始めていた。除雪車は道路の雪を片付けるだけで、家の前を綺麗にしてくれるわけではない。時として、家の前に道路の雪を寄せて行くこともあるくらいだ。家の前は自分たちで除雪する。それがこの街のルールだった。

本当ならば僕も父さんを手伝うべきだ。だがどうにも起きられないということで免除してもらっている。代わりに毎週のゴミ捨てが僕の役割になっている。


僕は普段、割と早めに通学している。別にゴミ捨てのためというわけではない。学校に着いてから、その日提出の課題等をやるためだ。そんな風に言うと多少聞こえがいいかもしれない。でも正確には、同じく早めに通学する友人の課題を写させてもらうためだ。


が、今朝はその計画が破綻した。運の悪いことに正門付近で真田先生と出くわしたのだ。真田先生は全身すっかり雪装備でこないだのスノーブーツも足元に着用していた。片手にはスコップを握っている。真田先生は笑顔で「お前、この間、靴貸したよな?」と言ってきた。何を要求しているかはすぐに分かった。表情がそう物語っていたのだ。スノーブーツの借りがある僕は真田先生には逆らえなかった。僕は教室に荷物だけ置いて、再び正門へと向かった。その手には真田先生から渡された除雪用のスコップがいつの間にか握りしめられていた。


大野高校、略して大高では、通常、生徒は学校の除雪には駆り出されないことになっている。たまに体育の授業や部活等で「全員公平」に雪かきをやらされることがあるにはある。だが基本的にはない。例外としては、生徒が自主的に協力する場合だ。

自主的に雪かき?そんなことする奴いないだろう、と思う人もいるかもしれない。だが生徒会の役員や内申点での推薦入学を狙っている人たちは比較的積極的に除雪に協力している印象だ。


真田先生の要求うは僕も彼ら同様に「自主的に正門の除雪を手伝え」だった。

大雪のせいで先生たちだけでは人の手が足りなかったのだろう。借りがあって朝早くから登校している僕は真田先生にとっては格好のターゲットだったに違いない。


「おー」

僕が正門前に現れると、スコップで雪かきしていた先生たちが手を挙げて歓迎してくれた。正直、雪かきを手伝うのは初めてではない。だから先生たちが雪かきを手伝った生徒に優しいことは知っている。たまに終わり際に暖かい飲み物を奢ってくれたりもするのだ。


でも、この除雪が僕の課題時間と引き換えになっているのを知っているのか知らないのか。僕としては課題時間の代償なのだから、課題をしてこなくても許されるのではないかと本気でそう思っている。だがそれが許されることはついぞなかった。まったくむちゃくちゃな話である。


僕を含めた生徒たちが受け持ったのは正門と玄関の間の除雪だった。要は、生徒たちの通り道を作る役割だった。先生たちは駐車場や校舎付近など、除雪の判断が難しそうなところを担当していた。


腕時計を確認すると時刻はまだ7時を過ぎたばかりだった。生徒たちが一番登校してくる時間まで、まだ一時間ほどあった。除雪を担当する生徒の数は5人。除雪エリアとなる正門と玄関をつなぐ通路は、幅およそ30メートル、長さにして約20メートルほどだ。積雪は30cmほどで、5人で一時間と考えるとかなり大変な作業だと思った。


5人が持っている作業道具はスコップが4本と、スノーダンプという運搬用一輪車からタイヤを外して雪山用のソリに代えたような除雪道具が一つだけだった。スノーダンプはスコップよりもたくさんの雪を運べるためかなり効率がいい。スノーダンプがもっとあればなあ、とその場にいた誰もが思っていたに違いない。でも残念ながらスノーダンプの数は限られていたし、先生たちの中にもスノーダンプがないと作業が難しい人もいて、僕たちの割り当ては一つだけしかなかった。


「まあ、仕方がないよね。がんばろっか」

除雪に参加していた生徒会長が音頭を取ってそう言った。

作業方針的には、まず細くてもいいから正門から玄関を道を作って、生徒たちが登校できるようにしようということになった。掻き出した雪は正門付近の融雪口に捨てる必要がある。スコップでそこまで運んでいくのは大変なので、スノーダンプを雪の運搬に使うことにしたのだ。


スノーダンプに全員でスコップを使って雪を積んでいく。

「じゃあ、行ってくるわ」

生徒会長はそう言って雪でいっぱいになったスノーダンプを押して融雪口に向かった。その間、スコップ部隊の僕らは生徒会長が戻ってくるまでの間、雪のやり場が無く、どうしても手が止まってしまった。


「これだと効率が悪いね」

僕と同学年、二年生の生徒会副会長が言うと、全員が頷いた。

「道は一旦、スコップで作って、雪は脇に避けておこう。スノーダンプは融雪口に近いところを中心に除雪するわ。その方が効率よさそうだからね」生徒会長は言った。「先生からはここ全部って言われたけど、たぶんこの人数で全部やり終えるのは無理だわ。だから無理とかしないようにね。人が通れる道作れさえすればいいから」 

はい!やら了解!やら、めいめいが思い思いの返答をした。

作った道の脇に除雪した雪を捨てたら、結局、その雪をまた融雪口まで運ばなければいけなくなる。二度手間になることは誰もが承知していた。だが、それ以外に効率的な作業方法を誰も思いつけなかったのだ。


登校用の道作成担当になった生徒会長以外の四人は、二人ずつのチームに分かれた。玄関側から道を作る担当と正門側から迫る担当、二手に分かれて道を作ることにしたのだ。


僕とペアになったのは、一年生のよく知らない男子だった。線の細い真面目そうな子だった。だというのに、僕と違ってキモオタ要素は全く感じられなかった。素材がイケメンだからなのか、清潔感があるからなのか。男子の目から見ても、キモオタと言葉数の少ない文系少年の間には歴とした差があるのだなと実感した。


その子の名前は相原君といった。僕ら二人で正門側から玄関に向かって道を作ることになった。相原君と相談して、僕らは二人が並んで歩けるくらいの幅の道を作ろうということになった。道の道側担当が僕で左側担当が相原君だ。


ふりたての柔らかい雪にスコップを水平に突き刺す。「よっ」という声とともにスコップを持ち上げると、豆腐みたいに直方体になった雪の塊が残る。そのスコップの雪を、体全体を右回転させて道の右側に思い切り投げ捨てる。

僕の住む町に降る雪は湿度の多いジメッした雪が多いので重さが結構ある。たった一掻きしただけで音をあげたくなってしまった。


「これ、結構大変じゃない?」

「そうですね」

相原君もわずか一掻きで閉口したらしい。こちらを見て苦笑していた。正面に見える玄関側からの道作成部隊も同じ感想だったらしく。こちらを見て苦笑していた。


「まあ、でも頑張りましょうか」

けなげな相原君はそんな風に意気をあげた。素直に真面目な子だなと感心した。

「相原君はなんで除雪してるの?」僕は興味がわいて訊いてみた。

「内申目当てです。あんまり勉強得意じゃないんですよ」

「一年生からそんなこと考えてるんだ。真面目だね」

「真面目って言うかズルいだけです」

相原君は恥ずかしそうにそう言ったけど、僕にはそう思えなかった。自分の将来を見据えて事前に準備するなんて真面目以外にどう呼べばいいのか分からない。

ただ相原君はシャイな性格みたいで、褒められるのもちょっと恥ずかしいのかもしれなかった。僕は「そんなことないよ」と一言言って作業に戻った。


作業は遅々として進まなかった。スコップ担当の四人が四人とも、体力にあまり自信のない文系タイプの生徒だったのだ。

一方でスノーダンプ担当の生徒会長は、同時に野球部の元キャプテンでもあり運動が得意なタイプだった。重い雪をものともせず、スノーダンプを引っ張って順調に雪かきを続けていた。生徒会長の活躍もあって融雪口付近はみるみるうちに綺麗になっていった。


すると生徒会長は次に僕ら、正門側から道を作るチームの手伝いをしてくれるようになった。僕らがスコップで四回くらい振らなければいけない量を、スノーダンプは一回で運んでしまう。いちいち、融雪口に運ばなければいけない分、どうしても往復時間はかかってしまうのだけど、スノーダンプのおかげで目に見えて進捗が上がった。するとそれにつられて僕らのやる気も増した。結局、それから10分くらいかけて正門と玄関をつなぐ道が完成した。


「もうこれくらいでいいんじゃないかな?」

玄関側から道を作る担当だった三年生の男子が笑いながら言った。誰もが同感だったらしく、一様に笑いあった。実際、道は二人以上が並んで歩ける程度の広さがあった。立派な道だ。生徒会長の指示で、アスファルトの地肌が見えるくらい底から搔いたので滑って転ぶ人もいないはずだ。


少し小休憩でもしない?

誰も口にしなかったけど、暗黙の小休憩みたいな雰囲気が五人の間に漂っていた。

このところの例にもれず、空は曇り模様だ。でも一仕事終えた後は晴れやかな気持ちで空を仰ぐことができた。深呼吸すると冷たい空気が肺の底に流れ込んで気持ちがいい。そこへ真田先生が温かいお茶を人数分持ってきてくれた。

「頑張ったからちょっと休憩したら」

既に小休憩に入っていたのだけど、先生の許可を得たことで僕らは大手を振って休憩を取ることにした。正門の階段にスズメみたいに五人並んで座って休憩を取った。生徒の姿は段々と増えてきていた。通りすがりにあいさつされることも増えてきた。


と、そんなときのことだった。正門の向こうから一人の少女が歩いてきた。遠目にもはっきりとだれだか分かった。白い髪に真っ赤なマフラー。間違えようが無かった。雪さんだった。


なんだか恥ずかしくて僕は身を小さくした。なぜだろう?僕は雪さんを見ると恥ずかしくなってしまうのだ。彼女から隠れたくなってしまう。幸い、五人の並びで僕は一番端っこ、道からは一番遠い位置に座っていた。きっと見つかることは無いはずだ。


しかし、雪さんは五人の並びを通り過ぎるところで、不意に声をあげた。

「あれ?」


やばい、見つかった。僕はそう思った。さすがに無視するわけにはいかない。僕は顔を上げた。しかし。


「相原君じゃん!」

雪さんが声をかけたのは相原君だった。

「こんなところで何してんの?」

「正門の雪かき」

「雪かき?それって生徒の仕事なの?」

「違うけど、自主的にやっている感じ」

それを聞いた雪さんは、へー偉いね!、と感嘆の声をあげた。その後、どんな人がやってるんだろう?といった感じで、横に並んだ僕ら全員を視線でなぞっていった。


その視線が僕のところにたどり着いたところで、目が合った。が、雪さんは何も言わなかった。僕は俯いた。

妙な沈黙が僕らの間にわだかまっていた。御国さん、どうしたの?と相原君の声がした。

すると、突然、雪さんは妙なことを言い出した。


「自主的ってことは私がやってもいいのかな?」

その言葉を聞いて相川君は慌てた。

「いや、別にいいけど。御国さんが思ってるより、結構大変だよ。慣れてない女の子だと厳しいかも」

「雪なんて初めてだからさ、雪かきとかもしたことないんだよね。一回やってみたいと思ってたんだ」

初めてのホビーに挑戦するかのような気楽さで言う彼女。相原君は除雪組の方を向いて、どうしよう?という表情を浮かべた。

「まあ、参加は自由だからいいんじゃいかな。疲れたら休んでくれて全然いいし」

そう言ったのは生徒会長だ。雪さんは嬉しそうな顔をして「じゃあ、荷物教室においてきます!」と言って駆け出して行った。


雪さんとの出会いから数日が経っていた。遠目で白い髪を見かけたことは何度かあったけれど、こんな近い距離に来ることは無かった。心臓が変な感じで大きな音を立てていた。これは緊張なのか、それともまったく別の感情なのかよく分からなかった。


しばらくすると彼女が戻ってきた。恰好は通学時とほぼ変わらなかった。制服の上にダッフルコートを羽織っている。手には可愛らしい薄茶色の手袋、足元も薄茶色の靴で、靴紐の先とカットの上部に綿毛みたいなファーがついたオシャレな一足だった。ただ一点違うのは、通学時は生足だったが、今はスカートの下に紺のジャージを履いてきたところだった。


彼女の戻りをきっかけに僕らは再び作業に戻ることになった。彼女は相原君が面倒を見ることになった。相原君が倉庫から持ってきた余ったスコップを彼女に渡すと「うわ、意外と重い!」とはしゃいだ。


雪さんは僕には目をくれず、主に相原君と会話を続けた。気を使ってくれた相原君が時折、僕に話題を振ってくれたが、キモオタをこじらせたコミュ障の僕はそれにうまく対応できなかった。結果、自然と会話は雪さんと相原君の間で紡がれることになった。


話を横聞きしていると、どうやら雪さんと相原君は同級生のようだった。相原君は雪さんと話せることが随分嬉しいようで、僕と話す時とは語勢がずいぶんと違った。僕と話すときはちょっと眠そうにしてたんだけど、すっかり目が覚めたらしい。


生徒会長もスノーダンプを操りつつ、時折近寄ってきては雪さんに「大丈夫?」「疲れたら言ってね?」と優しい言葉をかけていた。やはり美人相手だと男は自然と優しくなるものらしい。


雪さんに話しかけるのは、相原君や生徒会長だけではなかった。だんだんと登校する生徒数が増えてくる時間帯だ。主に一年生を中心に、正門前で見かけた真っ白な髪の女の子に挨拶する子が増えてきた。相原君の口ぶりだと雪さんは一年生の間では話題の美少女転校生らしく、誰もがかかわりを持ちたがっているようだった。


「俺も雪かきしよっかな」

今まで除雪する横を無言で通り過ぎていた男子生徒が豹変して協力を申し出てくるのだから、可愛いというのは圧倒的正義のようだ。大体の場合、雪さんの知り合いであると同時に相原君の知り合いでもあるようだった。必然的に彼らのスコップを取りに行くのは僕の役割になった。


除雪道具を納めた倉庫は校舎の端にあった。通常は校舎の外を回ってそこへ行くのだけど、校舎の中に入る行き方もある。外は雪だらけなので僕は校舎の内側を通ることにした。

なんとなく倉庫へスコップを取りに行く係は貧乏くじのように思っていた。だが冷静に、外で雪かきをするのと倉庫にスコップを取りに行くのどちらが大変だろうか?と考えてみると、なんだか倉庫に行く方が楽な気がした。外でわいわいやる方が楽しいという人たちもいるだろうが、生憎、僕は一人でいる方が好きなタイプだった。適材適所という奴なのかもしれない。


しかし久しぶりに間近でみた雪さんは相変わらず可愛かった。雪の世界とはまったく異質の白さを身に纏った彼女はいつだって輝いて見えた。今日、一緒になった相原君や雪かきを手伝おうとしてくれた子たちもきっと彼女の可愛さにやられてしまった子たちなのだろう。可愛いは正義なんてよく言ったもんだと思った。


そんなことを思いながらスコップをもって玄関に戻ると、さらに追加で雪かきに協力したいとう男子生徒が現れていた。生徒会長は「木茂くん、悪いけどもう一回倉庫にスコップ取りに行ってくれないかな」と僕に頼んできた。ただでさえ少数で困っていたところだ。僕は大歓迎だとばかりに再び倉庫へ向かった。


倉庫への往復が三度目になろうとしていた時のことだ。


蛍光灯のともった廊下の下をコツンコツンと足音を立てながら歩いていると、背後から僕よりも速いペースの足音が聞こえてきた。振り返ると、雪さんが駆けよってくるところだった。不思議なことに美少女は薄暗い世界の蛍光灯の下でも輝いて見えるんだな、とそんなことをぼんやり思った。


「ごめんねー。私の友達の分、毎回取りに行かせて」

「全然、大丈夫。協力してくれる人が多いほうが、仕事楽になるしね」

突然現れた雪さんに、僕はなんだか妙に緊張していた。でも雪さんにはまったくそんな素振りはない。

「そんなこと言いに来てくれたの?」

「うん、さすがに悪いでしょ」

そんなことないよ、と首を振りながら

「でも転校してきたばっかりなのに、友達多いんだね」

と言った。それを聞くと雪さんは苦笑を浮かべた。

「まあ、友達というか、なんというかね」と言葉を濁す。なんとなく言わんとするところは察することができたので、僕もそれ以上は何も言わなかった。


「そんなことよりさ!」

と突然雪さんは話題を転換した。

「どうだった?あのスノーブーツ?可愛くない?」

可愛かった。素直にそう思ったけど、口から出たのは素直な言葉じゃなかった。年頃の男性高校生は女の子からの質問には素直に答えられない病気にかかっているのだ。

「ごめん。見てなかった」

そう答えると、雪さんは眦をあげて僕の脇腹を手刀で突いてきた。

「見てたじゃん!」

どうやら見られていたらしい。

「可愛かった…、と思う、気がする」

素直に褒めるのが恐れ多い気がして、僕は言葉を濁した。すると雪さんは唇を尖らせた。

「もうー。せっかく可愛いの買ったんだから素直に褒めてくれればいいのに」

そう言うと、今度は頬を膨らませて、マフラーの中に顔をうずめた。


倉庫の中からスコップを引っ張り出すと、彼女が進んで持ってくれようとした。

彼女はさすがに廊下にスコップの先を当てるわけにはいかないと思ったのか、スコップの先を床の少し上に持ち上げるように持った。かなり筋肉に負担のかかる持ち方だ。するとやはりというべきか、彼女はしばらくもしないうちに何度もスコップを持つ手を持ち替えるようになった。僕は彼女の持つスコップに無言で手を伸ばす。ひょいと持ち上げると、彼女がふたたびマフラーに顔をうずめた気配がした。


世の中には女性でも持てるようなプラスチックの軽いスコップもある。でも僕らの街に降る雪は湿った雪だ。湿った雪は時間が経つと凍ってしまい、プラスチックの物ではスコップの刃先が入らなくなってしまうのだ。だからこの街のスコップは重い金属製のスコップばかりだった。

雪さんは僕にスコップを運ばせることにひけめを感じているっぽいけど、そもそも金属製のスコップは女性に持たせるようなものではないのだ。持てなくて当然なのだ。

…とそんなことをきっと雪さんに言えたらよかった。でも僕と雪さんは無言で廊下を歩き続けた。別に悪くないんだよって、そんなことさえ言えない僕は情けない男だなって思った。


「…そういえば、こないだありがとね」

小さな声が聞こえた気がした。横目で雪さんを見ると平然と歩いていたので気のせいだと思うことにした。僕らは無言で廊下を歩き続けた。言えなかった僕と言えた雪さん。その差が僕と彼女の間の距離を何よりも物語っていた。


玄関前に戻ると既に除雪が終わろうとしていた。もうすぐ朝礼の時間になろうとしていた。結局、生徒用の通り道は当初の計画の半分くらいしかできなかった。


「とりあえず通れる道ができたからこれでよしとしよう!」生徒会長がそう宣言すると皆、喝采を上げた。

周囲は雪景色。気温は氷点下だ。なのに皆一様に額に汗をかいていた。中には周囲の雪垣に顔を突っ込んで顔のほてりを覚ます生徒もいた。朝からいい運動になったな、と誰かが言った。一限目体育なんだけどなあ。他の誰かがそう言った。この雪の量だと体育で雪かきやらされそうだね、とさらにほかの誰かが言った。うわあ、と二番目の誰かがげんなりした悲鳴を上げた。


僕と雪さんで持ってきたスコップは使われることなく、倉庫に戻すことになるらしい。手伝いに新たに参加してくれた三人は雪さんが戻ってくると、彼女を取り巻いた。人気者だなあと思いながら、彼らが手に持っていたスコップを回収していく。


すると生徒会長がスノーダンプを指して、ここに置いてと言った。どうやらスノーダンプでスコップ全部を一気に運ぼうという算段らしい。確かに重い金属製のスコップを8本運ぼうと思ったら、結局、全員で行かないといけなくなる。それは面倒なので自分一人で行ってくるよ」生徒会長はそう言った。僕らがスコップを置くと生徒会長は倉庫へとスノーダンプを引っ張っていった。やっぱり一人ではまずいと思ったのか二年生の副会長が生徒会長の後を追った。


僕たちは昇降口を登って下駄箱へと向かった。それぞれのクラスの下駄箱へと向かうので、当然散り散りになる。今回の除雪に参加していた二年生は生徒会の副会長と僕だけ。副会長は生徒会長と一緒に倉庫に行ってしまったので、僕はたった一人で二年生の下駄箱へ向かっていた。


結局、課題やる時間なかったなあ、間に合うかな?そんなことを不安に思いながら歩いているときのことだ。

僕のダウンジャケットの裾を引っ張る人が一人いた。振り返ると、そこには雪さんがいた。


「どうしたの?」

突然現れた雪さんにそう訊くと、雪さんは俯きながら自分の足元を指さした。新調したスノーブーツを指さしていた。

「え…?」

正直、戸惑った。さっき一応、答えたよな?

「さっきはちゃんと答えてくれなかったじゃん!」

雪さんは一瞬だけ目を上げてこちらを見ると、また赤いマフラーに顔をうずめた。

僕は雪さんの足元を見て答える。

「うん。可愛いと思う」

たったそれだけの言葉が妙に恥ずかしくて、僕はなんだかむずがゆい気持ちになってしまった。無性にその場を立ち去りたくて仕方が無かった。

僕の感想を聞いた雪さんは満足げな笑みを浮かべていた。彼女は、一体、どういうつもりなのだろう。僕なんかの気持ち聞く必要ないじゃないか。でも。でも。何回も心の中で唱えられる「でも」。その言葉がいつしか「もしかして?」に変わっていく。

「じゃあ、またね」

雪さんはそう言って僕に手を振る。僕も「またね」と声を返して手を振る。そんなわけないのに「もしかして」の声が僕の心の中で止むことが無い。分かっている分かっているんだ。そんなことあるわけないって。でもどうしても僕の心が勝手に勘違いしていく。現実を無視して感情のピースをくみ上げていびつな形のパズルを完成させようとしてしまう。それを僕は止められないでいた。

柄じゃない。そんなことは分かっていた。でもどうしても胸が勝手に高く打ってしまうのだ。しょうが無かった。



自分の教室に到着すると、僕は机の上に突っ伏した。知恵熱か何か、発熱している気がした。すっかりオーバーヒートしていた。

友人の幼馴染の山根がやってきて「どうしたでござるか?」と聞いてきた。僕は「なんでもないよ。ちょっと慣れないことしたら興奮しちゃったみたい」と答えた。

「そういえば玄関前で雪かきしてましたな」

「うん。真田先生に捕まっちゃった」

「それはついてない」

「手伝ってくれればよかったのに」

机の上でゴロンと頭を転がして山根の方を向く。山根は苦笑の表情を浮かべていた。そういえば山根は玄関で見かけなかった。さては呼び止められるのを恐れてどこかからこっそり忍び込んだのかもしれない。

「山根、今日の英語の課題してきてる?」

「まあ、一応はしてきたでござるよ」

「後で写させてくんないかな?」

「もちろん」

山根は気軽に答えてくれる。雪かきのせいでまったく課題をやる時間がとれなかったのだ。今日ばかりは先生もこれくらいのズルは許してくれるだろう。


山根は僕の二人の親友のうちの一人だ。もう一人は田中といい別のクラスだ。田中が高校に入ってからの友達なのに対し、山根は本当の幼なじみ。家も近所で保育園のころからの付き合いだ。気心もしれていて自分では阿吽の呼吸が成立する仲だと思っている。


「机の冷たさが気持ちいいかも」

僕は火照った額を机の天板に押し付けながらそんな風に言った。

「運動して体が火照ってるのかもしれませんな」

「ていうか知恵熱かも」

「知恵熱?」

「慣れないシチュエーションにてんぱっちゃった」

山根は僕の額に手を伸ばしてくる。冷たい掌が心地よかった。

「結構熱いけど、本当に大丈夫?」

「うん大丈夫大丈夫。すぐに収まるよ」

そう言いつつも、机に当てた片耳が天板に反響する血管の脈動の音を拾っていた。もしかしたら心臓の高鳴りはなかなか収まらないかもしれない。そんな気がした。

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